3連休初日の10月11日は、宇治山田まで行った後、鳥羽まで行き、近鉄志摩線で賢島まで足を伸ばしました。近鉄志摩線は運転系等上の呼び名では、賢島線と呼ばれています。
この線の歴史は、昭和4(1929)年に志摩電気鉄道として開業し、三重交通⇒三重電気鉄道を経て昭和40(1965)年に近鉄へ合併されています。
その後、昭和45(1970)年3月に標準軌化と架線電圧の1500V昇圧が完成して、鳥羽線と直通運転を開始しています。それまでは狭軌で鳥羽から先は完全に別路線と言う感じだったのです。
この直通運転が開始されたニュ-スとかは、当時近鉄も大々的にアナウンスしていたので、鉄道に興味を持ち写真を撮影しだした頃の高校生であった私も、よく覚えていますね。
現在も単線区間は残るものの、平成4-5年にかけて沿線各所で複線化が完成し、また加茂⇔五知間に青峰トンネルが完成してスピ-ドアップが図られました。
私がこの線を始めて乗ったのは、伊勢志摩ライナ-(23000系)が出来た平成6年でした。その時に賢島から難波まで長男と二人掛け個室に乗りました。大きな窓で展望が良かったのを覚えています。
↓写真は賢島駅ですが、5番ホ-ムまである大きな駅で表口には大きなバスタ-ミナルも併設されていて志摩観光の玄関口にふさわしいです。下の写真は反対側の海側の出口で英虞湾めぐりの観光船乗り場もすぐです。
↑10月11日 近鉄志摩線終点 賢島駅
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この線の歴史は、昭和4(1929)年に志摩電気鉄道として開業し、三重交通⇒三重電気鉄道を経て昭和40(1965)年に近鉄へ合併されています。
その後、昭和45(1970)年3月に標準軌化と架線電圧の1500V昇圧が完成して、鳥羽線と直通運転を開始しています。それまでは狭軌で鳥羽から先は完全に別路線と言う感じだったのです。
この直通運転が開始されたニュ-スとかは、当時近鉄も大々的にアナウンスしていたので、鉄道に興味を持ち写真を撮影しだした頃の高校生であった私も、よく覚えていますね。
現在も単線区間は残るものの、平成4-5年にかけて沿線各所で複線化が完成し、また加茂⇔五知間に青峰トンネルが完成してスピ-ドアップが図られました。
私がこの線を始めて乗ったのは、伊勢志摩ライナ-(23000系)が出来た平成6年でした。その時に賢島から難波まで長男と二人掛け個室に乗りました。大きな窓で展望が良かったのを覚えています。
↓写真は賢島駅ですが、5番ホ-ムまである大きな駅で表口には大きなバスタ-ミナルも併設されていて志摩観光の玄関口にふさわしいです。下の写真は反対側の海側の出口で英虞湾めぐりの観光船乗り場もすぐです。
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