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無印の5枚刃のはさみは1枚3分かかります。またゴミが増えた

未唯へ。実家を整理した時に、出てきた過去の資料を、2階の廊下に置いていたが、今日、整理を行いました。通行の邪魔をしてすいません。

76年~78年の資料です。当時は、バインダーに資料を貼り、京大ノートでメモを貯めていました。それらの資料のメモなどは全て、デジタルカメラで撮っておきました。当時はまだ、コンピュータで日本語が使えなくて、全て手書きです。

元の紙は廃却するために、シュレッダーをしないといけないと思ったら、無印のはさみをイメージしました。刃が5枚付いているものです。そうなるとたまらずに、全てを中断して、無印に直行しました。700円しました。ついでに、ユニクロで990円のシャツを2枚買いました。原色ではなく、柄物です。帰ってきて、シュレッダーしようとしたら、一枚の紙を切るのに3分ぐらいかかります。廃却したい紙は100ページを超えています。だから、手で破りました。「燃えるごみ」としてはこれで十分です。こうして、無駄なものが買われていくのです。

それらの京大ノートとかスクラップを見ていると、今考えていることと同じコトを考えていた。女性に関する認識も同じです。孤立の中で思考に救いを求めているのも同じです。それと旅に対する思いです。8日間日本一周とか、周遊券で東北、四国、北海道、そして権現不動の滝(上田近く)した時も、列車という、絶対的孤独のなかで考えたいというのが出発点でした。

だけど、コンピュータがなかったので、それぞれの言葉が文章になっていなかった。項目だけで、あとはイメージでつなげてきた。東富士のときに、20年前にマッキントッシュに出会った時に、これは私のために作られたものだと直感した。それぞれの言葉を見ることができるようになり、それらをつなげることで文章になっていった。まだまだ、世の中にはパーソナルコンピュータという言葉が珍しい時でした。

そのパソコンで、生まれてきた未唯に知恵を与えようとして、特殊なノートに様々な異なる情報を記入、貼り付けしてきた。それを雑記帳と命名した。紙で30冊、その後に、アウトラインプロセッサーで知識をデジタル化して、445号まで来ています。それらの思考の原点が、76年~78年の資料です。それを全て捨てました。それら全てを「未唯への手紙」に織り込みました。

こうやって見ると、私は本当に執念深いですね。
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