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ラトヴィアの歴史に興味が出てきた

未唯へ。差し歯を支えている歯がダメになりそうです。月曜日には栄の歯医者に電話します。あまり好きな歯医者ではありません。

今週もオーガニックの食べ放題で1時間半過ごしました。何回も行っているのに、相変わらず、マニュアル通りの応対です。スタバなどは、「人を覚える」という教育をしているのと大違いです。マニュアルのレベルと教育の徹底がお客様への感覚を変えることを痛感しています。

そこで読んだ本はバルト三国歴史紀行の『ラトヴィア』263.88ハラ2と『リトアニア』263.88ハラ3です。リトアニアは万博のパビリオンに24回通ったこともあり、歴史は知っていましたが、今回はラトヴィアの歴史をかなり細かく知ることができました。ソ連時代にモスクワ、ペテルスブルグにつぐ、第三の百万都市のリーガがあったことで対ロシアの歴史を複雑にしていた。バルト三国のなかでロシアを一番憎んでいます。バルト三国それぞれはロシア奥地に追放されたが、ラトヴィアには、その穴埋めでロシア人が大量に入居した。魅力になかったリトアニアはあまり入ってこなかった。

フィンランドに行った時に、ラトヴィア人はだらしがないという話を聞きました。この本でその謎が少し解けました。

「ロシア革命に対して、ロシア・ボリシェヴィキと一緒になったラトヴィア・ソヴィエトのボリシェヴィキ軍が創設されて、ドイツ軍と戦った」。この時点ではドイツ帝国は崩壊していたが、イギリスとフランスは共産勢力のヨーロッパへの波及を恐れて撤退させなかった。」負けたのに戦っているという、すさまじい構図です。

「ドイツ軍を補強するために、フィンランドでのボリシェヴィキとの戦いで勝利の経験のあるドイツ人のゴルツ将軍が参戦した」フィンランド・ボリシェヴィキはあっさり排除されたことはフィンランド史で知っていました。この記述で、ドイツ-フィンランド-ラトヴィア-ロシアがつながりました。あまりにも、ラトヴィアはロシアに近かったのです。

いつ、行けるのかな?

食事の後に、老人保健施設を訪問した。土日の習慣です。母親も「腰が痛い」を繰り返しています。そして、トイレ行く時も一苦労です。トイレに行く途中だったので、車椅子を黙って押したら、私と分からずに恐縮していました。ベットに帰ってきて、あとは寝ていました。隣で15分ぐらい読書して帰りました。
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