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レンタ・リースの先

レンタ・リースの先

 レンタ・リースの先にはカーシェアであり、シェアカーを創造することが求められている。これが地域の公共機関とつながっていく。ローカル・ラブです。

 タクシーを公共機関として見る考え方があります。運転手つきのシェアカーとして見ていけばいい。もっと、気楽に乗って、体験を変えていく。彼らをドライバーとして位置付けていく。

 シェアするのに、クルマにどういう機能があった方がいいのかというのは、水素自動車<みらい>よりもはるかに意味のあることです。地域の状況把握とつながっていく。60年後の未来から来た駆逐艦はジパングでは<みらい>である。<みらい>と言うならば、60年後の世界から戻ってくる。それはハードではなく、ソフトでしょう。どういう風に使っていくのか、どういう機能があった方がいいのか、今のベーシックの世界にどのように展開されるのか。

 なぜなら、ハードならば、人々の心は変わっていないから、現在の延長線上に未来がないから、戻ってこれない。ソフト、つまり、人々の考え方が変わることで、未来が継続しているはず。

 クルマを売ることではなく、レンタ・リースであれば、もっと、公共に近づけないといけない。クルマはもっと、可能性を持っています。自動運転も含めて、どういうカタチで、従来型の公共機関と抱合せていくのか。

LAN/WANの発想

 カーシェアするために必要なのは、ローカルとグローバルです。LANとWANの発想です。

 長距離と近距離をきっちり分けていく。ローカルはローカルとして、きっちりと体系を作る。グローバルとつなぐところは、本来の公共機関でもいい。新幹線に勝るものはないでしょう。ローカルのところをどうカバーリングするのか。そこはクルマでやるよりも、公共機関的な発想でやっていく。コミュニティでの地域インフラと抱合せる。

 そこから、車というもの、保険というもの、交通事故も変わってくる。そうなると、警察の意味も変わってくる。公共機関との親和性をいかに深めていくのか。

 リスクを個人に直課しないために、コミュニティを間に立てて、コミュニティの商売になることを考えていけばいいです。
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観念論--ヘーゲルによる哲学の終わり

『教養大事典』より

観念論

 ヘーゲルは、人間の意識がいかに発達し、それがどのように芸術、歴史、宗教などに表れているか、そのすべてを説明できる体系を作った。

 観念論は、経験の有無にかかわらず存在する「絶対者」「全体」といった観念に基づいている。ロマン主義哲学に続き、ヘーゲルはドイツ観念論に包括的な思考の体系をもたらした。

 現象学

  弁証法はテーゼ(命題)から、それと矛盾するアンチテーゼ(否定)へ、さらにそれらを本質的に統合したジンテーゼ(否定の否定)に展開して完結する。シェリングはそのようなプロセスとして、弁証法をすでに理解していた。しかし、意識の過程を説明するための包括的な手法にまで弁証法を高めたのはヘーゲルである。

  ヘーゲルは、1807年の著作『精神現象学』のなかで、絶えず更新される弁証法的プロセスとして、精神の本質と展開を考察した。そこでは、思考する主体は常に自身を越えて進化していく。原初的な姿(現象)から芸術、宗教、歴史のなかに現れる精神まで、異なる認識レベルの精神が様々な形態で現れる。ヘーゲルは、進行する弁証法的プロセスが最終的に統合されたものを「絶対精神」と呼んだ。

 主人と奴隷の弁証法

  ヘーゲルは、歴史の発展と権力のバランスを、弁証法を用いて分析した。人が自己の承認を獲得するために戦うとき、勝者は主人となり、敗者は奴隷となる。もし奴隷が自分の役割を受け入れれば、主人は労働を強制することができる。しかし、それは主人が奴隷に依存することにもなる。奴隷が自分の実力と身分に気づけば、権力のバランスを逆転し得ることになる。このようにして奴隷は、主人と同等の立場であると主張することができる。

  ここでは命題(承認への欲望)、否定(死または奴隷)、否定の否定(主人の打倒と平等の承認)という展開で弁証法が使われている。

 歴史の精神

  ヘーゲルは、歴史上のすべての発展の裏に絶対精神があると述べた。絶対精神はすべての観念のなかの最高のもので、最終的に実現すべきものとされている。ヘーゲルは、1812年から1816年の間に、この精神の姿を明らかにするために『大論理学』を著した。ヘーゲルの理論は、すべての事象を説明し、合理的に解釈する総合的な体系だといえる。

 美について

  ヘーゲルは、1820年から1829年にかけて行った「美学講義」において、芸術のなかに表されている観念に取り組んだ。ここでも彼は、芸術の歴史を弁証法的なプロセスとして捉えている。まず、観念は芸術のなかで真の表現を目指しているがまだ見つかっていない状態がある。次に、古典的な芸術の形態がある。ここでは観念は調和し、外部へ向けて表現されている。最後に、ロマンティックな芸術の形態がある。ここでは観念は個々の表現を超え、普遍的な精神性をもつようになる。

  この時点で、観念が芸術を通じて表現されることはなくなる。ヘ一ゲルは、彼の理論がすべてを達成しており、もう目指すものはないと信じた。このようにして彼は自分の理論を「哲学の終わり」と見なした。

分析哲学と言語哲学

 20世紀に哲学者らは、数学と論理学に影響を受け、より分析的なやり方で言語へのアプローチを試みた。

 言語はどのように機能するか、その限界は何か、どうすれば内容が真実かどうかを検証できるか。

 分析哲学の基礎を築いたのはドイツ語圏の国々だ。1879年、論理学者ゴットロープ・フレーゲは自著『概念記法』で、固有名詞や文、概念を表す表現など各種の機能を初めて明らかにした。そして、それらを真の価値(論理的価値)と関連づけようと試みた。フレーゲは正式な記号論理に基づいた理想の言語を作るためには、数学と論理学の手法が役立つと考えた。

 論理的言語

  ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは、分析的言語哲学の第2の創始者といわれる。彼の最初の画期的な著作『論理哲学論考』はケンブリッジ大学在学中に完成し、1921年に出版された。

  『論考』は、世界を現実として捉え、それを言語で説明している。この言語による説明は合理的な文である。よってウィトゲンシュタインは、すべての不合理な文は世界に関するどんな命題にもあてはまらないと結論づけた。

  不明瞭、あるいは不合理な文はすべて、結果として存在しない。人はそのようなことを話す必要はなく、沈黙を保つべきだという。

  いわゆるウィーン学派のメンバーであるモ一リッツ・シュリック、ルドルフ・カルナップ、タルト・ゲーデル、オットー・ノイラートらは、ウィトゲンシュタインの『論考』にたちまち衝撃を受けた。小学校で教師をしていたウィトゲンシュタインは、すべての哲学的問題を解決したと思っていたが、この学派のメンバーとともに自分の理論について論じ合うようになった。その結果、意義深い急進的な思想が現れ、科学者は実証可能な命題を使った経験的観察の追求を強いられるようになった。

  彼らは、その命題がすべての真の思想の根幹をなすと考えていた。

 日常的に話される言葉

  第二次世界大戦後、言語哲学のなかで方向転換が起こった。ジョン・ラングショー・オースティンとジョン・ロジャース・サールによる言語行為論では、理想的な真の言語にのっとって推測するのではなく、むしろ個人の日常の会話と行為から推論した。

  それ以来、数多くの哲学者が、特に英語圏において、この概念を使うようになった。その一方で、概念の抽象的な実体はほとんど強調されることがなかった。これらの哲学者は、概念が使用される範囲の外で真の価値と認められることを疑っていた。言語分析のアプローチによると、哲学者は今日まで、偽のあるいは誤った問題を扱ってきたことになる。世界のなかで方向を見失わないためには、言語がどのように使われるかを詳しく調べなくてはならない。それでようやく、矛盾や結果として生じた問題が解決され得ることになるのだ。
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コーラン--神の言葉

『教養大事典』より

コーランはイスラム教の聖典である。

610~632年の22年間にわたって、ムハンマドに告げられた神の言葉から成る。

最初は口頭でのみ伝えられていたが、後に筆記者が言葉を書きとめてムハンマドを手助けした。

ムスリムにとって、コーラン(クルアーン)は神からムハンマドヘの啓示である。コーランにはムハンマドが聞いたアラビア語がそのまま保たれている。

このため、コーランの内容に異議を唱えたり、翻訳で置きかえたりすることはできない。文学的な研究による修正もあり得ない。コーランを翻訳して利用する場合は、原本のアラビア語版(すべての礼拝で朗誦される)の意義を減ずることはない。

自国の言葉で信仰を学ぶ場でも、信者は最終的にコーランの原書を読んで理解できるように、アラビア語を学ぶ必要がある。このため、イスラム世界での最初の学校はコーランを学ぶ場としてつくられた。アラビア語はコーランで使われているおかげで、すぐにイスラム美術と科学の媒体となった。今日でも、イスラム教を学ぶ者の時間割にアラビア語は必須である。

昔から現代まで、コーランのスーラ(章)はカリグラフィーの題材となり、宗教性の有無にかかわらず、建築物の装飾としてよく用いられた。

コーランの奇跡

 この聖典は114のスーラから成り、それぞれがアーヤ(節)に分かれている。どの節も唯一無二で、ムハンマドが真の預言者であったことを証明するとみなされる。美しい表現が読者に及ぼす影響、その中にコーランの奇跡があるとされる。

 コーランはトーラーや聖書になされたような人の手による変更がまったくなく、神の啓示そのままであるとされている。コーランを通じて、人々はイスラム以前の無知の時代を終わらせた神の真実について学ぶことができる。

コーランの朗誦

 アラビア語でコーランという語は一般に、「読むこと」あるいは「朗誦すること」と訳される。コーランの詩的で表現豊かな言葉づかいは、音楽的な調べにのせて、声に出して読むのが最適なのだ。

 朗誦も、それを聞くことも、どちらも立派な行為だと考えられている。またコーランを暗記することは、一部分にせよすべてにせよ大変賞賛される。有名なイスラム法学者には、幼少のころコーランを暗記したとされる人も多い。

 今日、コーランを暗記した人物は「ハーフィズ」すなわち「イ呆存者」として知られ、ムスリム共同体の中で評価と尊敬を受ける。

ファーティハー開扉の章

 コーラン冒頭の「開扉の章」は最もよく唱えられる祈りである。ィスラムの信仰と信者の敬虔な気持ちを集約的に表現している。通常の礼拝とは別に、結婚と葬儀の際にも伝統的に繰り返される。

コーランにおける神と人

 イスラム教では、神は信仰を呼び起こすために、あらゆる集団に預言者を送ったとする。ムハンマドはアラブの預言者であるが、その教えは全人類に関わるものである。

 コーランの中心は、神が唯一で不可分であることの教えだ。天と地と生命を創りだしたのは唯一の神であり、創られたもので神に及ぶものは何もないという。

 ムスリムはコーランに由来する99の美しい名で神を呼ぶ。最もよく使われる神の名は「慈悲深く慈愛あまねき方」である。コーランには神の属性が無数に書かれている。例えば、「人が知覚できるいかなるものとも比較できない」、「全能かつ無限」、「罰して破滅させるが、公正で慈しみにあふれる」などである。

預言者

 神は、人々を正しい道に導き、罪を犯して罰を受けることのないように、常に人々に預言者を遣わしてきた。イ可人かは聖典をもたらした。ムーサー(モーセ)の卜一ラー、イーサー(イエス)の福音書、ムハンマドのコーランである。イスラムでは、預言者はみな平等で、優劣はない。また、その聖典も等価である。ムスリムはそのことを宣言しなければならない。預言者は、人々に伝えた神の言葉ゆえに、しばしば服従を拒まれ、ときには迫害されたという。

忠告と最後の審判

 人は信仰心をもっていることを絶えず監督され、奨励される必要がある。最も重要なことは、神に祈り、戒律に従い、禁じられていることは避けることだ。しかし人間は弱く、悪魔に誘われ、正しい道をやすやすと踏みはずしてしまう。コーランにおいてもまた、アダムとイブは、そそのかされ楽園を離れなければならなかった。しかしながら、イスラムでは原罪という教えがない。

 1人のムスリムはただ自分自身の言動や行為のみに責任を負う。聖なる戒律に反する者や心からの悔いがない者、あるいはコーランを知ってはいるか信じない者は神に罰せられる。同じことが、イスラムに従うふりをしている偽善者や詐欺師にも当てはまる。アッラー以外の神々を崇拝することは究極の罪だとみなされる。

 最後の審判もまた、中心的な信仰の1つである。神がこの世を創造したならば、この世の終わりも決めるはずだと考えられた。その日になれば死者は起き上がり、すべての個人の行為が善か悪か見えるようになる。全員が行ないによって審判を受け、楽園行きを許されるか、呪われて地獄へ永久に追放されるかが判断される。
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