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14歳へのメッセージ再考

未唯へ。中学の時には何を考えていました? あなたは今でもポケモンが大好きですよね。ポケモンは旅に出たけど、あなたは本当の旅には出ていませんね。出られると寂しいけど。

「差がつく読書」019.12を読んでいる時に、読後感想のサンプルとして、池田晶子さんの『14歳からの哲学』が載っていました。私が中学の時を思い出すような文章です。

『14歳からの哲学』100イケ 2003年3月

「日常の光景から宇宙の果てのことまで考えてきて、さて、君は、再びこの日常、この人生を、これからどんなふうに生きてゆくのだろうか。」

「「存在する」ということは、奇跡だ。存在する限りあらゆることが奇跡であり、したがって謎なのだという絶対の真理を手放さないのであれば、君は、これからの人生、この世の中で、いろいろあるけれども、悩まずに考えてゆくことができるはずだ。そのためにこそ、人間には、考える精神があるんだ。考えたけれどうまく考えられない、そういう人だって、かまわない、生(ある)と死(ない)の謎を感じて、その謎を味わいながら、大事に人生を生きてゆけばいい。真理は、すべての人の内に等しくあるものだから、そのことを信じてさえいるなら、大丈夫だ。」

「真理は、君がそれについて考えている謎としての真理は、いいかい、他でもない、君自身なんだ。君が、真理なのだ。はっきりと思い出すために、しっかりと感じ、そして、考えるんだ。」

本当にいい文章です。だけど、今の中学生に本当に伝わってるのか? そして、本来、考えるべき大人に伝わっているのか? 中学の時に考えたこと、人生の宿題になっていることを安易に片付けて、日常生活だけになっていないだろうか? 

今は、そんなことも語る相手がいません。じっくり、語れるのはOZさんだけです。エコットで、本当の中学生に聞いてみたい気がします。人生を考える14歳ならば、何かが返ってくると思います。それができないので、まとまった形でブログを書き、「未唯への手紙」で伝えるしかないのでしょう。

この時の思いが「孤立と孤独」の私のベースを作り、数学に真理を求めて、デカルトのように、会社という、社会への旅に出ました。それから、30年以上経ちました。急ぎはしないけど、自分のなかの結論をつけていきます。

時空を超えられる本はすばらしいですよね。
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