goo

「考える日々」と便秘は無関係

未唯へ。今日は歩いて5分以内のスギ薬局とサイゼリアしか出かけていません。というよりも、出て行けなかった。便秘がひどくて、トイレに3時間居て、どうにもダメだったので、「イチジク浣腸」を買いに行きました。

そのアトは、当然、下痢状態でした。だから、サイゼリアで読書です。池田晶子さんの『考える日々Ⅰ・Ⅲ』104イケをシュリンプ(昼飯)を食べながら、フリードリンクでお腹に水系を流し込んでいました。そのアトに、『考える日々』のテキスト化作業を行いました。

ずっと、家に居ると時間が儲かった気分になります。まあ、月曜日も休みだから、母親訪問はそちらで行いましょう。

だから、今日は『考える日々』の分析です。キーワードを綴ってみました。
 ・二千年と言ったって、「宇宙の側から見てみれば」、たったの二千年である。
 ・この惑星の、この人生に、しがみついているのだろうか
 ・この不可解さが、快なのである
 ・あなたみたいのは突然変異だと言われることもあるが、それなら、あらゆる人間は突然変異である。
 ・余生を生きている廃人の口から、毎週毎週よくも偉そうな言葉が出てくるな。
 ・宇宙を知りながら人の世を生きるなんてのは、修行以外の何ものでもないのだから、自信をもって生きて下さい。
 ・そもそも「自分の子供」という観念を所有したことがないためである。そもそも「自分の子供」という観念を所有したことがないためである。
 ・私は、「自分の子供」という観念を所有してないのと同じく、「ライフプラン」という観念をもまた所有していないからである。
 ・「考えれば」書けるようなことしか書いていないので、ちっとも苦にならないのである。
 ・エッセイを書くためには、思考と言葉とがあれば足りるわけで、その本質に至るための「ネタ」はあってもよいが、なくてもよく、なければないで、思考は自分自身の中に、いくらでも新しい「ネタ」を発見してゆけるものなのである。
 ・個と全体というのは、その精神性において絶対に別々ではあり得ないのだから、全体の失敗は自分の失敗である。
 ・自分がより賢明に生きるために必要なものは、真実の知識、内なる知恵であって、巷間に出回る情報の類ではない。
 ・自分の思考が、思考の対象もしくは自身を、刻々と切開してゆくのを、はっきりと自覚できるのである。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )