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東富士のハーさんの娘さん

未唯へ。あなたの小学校の校歌の出だしは「富士山おはよう、朝の道…」だったと覚えています。今年の富士山は雪が多いそうです。裾野は本当に雪遊びには最適でしたね。

東富士時代の終わりぐらいに、「お気に入り」だったHASさんが突然、私の席に現れました。びっくりして、私は座ったままで、彼女は立ったままで話していました。こういう時にちゃんと対応しないといけないのですが。おかげで、会議を一つサボりました。よく訪ねてくれました。最初は顔と名前が結びつかなかった。

東富士からの送別会のことはしっかり覚えています。NAKさんが送別会をセットしてくれました。私の希望は、二人だけでしたいと思ったけど、そんなことはかなうはずがありません。NAKさんは私が「お気に入りの女性」を呼んでくれて少人数での送別会です。本当に楽しかった。組織での送別会はあったかどうかも覚えていません。その時の「お気に入り」の一人がHASさんでした。

東富士へ異動したときの課長が彼女の父親でした。何しろ、一人1テーマで、自分でテーマを考えて、実績を出せ、という技術の最先端の部署でした。INO次長からは、私は「数学者の戻れ」と言われました。その通りにしました。知恵が生かせる部署でした。この会社にこんな組織があるなんて、夢見たいでした。HAS課長から借りたパソコンで、技術部主催のゲームソフトの大会で、準優勝をしました。7年前になくなられたときは、名古屋に異動後で、連絡が入ったが遅くていけませんでした。

HASさんは、私が雑記帳をつけていたことも覚えていてくれました。やはり、こういう女性には心が落ち着きます。その雑記帳がカタチを変えて、ブログになっているので、ブログの名刺を渡しました。

あわせて、NAKさんにつなげてもらえるように頼みました。実はこちらが本命です。ごめんなさい。12年前には技術部のSIRさんが仲介してくれて、NAKさんとメールを開始しました。かなり、頻繁だったけど、5年ぐらい経った、ある日にメール断になりました。

今回、つながったときには、ぜひとも「ヤッホー」から始めてもらいたい。この言葉には思い出があります。NAKさんが他部へ異動後のメールの出だしです。隣の席にいても話せなかったのに、その一言で全てが変わりました。メールのすごさを18年前に味わいました。
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