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一日が短い

街全体の設計

 「城下町」というジャンルであったけど、街を全体を見るやり方です。これにあと、先を見るやり方を付ければ、具体的な提案ができる。

 「久屋広場」にしても同じです。どのように街の中で直線コースをどう捉えるか。「城下町」の場合は、山とお城をどうとらえるか。「岡崎」も取り上げてほしかった。大樹寺と岡崎城が直線になっているはず。その景観を再設定すれば、街が複合化できる。

一日が短い

 昨日は2時に寝たので、起きたのが、9時半です。10時から12時まで、4か所のスーパー巡りのドライバーで経過。5時半の奥さんの骨折病院に行って、返ったら、7時半。一日が短い。

 ICレコーダーに入れずに進んでいる。その分、未唯宇宙が進んでいない。

明日から三月

 そう言っている間に、明日からいよいよ、三月です。

 パートナーの方は火・水があっただけです。集中的に在って、その後、何もない。これはハレーすい星の特徴です。こういうことを愚痴る相手がいません。

インフラの無駄使い

 クルマがスケルトンに見えます。渋滞と言っても、そこに座っている、個々のドライバーが見えてきます。そうするとなんと不合理なこと。インフラの無駄使いです。

ケンタッキーの「塩」

 ケンタッキーのドライブインが大渋滞だそうです。隣のスタバのバリスタが言っていました。なぜ、こうも集中するのか?
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西欧の環、ディアスポラ 西洋と東洋

『ユダヤ人、世界と貨幣』ジャック・アタリ より 「申命記」一九四五年-……

開くか消えるか

 新しい伝達の技術は、ディアスポラと本来の共同体との関係を結びつけるすばらしい道具となっている。これによって、ノマード主義のあらゆる手段や条件を一般化することで、ユダヤ的価値の優位は広められるだろう。その精神において携帯電話ほどユダヤ的なものはない。

 ほかのすべてのマイノリティと同様に、ユダヤ人のディアスポラは、ディアスポラにはけっして依存していない、世界の野蛮か衰退しない限り生き延びることはできないだろう。それにはそれぞれか、近隣の仲間とその相異を楽しみ、彼らの中に幸福を見つけることを学ぶ必要かあろう。コミュニタリズムのまわりにあるような、多少とも閉じた同じような共同体の中には何もない。むしろ多様な顔を持った世界で、多様な本質を持った世界へ参加することに意味かある。地域的な一致が可能であれば、ユダヤ教にとってもとりわけ一致か生まれるはずである。結局、もし宗教か、文化的な革新へのすばらしい努力を行えば、よりよくなるであろう。それか今日ある種の指導者をつくり出すことを可能にするだろう。

 ウォール街の一人の金融家、ブルックリンの宝石業者の息子、マイケル・スタインハルトがっくり出したアメリカのメセナ・グループが期待するのは、若いユダヤ人による、よりよい歴史認識、よりよいユダヤ人のアイデンティティ認識である。このグループは、宗教的帰属の代わりに、イスラエルヘの帰属を打ち出し、「ユダヤ人教育における最高のパートナーシップ」という組織を創設した。その組織には、イスラエルとその歴史を発見するべく、ディアスポラの若者を派遣するために、一年に一八○○万ドルを与えている。最初の年に、八○○○人の若者、次の年には五万人の若者か派遣された。この組織は、若いユダヤ人夫婦に新婚旅行を提供する、出生権という制度を作った。最終的に、近代の商業技術によって、この組織は共同体に祭式や信徒への接近を増やす方法を教え、それを通じて、企業人の支持を得、アメリカやヨーロッパのカトリックやプロテスタントの教会によって展開された、類似の政策とつながることかできた。これこそ宗教マーケティングである。

 ユダヤ教か、そのほかの宗教同様魅力の中心になり、人間か持つ大きな問題に対する解答を得るには、そのほか多くの出資金が必要であろう。それだけに非寛容なオーソドキシーに閉じこもったり、嫉妬深い同族意識に陥ってはいけない。すべてのユダヤ人ディアスポラが、こうした精神的な革新を果たす手段を持っているかは、はっきりしてはいない。もうこれ以上、他人かユダヤ人に対して何をしているかではなく、また他人かイスラエルで何をしているかでのみ判断しないようにするためには、教授、学校、出会いの場所か必要であろう。必要なことは、平和、開放、寛容、多様な知性の受容、祭儀、信仰、思想の近代化であろう。もし戦争が中東で今後も続くなら、ユダヤ人の生存の責任は、西洋の三つの共同体(合衆国、カナダ、フランスの共同体)にかかっているともいえよう。もしイスラエルが平和の場所であれば、イスラエルは逆に、あるディアスポラの文化的生活を、今度は助けることができるだろう。第二次世界大戦の間行われた搾取を償うために、スイスの銀行か支出した資金を使用するのがもっとも最適なものであろう。

 こうした革新を成功させるために、それぞれの場合、ユダヤ人は他のマイノリティ同様に、自らを開くことで新参者と結びつく必要かあるし、ユダヤ人は新しい生活様式を許し、彼らに加わりたいと思う人々をより簡単に歓迎する必要かあるだろう。一九九九年、イスラエルで創設された「総合改宗研究所」は、ユダヤ教正統派的な形で生きることを望まない人々を改宗者としても承認するために、改宗規則を和らげようとしている。そこには、まだ最初の、わずかなプランしかない。開かれた社会のみが生きることかできる。ユダヤ教の生存を確証するのはただその開放性だけである。

 とりわけタルムードによると、メッシアの祖先となるはずのダヴィデの曾祖母、ルツはユダヤ人ではなかったのだ。

西洋と東洋の案内人

 イスラエルを別として、ユダヤ人のディアスポラは、とりわけ倫理的役割を演じ、すべての人間に、彼らが与えられた道徳的価値を想起し、他の人々を援助し、対話、創造、進歩、交換を継続していくことかできるだろう。他の文明か形成され、進展するそのとき、ユダヤ人は二〇世紀前に演じた役割を、ヴァーチャルな新しい道具でまったく別の形で見つけることになるだろう。西洋、イスラム、東洋との間の案内人、富、思想、文化の案内人、しかもこの新しい歴史の時代で、その主要な富である時間の案内人となれるだろう。

 ユダヤ人は、自らの神を、旅をする時間、貨幣で価値を測る時間としての神(今ではすべての者の神である)に思いを馳せるかゆえに、また、世界に時間を与えることで(神による永遠の時間、貨幣による物質的時間、芸術による精神の時間)、その不幸、彼らの神、彼らの貨幣を他人の自由に任せたかゆえに、ユダヤ人は時間を人間の新しい進歩にすることかできるのである。

 文明の新しい対話、人間の流れにおける東洋化、ものの流れにおける西洋化の中で、西洋と東洋との出会い、時間のさまざまな視点の出会いですぐれた役割を演じるだろう。時間という未来の文化に重要な、定住民とノマードに唯一共通な真理、すなわちホスピタリティを発展させる。ホスピタリティは、時間との交換の中で、人を楽しませるという喜びの中では大きな役割を演じる。最終的には、時間か土地と貨幣という二重の支配を免れさせてくれるのだ。

 だからこの物語は、たんに人口的に少ない一民族を問題にしているだけではなく、人類史におけるすべてのマイノリティの役割を明らかにしているのである。この物語は遅かれ早かれすべての民族が直面するジレンマ、すなわち、画一性という無差別の中で消滅するか、個性に対する非寛容で死に絶えるか、というジレンマのことを説明しているのだ。この物語は、すべてのもの、すべての社会関係か最終的には貨幣に変わり、すべての文化か支配的な文化に改宗していくことも語っているのである。そこで強調されるのは、すべてのマイノリティに迫る脅威である。少数派は対立する保守主義者たちによってスケープゴートとして描かれ、耐えるかゆえにねたまれ、与えるかゆえに追放される。この物語は、成功したディアスポラとは、教育、記憶、持続、崇高さ、他者への尊厳にもっとも重要な意義を与えているディアスポラであることを示している。それは、ノマードのいない定住者はいないし、定住者のいないノマードはいないということを示している。結局、それは西洋かイスラムと東洋との平和に関心を持つ場合は、西洋かユダヤ人の文化とそのディアスポラに関心を持つ限りであることを告げている。

 世界のすべての人々は、あれやこれやで、こうした賭けに直面している。すべての人々に、定住民とノマードの顔が同時にある。多少とも意義深いディアスポラを持っているのだ。すべては、戦争のさまざまな諸形態と混ざり合っている。ノマードのテロリズムは人を惜しまない。すべては、文化的アイデンティティによって定義されたいという要求に直面している。自らゲットー化しない限り、混交の増塙以外のものになることかできない。すべては、世界の狂気に歯止めをかけるために倫理、道徳の価値に意味を付与しなければなるまい。ユダヤ人の歴史は、貨幣と世界との関係において、すべての者にとっての貴重な先駆者にすぎない。それは、ユダヤ人以外の人々、誰においても待ち受けることを、そのユダヤ人の歴史が教えてくれるからである。

 東洋において、今日もっとも約束されるディアスポラがある。まず、ユダヤ人よりも二〇倍も多い中国人、ユダヤ人よりも三〇倍豊かな中国人か、そのアイデンティティを守ることで、他人を食べさせていける能力を持つ家族、教育、努力に向かっている。

 明日、グローバリゼーションによってこうしたディアスポラ0数が増え、彼らを受け入れる国民の中で消えていくか、ときとして民族も、根も持たない新しい移民の出現でさらに増えるかもしれない。こうした変動するモザイクによって世界はつく屁れるだろう。このようなものとして世界を受け入れ、他人から期待できるものと、彼らが与えられるものを誰かに教えることでしか生き延びることにできない。

 少なくとも、ユダヤ人、世界、貨幣の歴史は、こうした教訓を教えてくれる。すべての人間は、救われるために他者を必要としているということである。
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ノマードがいなければ定住者もいない 継続すること

『ユダヤ人、世界と貨幣』ジャック・アタリ より 「申命記」一九四五年-……

ノマードは二つの炎に巻き込まれた。彼らは暴力による消滅の脅威を受けたか、脅威を生み出したのは、むしろ彼らを同化させた平和であった。継続するためには、永遠なものと変化するもの、短期的なものと長期的なものを混ぜていく必要がある。やがて歴史を通じてユダヤ人は七つの教えを理解した。それははっきりとはしていないか、しかしいつも適用されてきたものである。

追放から身を守るために集団で生きること。そこから共同体生活の厳密な組織、一人で祈ることの禁止、国際結婚の要求、そして、とりわけ連帯という苦痛の義務か生まれる。それは、「創世記」のこの戒め「諸君の家の扉を空けたままにし、貧しい人々を家族のメンバーとみなしなさい」、そして「レヴィ記」のもう一つの戒め「もし諸君の兄弟か従わないなら、もし諸君の富かぐらつくなら、外国人や、新たに来た者を支援しなさい。すると、彼は諸君とともに生きるだろう」という言葉ですべて説明されている。そして、結局同じ共同体のメンバーに「自らの利益と矛盾しないすべてのサービスを相互に与える」ことを要求することで、説明されている。すでに何世紀にもわたってそれか適用されてきたことを見てきた。

たえず警戒を怠らないこと、脅威を評価し、危険に際していつも準備すること。共同体は外の権力との関係を管理し、脅威に注意する義務かある。こうしてナーシ、太守、ナギド、シュタドランは、それぞれの国で定住者の政府と交渉する。

文化的遺産を次の世代に残すこと。世俗的であろうとユダヤ教的であろうと教育は最初の義務である。それはたえず繰り返される義務であり、書物、読書、作文に歴史上重要な役割か与えられる。

非常に厳格な道徳を課すこと。追放の口実、嫉妬を生み出さないためには、傲慢や非道徳的であってはいげない。タルムードにはいかに貨幣の要求にとらわれてはいけないか、道徳を優先しなげればならないか、いかに派手な祭りをしてはいけないか、いかに華美な支出をしてはいけないかか、詳しく書かれてある。なぜ定住者の財産、すなわち、土地や城を持ってはいけないか。なぜ富でいっぱいにしたり、見せびらかしたりしてはいけないか。ノマータの財産、すなわち、思想、書物、バイオリン、ダイヤモンドしか持つことかできない。タルムードはこう語っている。「多くの仕事をしたからといらて、すべてか賢人になるわけではない」と。

主人に迷惑をかけず、主人の法律を受けること、同時に、移り気にならず忠節を尽くすこと、命のため以外に信仰に対して嘘をつかず、二重性を受け入れること。だからユダヤ人だと自称しないマラノも、ユダヤ人であることを忘れることはない。だから、彼らは、受け入れてくれるすべての共和国に、絶対的な忠節を尽くさねばならない市民である。

外国のものを受け入れること、思想、外国の言語。とりわけユダヤ教に改宗した新しい人々を受け入れること。これは適用するには簡単ではない教えである。

新しい富を作ること、あるいは共同体のまわりの人々のために新しいサービスと進歩の担い手となること。けっしてすでに存在する富を奪って、富や力を形成してはならない。他人の利益にならないことは、自分にとっても利益にならない。他人の福利か自分に有利になるように。すべてをまとめた言葉か、「申命記」の中にある。「汝の力を尽くして神を愛すべし」。ラシ[トロワのユダヤ学者]は「いねば汝の富すべてを費やしてという意味である」と注釈をつけている。

こうした教えかなければ、ユダヤ人の共同体は間違いなく、彼らを追放する暴力に対しても、彼らを同化する定住政策に対しても、抵抗することかできなかったであろう。こうした教えによって、自らの存在理由を守ることかできた。二〇〇〇年前のままであれば、疑いなくそのアイデンティティを失ったであろう。一つの国に留まっていたら、中東の一つの民族となったであろう。ところか、アラブの民族のどれも生き残ることはなかった。皮肉なことに、ノマードを維持させた追放か、彼らを生き延びさせたのである。それぞれかユダヤ人であるという利益を持つことで、生き延びることかできたのである。

しかし、未来永劫彼らは同じであるということにはならない。一八○○年において、誰か、一九世紀にどんなことか起きるかを予測することかできたであろうか。そしてさらに、一九〇〇年において、二〇世紀に演じられる悲劇を誰が予測できたであろうか。

世界の重力の中心(少なくとも人口計画において)が新たに東へと進む一方で、イスラエルの歴史は、導きの役割を果たすことができることで、もう一度東洋と西洋との間の平和と進歩の仲買人の役割を演じるであろう。イスラエルの歴史が、そのアイデンティティを彼らが獲得した大地に制限しようとすれは、その歴史は失われる。イスラエルの歴史が、ユダヤ的道を進めば、人類の滅亡が起こるのを避けさせることができよう。
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消費者行動 拡張自己

『ソロモン消費者行動論』より 自己

本章の学習を通じて、以下のことを理解しよう:

 1.自己概念は、消費者行動に強い影響を与える。

 2.製品は自己概念を定義する上で、重要な役割を担うことがある。

 3.社会が期待する男らしさや女らしさが、購買決定に役立てられている。消費者がこうした社会の期待に応えようとするためである。

 4.自分の身体をどのように考えるかは、自尊心の中心的要素となる。そして、身体がどのようにあるべきかは、文化によって規定される。

 5.容姿に関する文化的な期待に応えようとすることは、害にもなりうる。

 6.どの文化も、体の装飾や部分的切除などの伝統を持つ。

拡張自己

 既に述べたように、消費者が自分の社会的役割を定義するために使う小道具や背景は、彼らの自己の一部になる。こうした自分の一部とみなされる外部のものが、拡張自己(extended self)を構成する。文化によっては、人は文字通り、物を自己に統合する。新しい所持品をなめ、征服した敵の名前を奪い取り、死者を所持品とともに埋葬したりする。

 通常、私たちはここまで極端なことはしないが、自分の持ち物を自分の一部であるかのように大切にする人はいる。実際、一部の人は、大事にしている製品の「狂信者」であるというレッテルを、自ら喜んで貼る。例えば、靴を考えてみてほしい。アメリカのトレンディドラマ、『セックス・アンド・ザ・シティ』の主人公キャリーでなくても、多くの人が靴に強いこだわりと愛着を感じているだろう。ある調査によれば、人は自分の靴を、シンデレラのガラスの靴のように、自分を変身させてくれる、魔法の象徴とみなしている。そして研究者は、消費者から集めたデータをもとに、女性は男性よりも、靴の象徴的な意昧合いに敏感であると結論づけた。また一般的に、若いときに手に入れた一足の靴--最初の革靴であれ、最初のハイヒールであれ、あるいは最初のカウボーイブーツであれ--は、人生のずっと後になってからも大きな影響力を持つ。

 もちろん、靴だけでなく、多くの物一個人の所有物やペット、国の記念碑や名所までーが消費者のアイデンティティ形成に役立つ。おそらく誰もが、自分の「分身」のように感じる大切な持ち物を挙げることができるだろう。それはお気に入りの写真かもしれないし、トロフィー、古いシャツ、車、あるいは猫かもしれない。多くの場合、寝室やオフィスに飾られているものを教えてもらうだけで、その人のかなり正確な「伝記」を書き上げることができる。また、自己概念に影響を与える上で、製品は必ずしも「強い」ものである必要はないことが示されている。ある実験では、ショッピングモールで、女性客に2つの買い物袋のうち1つを持って歩くように依頼した。アメリカの下着ブランド、ヴィクトリアズ・シークレットの袋を受け取った女性たちは、自分が官能的でグラマーな気分になったと言った。別の実験では、MBAの学生が、MIT (Massachusetts Institute of Technology ; マサチューセッツエ科大学)のロゴ入りのペンを使って、6週間ノートをとるように指示された。彼らは、学期の終わりに、自分が優秀になったような気がしたと報告した。

 拡張自己は4段階で表現される。それは非常に個人的な持ち物から、より大きな社会環境までと幅広い:

  1 個人レベル:消費者は、自己定義に多くの個人的な持ち物を含める。これらの製品には、宝飾品、車、洋服などが含まれる。「着るものがその人を表わす」という言葉は、持ち物がその人のアイデンティティの一部になっているという考えを示す。

  2 家族レペル:拡張自己のこの部分には、住居や家具などが含まれる。家は、家族の象徴とみなされる。そして住む場所は、自分が何者であるかの中心を成すことが多い。

  3 地域レベル:消費者が、自分のことを、住んでいる地域や故郷の町で表現するのも一般的である。この帰属意識は、農家など、コミュニティと密な関係を持つ住人にとって、特に重要だ。

  4 集団レベル:特定の社会的集団への愛着も、自己の一部とみなされる。消費者の「サブカルチャー」については、後の章で取り上げる。消費者は、名所、記念碑、スポーツチームなども拡張自己の1つと感じるかもしれない。
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