goo

未来のための「過去清算」

『グローバル・ジャスティス』より 歴史としての朝鮮半島と日本

世界史において、過去の植民地支配や戦争によって引き起こされた被害を清算することが重視され始めたのは、20世紀半ばを過ぎてからのことである。1948年の「ジェノサイド条約」は大量虐殺を犯罪とする考え方を国際人道法として確立した。第二次世界大戦において無辜の市民への被害が甚大であったために、国家間の「賠償(reparation)」よりも民間人の被害を償う「補償(compensation)」が重視されるようにもなった。日本でも1990年代以降、被害者の人間性の回復を含む「戦後補償」という概念が定着した。世界人権宣言など人権思想の深まりとともに、あらゆる国家暴力と人権侵害も「過去清算」の対象となった。

そして東西冷戦体制の崩壊した1990年代以降、ようやく植民地支配の清算が議論されるようになった。そこでは、「植民地(支配)責任」や「植民地犯罪」(植民地支配の過程で行われた住民に対する暴力、虐殺、侮辱行為、強制動員)などの概念が重視されている。

これまで「過去清算」という概念は、ドイツ(ナチスの戦争犯罪)、アメリカ合衆国(黒人への補償問題)、南アフリカ(アパルトヘイト問題)、韓国(植民地支配・戦争被害を含む国家暴力・人権侵害問題)などでの議論と実践を通して深められてきた。そのうえで今日「過去清算」とは、植民地支配・戦争被害を含むあらゆる国家暴力・人権侵害に対して、①真実究明、③責任追及(司法的処罰)、③被害に対する謝罪と名誉回復、④経済的補償、⑤教育、記憶(慰霊碑、記念碑、博物館など)、法的・制度的装置の整備を行っていくことだと考えられるようになっている。

前節で日本が周辺であることに向き合う必要性に言及した。周辺であることに向き合うと、おのずからこの「過去清算」にも目を向けなければならなくなる。これまで日本が韓国、北朝鮮への「過去清算」にどのように対して来たのか、簡単に見ておこう。

まず日韓の間では、1965年に日韓条約が締結されて国交が正常化された。この時に結ばれた日韓請求権協定では、日本側が韓国側に無償3億ドル、有償2億ドルなどの経済協力をすることにより双方の財産および請求権問題は「完全かつ最終的に解決された」とされた。しかしこの条約では、植民地支配・戦争被害の清算には一切言及されなかったのである。また、近年の日韓会談文書の公開により、当時の日本政府は植民地支配・戦争被害を清算する意思をもたなかったことが明らかにされており、やはり「過去清算」はなされなかったといわねばならない。

日韓条約締結後、日本政府の立場は少しずつ変化していく。1972年の日中共同声明で日本政府は、日本が戦争を通じて「中国国民に重大な損害を与えたこと」について反省を表明し、初めて過去と向き合う姿勢を見せた。1982年の歴史教科書問題では「宮渾官房長官談話」を出し、「韓国・中国を含むアジアの国々の国民に多大の苦痛と損害を与えた」ことへの反省を表明した。ただし、これらの声明と談話では、植民地支配については触れられなかった。

韓国での政治的民主化と東西冷戦体制崩壊後の1990年代初め、日本軍「慰安婦」ら植民地支配・戦争被害者が日本政府に補償を求める声を上げ、これを日韓市民が支援して「戦後補償」運動が本格化した。これに対して日本政府は1993年に「河野内閣官房長官談話」を発表し、日本軍「慰安婦」問題の調査を行い、旧日本軍の「関与」と「従軍慰安婦募集」の「強制」を認めて謝罪した。

日本政府は1995年に「村山談話」を出し、「植民地支配と侵略」によって、「アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛」を与えたことに対して「反省」と「お詫び」を表明し、植民地支配に対して初めて公式に謝罪した。この「村山談話」の内容が韓国に対して表明されたのが1998年の「日韓共同宣言」だった。そしてその後も日本政府は、植民地支配・戦争を反省する立場に立ち続けている。

それにもかかわらず今日問題となっているのは、「過去清算」において重要な真実究明に日本政府が積極的に取り組んでいないことであり、過去の問題は日韓請求権協定ですでに解決済みだとして、被害者らの国家補償要求を日本政府が拒否している点である。後者について日本政府は、日本軍「慰安婦」・在韓被爆者・サハリン在住韓国人・在日韓国人軍人軍属問題では「人道的見地」から特別措置を講じたが、それは国家補償を前提とするものではないとしてる。

これに対して韓国政府は、2005年に全面公開された日韓会談文書をもとに発表した「民官共同委員会」の決定で、日本軍「慰安婦」および原爆被害者問題は、日韓請求権協定では未解決であるとした。 2011年の憲法裁判所の判断は、韓国政府がその新しい立場に基づいて日韓間の交渉を行わず放置していることが憲法違反だとし、2012年の大法院判決は、日韓請求権協定では強制動員された労働者の未払い賃金などへの補償問題も未解決だと判断したのである。

朝鮮半島のもうひとつの国家である北朝鮮に対しては、2002年の「日朝平壌宣言」で、「日韓共同宣言」と同様に、植民地支配・戦争への反省と謝罪が盛り込まれたが、「過去清算」に関するいかなる措置も実施されていない。また、「日朝平壌宣言」に「人道主義的支援等の経済協力」等により「1945年8月以前に生じた事由に基づく両国及びその国民のすべての財産及び請求権を相互に放棄する」と規定されたが、これは1965年の日韓間の経済協力方式を踏襲するもので、被害者個人の補償問題を解決するものとはいえない。これについて北朝鮮側は、「経済協力」とは別途に被害補償を要求すると主張している。

韓国と北朝鮮の被害者や遺族らがもっとも強く求めているのは、植民地支配・戦争による加害、被害の真実究明と、それに基づく補償である。「過去清算」は。単なる過去の問題ではない。被害者の尊厳の回復のために必要であり、日本が東アジアの一員として他の地域の人々と共生していくためにも必要なことである。その意味で「過去清算」は未来のためのものなのである。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

共約不可能性を前提にしての共存の模索

『グローバル・ジャスティス』より イスラームと正義-共約不可能性と共存の可能性

共約不可能性を前提にしての共存の模索

では。両者は共存不可能なのだろうか。確かに。いずれか一方が他方を屈服させようとするならば。共存は不可能となるばかりか、さらなる衝突を引き起こす。共存可能性への第一の条件は、どれだけ気に入らなくても、相手の価値の体系を無理やり転換させようとしたり、転換させるために暴力を用いたりすることを断念することにある。さしあたって、イスラーム側は西欧近代の諸価値を変えさせようなどとは思ってもいないのであるから、暴力をもって転換を迫ってきたのは西欧世界の側である。西欧近代文明もイスラーム文明も、規範の体系である。どちらかの体系に属している人にとって、他方の体系を受け入れることは容易ではない。したがって。規範の基になる価値体系が、相互に決して交わることのない共約不可能なものであることを了解することが条件なのである。

この問題への答えのヒントは、先に挙げたオバマ演説のなかにある。イスラーム的諸価値と西欧近代が創出し、今日、非イスラーム社会では「普遍的」とされている価値を等価のものとして並置させ、相手の側に立つと宣言したのがオバマのカイロ演説である。わたし自身は、そこまでする必要はないと考える。オバマ大統領の場合は、ブッシュ前政権の敵対的政策を大転換したことをアピールする必要があったから、相手の価値体系の側に立ってみせたのである。実際には。その手前、すなわち相手(イスラーム)の規範を、彼らの価値体系に即して理解する訓練ができていれば共存への第一歩となる。具体例を挙げるなら。「イスラームのスカーフ」と決めつける前に、そして「女性抑圧の象徴」と断じる前に、着用しているムスリム女性の見解に耳を傾ければよいのである。驚くべきことに、これだけヨーロッパ中で大論争になったにもかかわらず、スカーフの意味をイスラームの文脈に即して理解したうえで議論を挑もうとする立場はほとんどなかった。このことは、西欧社会の学者が、ほとんど非宗教的な立場に立っていることと無関係ではない。世俗主義を支持する学者は、たいていの場合、敬虔な信徒の話を聞きたくないし。実際。聞こうとしないのである。

羞恥心の原点がイスラームにあるにせよ、羞恥心から着用する衣装を「脱げ」といってしまう暴力性を理解したうえで、実際の着用がパターナリズムによる強制であるならば、そもそもパターナリズムによって強制すること自体がイスラームに反すると批判することは十分可能である。前に書いたとおり、コーランにはスカーフやヴェールの着用について罰則規定がない。神の法において身体刑としての罰が規定されていないのであるから、着用自体の判断は女性個人に委ねられる。もし。着用しない妻に対して、夫や、社会や、国家が暴力で着用を強制しようとするならば、イスラーム法に反することになりかねない。コーランには、信徒に対して「無理強いをするな」という強制の禁止が何度も登場する。無理強いするよりも、慈悲深く対処した方が敬神の心が起きるとアッラー(神)自身が断言しているからである。

アフガニスタンのタリバンが女性の教育を弾圧したことについても、同じように対処することができる。イスラームには女性の教育に対する禁止規定などまったく存在しない。したがって、学校教育を受けようとする女子生徒を傷つける根拠などありえない。これもまた、女性に学問は要らない、家にいて家長たる男性に尽くせというパターナリズムの問題である。タリバンが支配権を握った1990年代の後半、この組織は。まだきわめて未成熟で、地方の部族長たちがタリバン支持を表明すると、彼らに統治権を認めてきた。部族社会そのものが強くパターナリスティックな性格を帯びていたため、不可解、かつイスラーム的にも許されない行為がタリバンの名の下に行われた。タリバン自身も急ごしらえの政権で、地方の統治にあたったメンバーには、恐ろしいほどに出来、不出来の差があった。イスラーム法に関する学識の乏しい者が、地方の指導者の歓心を買うために、イスラームを歪めて伝統と因習を肯定したのである。タリバンがイスラーム法による統治を唱えるのであれば、因習への迎合は断じて許されない。

現在、アフガニスタンではタリバンの復活が目覚ましい。これに対して、ブッシュ政権と同じロジックを用いて、タリバンは女性を抑圧するから「武力行使によって」排除しなければならないと主張するなら、女性の人権を人質にとって戦争を肯定することにほかならない。そうではなくて、タリバンの何がイスラーム法に適い、何かイスラーム法に反しているかを逐一調べ上げて批判すればよいのである。批判がイスラーム法に照らして妥当であれば彼らは改めるであろうし、もし改めないのであれば、単にイスラームを僭称する武装集団として非難することもできる。

そもそも民衆は、タリバンを似非イスラーム組織とみなせば離反してしまうので、タリバンが政権としての正統性を得ることは不可能になる。1990年代にタリバンが台頭した背景には。ソ連軍を追放した後の北部同盟政権(軍閥を率いる部族長たちの集まり)が。あまりに残虐で非道な行為で住民を苦しめたからにほかならない。イスラーム法による統治を名乗るタリバンの方が、まだしも秩序を維持しえたからこそ、民衆もタリバンを支持したのである。その後、タリバンが犯した過ちについては以上に述べたとおりである。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ワイマール共和国のハイパー・インフレーション

『金融の世界史』より 戦争と恐慌と

「インフレーションは課税手段として、大きな、いわば独占的な長所を持っている。このために、インフレーションは困難なあるいは絶望的な状況において再三再四採用される」(ヴィルヘルム・リーガー、ドイツの経済学者)

一九二〇年代のワイマール共和国(以下ドイツ)におけるハイパー・インフレーションは、第一次世界大戦中、あるいは戦後すぐに発生したものではありませんでした。ドイツが大戦中に投入した戦費は、イギリスやフランスとほぼ同額で、公債残高からみると戦前五〇億マルクに対して、戦後は一五六五億マルクに膨らみました。しかしインフレ率では、ドイツは終戦時点で戦前の二・四五倍であって、アメリカ二・○三倍、イギリス二・二九倍、フランス三・二五倍、イタリアの四・三七倍などと比較すると、むしろ抑制されたものだったのです。こうした事情もあり、ドイツ人は戦争に負けたという認識が薄く、軍は勝っていたのに中央の無能な文官たちの背後からの裏切りの一突きによって負けたという、「短剣伝説」が広く信じられていました。

有名なハイパーインフレは、①戦後の講和会議で天文学的な賠償金案が出された二九年一月、②賠償金額の確定後の二一年五月、③賠償の支払えないドイツに対する制裁として、フランス軍がルール地方に進駐した二三年一月から破綻に至る一一月までの三期において加速しました。この時代のドイツ政権では、今となってはなかなか信じられない事ですが、ドイツマルクの下落が常に先行していたために、国債の中央銀行引き受けによる過剰な紙幣発行がインフレの原因だとは考えていませんでした。物価が上昇しているので、紙幣が必要だと逆に考えていたのです。また産業資本家はその経験から、マルクの継続的な下落によってのみドイツ製品は市場で競争力を保てると考えていました。

正確にいえば、ドイツは戦争中から短期債を中央銀行にとりあえず引き受けさせ、後に長期国債の発行でこれを返済していくやり方でしたが、途中から国債が不人気で販売できなくなり、とりあえずのはずの短期債の中央銀行引き受けだけが増えて残ってしまったものです。この仕組み、が、際限なく紙幣を印刷させたのです。

一九年一月からのインフレでは、マルク安によってドイツ製品の輸出が好調となり、それに伴いアメリカ製品の輸入も増加しました。インフレ率は数倍程度で、当時のドイツは世界経済唯一の推進役とよばれるほど好調だったのです。失業率は低く、株価は名目値で上昇し、ベルリンでは高級ナイトクラブが何軒も新規オープンしていました。借金のできる者、事業家、貿易商は借入で実物や不動産に投資すればインフレにより返済が楽だったので、巨額の資産を作れたといいます。そしてユダヤ人の中にそれが目立ったのが、後のナチスの動きにつながります。一方で高級官僚や大学教授、年金生活者など固定給の中産階級は数倍のインフレによってすでに貧窮を極め、食料の入手さえ困難な状況になっていました。また労働組合は集団交渉力を生かしインフレ率に沿った賃金上昇交渉を繰り返し、知的労働者よりも肉体労働者の賃金が上回るようになりました。貨幣を貯めていても仕方がないことから人々は消費に走るようになり、マルク安から外国人の買い物客を呼び込みました。日本人はカメラを買い漁っていたそうです。

ドイツ国内では都市居住者の中に飢えが始まっていましたが、外国人には贅沢なグルメ旅行のできるパラダイスだったのです。しかし海外から見れば消費の盛んなドイツ経済は好調に見え、これが戦勝国フランスの復讐心に火をつけることになりました。また一時的にマルク安が改善されインフレが収まると、失業率と企業倒産件数が増加することがドイツ人の間に経験的に知られるようになります。インフレは、快感を伴う一時しのぎの麻薬のようでした。

二一年四月二七日に、ドイツの賠償額が確定しました。一二二〇億金マルクを年二〇億金マルクに分割して、さらにドイツの輸出額の二六%の関税を紙幣マルクで支払うというものでした。ここでの金マルクとは、一英ポンド=二〇・四二九で固定された金本位制時代の為替レートでしたが、紙幣マルクはすでにこの時点で一ポンドとの交換に二〇〇マルクが必要になっていました。

ドイツが賠償を返済するためには輸出を増やして外貨を獲得しなければいけませんが、領土の割譲によりその力は既に喪失していたのです。当時の中央銀行であるライヒスバンクに国債を引き受けさせ紙幣を刷り、マルクを売ることでしか、賠償のための外貨を調達できませんでした。マルクは二一年一〇月の一ポンド七一二マルクから二二年末には三万五〇〇〇マルクにまで暴落しました。

フランスのレイモン・ポアンカレ首相は、出身地のロレーヌ地方が普仏戦争と今回の大戦の二度にわたりドイツ軍に蹂躙されたために、人一倍復讐心が強く厳罰主義でドイツとの交渉に臨みました。この時の対処が、後のヒトラーの台頭とフランスヘの執拗な報復につながったといわれています。

二一年一月、ポアンカレはドイツの返済が滞るとルール地方接収のために、軍を進駐させました。これに対しドイツ政府は消極的対抗策に出て、ルール地方でストライキに入ったドイツ人労働者の人件費を国費で見ることにしたのです。政府はこれを中央銀行の国債引受でマネタイズ(通貨を増発)したために、さらなるインフレが進行しました。一月末の為替は一ポンド=二万七五〇〇マルクまで下落し、この時点でマルクの価値は既に戦前の一万分の一になりました。この年が、買い物にいくのに札束を積み込んだ「手押し車の年」と呼ばれる、ハイパー・インフレーションの年でした。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

岡崎図書館の10冊

狭く感じる理由

 なぜ、狭く感じるのか。他人の心を読もうとするからでしょうか。同じところに止まっているからなのか。旅をした時の感覚が欲しい。心のままに動けます。

 全てを知りたい。これをどのように形にしていくのか。そのために、狭いところには居たくはない。

『人口減少社会という希望』

 ローカルとグローバルにしたところからのロジック。これを展開している本を見つけました。なぜ、ローカルとグローバルなのかの入り口は違います。

 個人の心の中のローカルとグローバルである、存在と無には言及していない。数学の目的はすべてを知ること。そのための道具です。いかにコンパクトに全てを知るのか。そのためには、循環とかアナロジーとか考えること。

岡崎図書館の10冊

 302.5『したたかな国キューバ』

 364.1『人口減少社会という希望』

 361.5『日本文明』

 304『我を超えること』

 726.1『漫画家たちの戦争 戦場の現実と正体』

 140.1『自由と尊厳を超えて』

 222.5『真実の満洲史』

 159『ニューモラル 心を育てる言葉366日』

 134.4『対話 ヘーゲル『大論争』』存在の旅へ

 421.2『時間とは何か』心理的な時間から相対的理論まで なぜ年を取ると1年が短くなるのか? 私たちが感じる「今」は「過去」!? 時間に終わりはあるのか? タイムトラベルのパラドクスとは? 4次元旅行へ出発しよう! 銀河の中心まで20年で着く方法
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

解決策としての「節約」の限界

『環境情報学』より サステイナブルな社会を構築するための課題

省エネ・省資源は、今や生産者にとっての死活問題にもなりうる重要な課題である。電力会社自体が節電を推進するCMを提供し、消費者レベルでも3Rなどの掛け声で省資源への取り組みが行われている。社会全体として、省エネ・省資源への取り組みが非常に活発になっていることは確かだ。

しかし、そこには白々しさとも表現できる矛盾に満ちた雰囲気が漂っていることも否定できない。2008年秋以降の世界的大不況によって日本経済も大打撃を受けてきたが、現在多くの国民が一番に望むのは経済対策である。経済の落ち込みを如実に表すのが「モノが売れない」という経済の側面であり、所得低下や雇用不安に直結する。省エネ・省資源は重要だが、雇用不安の状況に陥れば、モノが売れるように国をあげて取り組むことが共通の目標となる。

自由経済社会においてはモノが売れなければ人々が困る。モノがよく売れると、資源・エネルギーを多く消費する。まさにトレード・オフの関係にあるかのように思われる。よって、省エネ・省資源と経済活性を両立する方策を見いだすことが、今後の地球環境問題の解決策になると考えることも可能であろう。そして、その解は「節約」ではない。

では省エネ・省資源と経済を両立するにはどうすればよいのだろうか。つまり、資源・エネルギーの消費を少なくして、金回りはよくなるという社会を作り出す方法はどのようなものであろうか。

現在、経済的悪環境の中、衣料品などの分野では低価格戦略が取り入れられている場合もあるが、これは国内経済全体として、また地球レベルでの環境影響の面でも決して好ましいことではない。生産拠点を開発途上国に移し、人件費や設備費等を抑えて低価格の大量販売体制を築く戦略は、一時的には一部関係者の利益を増しても、価格競争で淘汰される者を増大させて業界全体の活力を奪い、社会全体の活力低下に結びつく。そして低価格業者自身も将来的には行き詰まる。低価格戦略は顧客数を集中させることが前提条件であるため、経済停滞時の低価格戦略は特に社会的打撃が大きい。地球レベルでも省資源・省エネルギーと逆行することになる。

そうかといって、単純に商品の価格が上がることも望まれない。単なるインフレ状態では生活の質が低下するのみで、何の解決策にも繋がらない。消費者の満足度や生活の質を下げず、経済が停滞しないように、モノ・エネルギーの物流を少なくしなければならない。

この問題解決のためには、より良いものを高価格で少なく購入する消費が求められる。長持ちするやや高額なものを購入し、メンテナンスに対しても積極的に出費することが求められる。生産者は新品販売を縮小し、メンテナンス業に軸足を移していくことが求められる。

生産者は利益が得られるならば、新品販売重視であろうが、メンテナンス重視であろうが適応可能だろう。社会的に重要な雇用の側面からはメンテナンス重視の企業経営が望ましい。

問題は消費者側にある。安価なものを求めるのは消費者の本能に近い反応である。これに対して、どのように社会的にコントロールするのか、または消費者自らがセルフ・コントロールできるようにするのかが課題となる。消費者の価値観が変化すれば、必然的に生産者の対応も変化する。

最も重要なのは、消費者が省エネ・省資源の推進と経済の両立を遂げるためには、単純な節約では逆効果であって、より良いものを高く購入し、メンテナンスに金銭を投入して長く使うことが望ましいということを認識し、それに沿ったライフスタイルを実践することである。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )