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なぜ、善が去って、悪が残るのか

未唯へ。明日から、また日常が始ります。あなたは4日から始っているけど。

小さな暖房ヒーターで、机の足元だけを暖めています。厚着と毛布で対応しています。あまりに寒いので、新しい居場所つくりを考え付きました。いすを外して、足元に下りて、座り込めば、ヒーターが側にくる。

早速、机の横に潜り込みました。なかなか、居心地がいいです。本当にこじんまりとします。脇の配線が気になったので、掃除しながら束ねると同時に、使っていない電源を切りました。今年最初のエコライフです。

かぶりつきの巻寿司を食べながら、市役所の前の歩道脇に座って、「なぜ、善は去って、悪が残るのか」と考えていました。「お仕事」で、何が変わってくるのかを考えていたら、上記の命題が出てきました。室長はなんやかんや言っても前向きでいい人でしたね。おかげで、販売店インフラのネットワーク、衛星配信、ポータルも構築でき、ヨーロッパとか中国にも会社のお金で行けました。そこから得たものは大きいです。

彼は多方面にあやまりを入れていました。だけど、悪の張本人たちは相変わらずに残っています。「そんなの関係ない」みたいな様相です。逃げ足の早い連中です。そんな連中はピラニアと思ってムシするとして、「なぜ、善が去って、悪が残るのか」という命題に対しては、個人の問題というよりも、組織の人たちが中途半端にグローバルを求めたのが原因のような気がします。グローバルを志向すれば志向するほど、悪の道に入ります。全体が分からなくなるので、自分の近くの人間だけを頼りにして、全体をカバーしようとします。ローカルでないので、誰を幸せにしたいのかの意識はまるでありません。

そこにムリが発生します。元々はピラニアレベルだから、アマゾン川全体とか、地球のことを考えることができるはずがありません。その辺の魚に食らい付くしかできません。

善を生かすためには、ローカルを目指すしかありません。毛沢東も四川省の田舎では「いいおじさん」だったけど、全土掌握後には悪の道にはまりました。ローカルでの循環を基本に考えいけばいいのです。アマゾン川全体は私が見ますから。

朝の床の掃除が祟り、鼻の穴がむずかゆいです。風邪と思われて、嫌な思いをさせそうだから、老人ホームに行くのは止めました。

明日から、流れに任せて、おとなしくしていましょう! 
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