筑豊電鉄で、熊西から黒崎駅前まで来て、またJRに乗りました。帰りの新幹線指定席の時間までまだあったので、JR鹿児島本線で博多まで戻ることにしました。
途中古賀駅で少しJR車両を撮りました。↓白いかもめ…ではなくて、白いソニックです。

↑7月18日 JR鹿児島本線 古賀駅にて 885系
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↑貨物列車もやってきました。ED76の牽引です。この後も青いソニック(883系)が通るので待っていましたが、ちょっとしたハプニングがあって上手く撮影できませんでした。
追伸 昨晩は久しぶりにカラオケを楽しみました。横浜からこられている方と地元西宮の方とシダックスで3時間ぶっ通しで歌い続けました。母校も甲子園で一勝しましたし、祝勝会を兼ねて声を張り上げ気持ちよかったです。

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途中古賀駅で少しJR車両を撮りました。↓白いかもめ…ではなくて、白いソニックです。

↑7月18日 JR鹿児島本線 古賀駅にて 885系
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↑貨物列車もやってきました。ED76の牽引です。この後も青いソニック(883系)が通るので待っていましたが、ちょっとしたハプニングがあって上手く撮影できませんでした。
追伸 昨晩は久しぶりにカラオケを楽しみました。横浜からこられている方と地元西宮の方とシダックスで3時間ぶっ通しで歌い続けました。母校も甲子園で一勝しましたし、祝勝会を兼ねて声を張り上げ気持ちよかったです。


2006/10/17付ブログにも書いているのですけど、↓このキハ31形という車両は好きです。九州にしか走っおらず、昭和61年より昭和63年にかけて23両製造され、小所帯ですけどユニ-クな存在です。
昭和62年の国鉄分割民営化に先立ち、九州地区の老朽車両の取替えを促進し、経営基盤の整備を図る目的で製造された車両です。
エンジンの250PS化と車体の短縮(20m⇒17m)やステンレス化などの軽量化により性能向上が図られていて軽量ステンレス車体を採用しています。
JR筑豊本線も若松⇔折尾間と桂川⇔原田間は、非電化のままですのでその区間では、このキハ31形が活躍しています。

↑7月18日 JR筑豊本線 直方駅にて キハ31形
追伸本日は3週間ぶりに鉄道写真撮影に出かけます。青春18切符で伊賀上野経由で伊賀鉄道へ行く予定です。

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昭和62年の国鉄分割民営化に先立ち、九州地区の老朽車両の取替えを促進し、経営基盤の整備を図る目的で製造された車両です。
エンジンの250PS化と車体の短縮(20m⇒17m)やステンレス化などの軽量化により性能向上が図られていて軽量ステンレス車体を採用しています。
JR筑豊本線も若松⇔折尾間と桂川⇔原田間は、非電化のままですのでその区間では、このキハ31形が活躍しています。

↑7月18日 JR筑豊本線 直方駅にて キハ31形
追伸本日は3週間ぶりに鉄道写真撮影に出かけます。青春18切符で伊賀上野経由で伊賀鉄道へ行く予定です。


福北ゆたか線を直方駅でおりましたが、時間が止まっているような感じがしましたね。筑豊本線で石炭輸送が盛んだった頃のノスタルジア感じる駅です。
電線が張られ大きく時代が変わって博多への通勤特急「かいおう」が走るようになった現在でも、昔のイメ-ジはそのまま残っていますね。

駅舎も昔のままのようです。調べてみると駅本屋は明治時代に建築された木造駅舎で、初代博多駅の駅本屋を移築したものと伝えられています。
ネオ・バロック様式の駅舎としては九州最古で、正面の車寄せには古代ギリシャ建築、エンタシス風の柱が立っていて、明治からの歴史を感じさせますね。
筑豊の中心都市の代表駅としての風格は充分です。このまま残っていて欲しいと思いました。


↑7月18日 JR筑豊本線 直方駅

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電線が張られ大きく時代が変わって博多への通勤特急「かいおう」が走るようになった現在でも、昔のイメ-ジはそのまま残っていますね。

駅舎も昔のままのようです。調べてみると駅本屋は明治時代に建築された木造駅舎で、初代博多駅の駅本屋を移築したものと伝えられています。
ネオ・バロック様式の駅舎としては九州最古で、正面の車寄せには古代ギリシャ建築、エンタシス風の柱が立っていて、明治からの歴史を感じさせますね。
筑豊の中心都市の代表駅としての風格は充分です。このまま残っていて欲しいと思いました。


↑7月18日 JR筑豊本線 直方駅


まだ7月18日(土)の話が続きますけど、最近2週間は撮影に出かけておりませんので古い話で、ご容赦ください。
昨日ブログで書いた長者原駅からは、福北ゆたか線に乗りました。

↑電車の側面にも表示されている福北ゆたか線って関西の人には馴染みない路線名ですよね。
JR博多駅の次の駅吉塚駅からJR篠栗線へ入り、長者原、桂川と進み、桂川からはJR筑豊本線で飯塚、直方と進み、JR鹿児島本線の折尾に至る線を福北ゆたか線と呼んでいます。
ココで走っている最新車両は817系で、車内は木目調と黒のレザ-貼りです。


↑ 7月18日 JR福北ゆたか線 直方駅にて 817形
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昨日ブログで書いた長者原駅からは、福北ゆたか線に乗りました。

↑電車の側面にも表示されている福北ゆたか線って関西の人には馴染みない路線名ですよね。
JR博多駅の次の駅吉塚駅からJR篠栗線へ入り、長者原、桂川と進み、桂川からはJR筑豊本線で飯塚、直方と進み、JR鹿児島本線の折尾に至る線を福北ゆたか線と呼んでいます。
ココで走っている最新車両は817系で、車内は木目調と黒のレザ-貼りです。


↑ 7月18日 JR福北ゆたか線 直方駅にて 817形
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全国のJR路線が何本あるのかよくわからないですけど、路線と路線の接続駅で二つの路線が上下で交差しているところは少ないと思います。たいていの場合平行していますからね。
7月18日(土)にJR香椎線の和白駅から乗車して、次に乗換えた長者原駅はその二つの路線が上下で交差している接続駅です。
↓写真は乗ってきたJR香椎線のディ-ゼルカ-で高架の駅に停車していますね。その右側に見えるのがJR篠栗線で地上を走っていて、その上をほぼ90度で交差しています。

↓今度は地上のJR篠栗線からみた駅の様子です。高架の駅本屋の向う側にJR香椎線のホ-ムがあります。元々は駅がなく二つの路線は交差しているだけでした。

ご覧のようにJR篠栗線用の島式1面2線とJR香椎線用1面1線ホームがほぼ直角に立体交差している駅ですが、JR篠栗線の原町駅との距離が余りに短い(1km以下)為、地元から要望されつつも国鉄時代には建設が実現しませんでした。
当駅が設置されたのは、JR九州が成立した直後の昭和63(1988)年3月の事でした。以前はJR篠栗線側も1面1線でしたが、平成13(2001)年10月6日の電化(福北ゆたか線)にあわせて交換設備が設置された1面2線ホ-ムとなりました。
二つの路線がほぼ直角に立体交差している駅はJRでも珍しいので紹介しました。

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7月18日(土)にJR香椎線の和白駅から乗車して、次に乗換えた長者原駅はその二つの路線が上下で交差している接続駅です。
↓写真は乗ってきたJR香椎線のディ-ゼルカ-で高架の駅に停車していますね。その右側に見えるのがJR篠栗線で地上を走っていて、その上をほぼ90度で交差しています。

↓今度は地上のJR篠栗線からみた駅の様子です。高架の駅本屋の向う側にJR香椎線のホ-ムがあります。元々は駅がなく二つの路線は交差しているだけでした。

ご覧のようにJR篠栗線用の島式1面2線とJR香椎線用1面1線ホームがほぼ直角に立体交差している駅ですが、JR篠栗線の原町駅との距離が余りに短い(1km以下)為、地元から要望されつつも国鉄時代には建設が実現しませんでした。
当駅が設置されたのは、JR九州が成立した直後の昭和63(1988)年3月の事でした。以前はJR篠栗線側も1面1線でしたが、平成13(2001)年10月6日の電化(福北ゆたか線)にあわせて交換設備が設置された1面2線ホ-ムとなりました。
二つの路線がほぼ直角に立体交差している駅はJRでも珍しいので紹介しました。


西鉄貝塚線香椎花園前から和白へ行きました。和白はJR香椎線と接続駅です。西鉄とJRの線路が並んでいます。
JR香椎線は海ノ中道線とも呼ばれ、ここから玄界灘に突き出た半島を雁ノ巣、海ノ中道を通って西戸崎まで走っています。
↓JR香椎線の和白駅に停車中のキハ47形ですけど、写真右側に見えている和白の駅名表示板は西鉄貝塚線のもので駅はひっついています。

↑7月18日 JR香椎線 和白駅 キハ47形
↓また、車体塗装が、AQUA LINER(アクアライナー)仕様となっているキハ47形もやってきました。 西鉄貝塚線の下をくぐって西戸崎方面へ通じています。

↑7月18日 JR香椎線 奈多⇔和白間 キハ47形9000番代

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JR香椎線は海ノ中道線とも呼ばれ、ここから玄界灘に突き出た半島を雁ノ巣、海ノ中道を通って西戸崎まで走っています。
↓JR香椎線の和白駅に停車中のキハ47形ですけど、写真右側に見えている和白の駅名表示板は西鉄貝塚線のもので駅はひっついています。

↑7月18日 JR香椎線 和白駅 キハ47形
↓また、車体塗装が、AQUA LINER(アクアライナー)仕様となっているキハ47形もやってきました。 西鉄貝塚線の下をくぐって西戸崎方面へ通じています。

↑7月18日 JR香椎線 奈多⇔和白間 キハ47形9000番代


本日7月19日は、土用の丑の日らしいです。と言うことで「うなぎ」の話です。昨日はブログに少し書いていたように朝6時新大阪発ののぞみで博多まで行ってきました。
博多近辺をウロウロした後、昼食に所望したのが、この↓うな丼でした。

これで、値段の方は1100円と非常にリ-ズナブルでした。うなぎはフックラしていて焼きかげんもよく、とても美味しかったですよ。
写真でお判りのように、うなぎの肝吸いとお漬物、メロンも付いていました。特にお漬物は、自家製の古漬けが、たっぷり皿に盛られていて、うなぎとともに堪能しました。

↑食べたお店は、JR筑豊本線の直方駅前にあるかなり寂れた商店街を入ったところにある元禄寿司というところでした。
特にグルメ情報誌に載っているわけでもないですけど、かなりお味はグ-でしたね。同行した3Keitou氏も満足されていました。
土用の丑の日にちなんだ話題をお届けしましたけど、何もこのうな丼を食べるのを目的に九州まで行ったわけでは、ありません。
腹ごしらえしてから、直方では↓コレを撮影しました。

↑ 7月18日 筑豊電鉄筑豊線 筑豊直方⇔感田間
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本日は、富山へまた行きます。サンダバ-ド1号に乗る予定ですけど、指定券が満員で取れなかったので自由席利用です。早く大阪駅へ行って並ばないといけないです。
博多近辺をウロウロした後、昼食に所望したのが、この↓うな丼でした。

これで、値段の方は1100円と非常にリ-ズナブルでした。うなぎはフックラしていて焼きかげんもよく、とても美味しかったですよ。
写真でお判りのように、うなぎの肝吸いとお漬物、メロンも付いていました。特にお漬物は、自家製の古漬けが、たっぷり皿に盛られていて、うなぎとともに堪能しました。

↑食べたお店は、JR筑豊本線の直方駅前にあるかなり寂れた商店街を入ったところにある元禄寿司というところでした。
特にグルメ情報誌に載っているわけでもないですけど、かなりお味はグ-でしたね。同行した3Keitou氏も満足されていました。
土用の丑の日にちなんだ話題をお届けしましたけど、何もこのうな丼を食べるのを目的に九州まで行ったわけでは、ありません。
腹ごしらえしてから、直方では↓コレを撮影しました。

↑ 7月18日 筑豊電鉄筑豊線 筑豊直方⇔感田間
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本日は、富山へまた行きます。サンダバ-ド1号に乗る予定ですけど、指定券が満員で取れなかったので自由席利用です。早く大阪駅へ行って並ばないといけないです。
6月20日、山川温泉へ行った時のことですけど、由布院からの道すがら国鉄の廃線跡を弊走しました。
大分県玖珠郡九重町の九大線恵良駅から熊本県阿蘇郡小国町の肥後小国駅までを結んでいた、旧国鉄の鉄道路線=宮原線です。
昭和55(1980)年の国鉄再建法の施行を受け、第一次特定地方交通線として昭和59(1984)年に全線が廃止されました。なお、線名の宮原(みやのはる)とは、終点の肥後小国駅のある阿蘇郡小国町の字名です。
実は、この宮原線私の乗車地図によると昭和51年に乗ったことになっているのですが、記憶がほとんどありません。確か当時もう朝夕しか列車が走っておらず乗り難い路線であったことは、おぼろげに覚えております。
↓この橋は、汐井川橋梁と呼ばれていた橋で、国道387号線から山川温泉方面へ入るところにありました。今も列車が走って来そうな雰囲気でしたね。

↑ 6月20日 旧宮原線 汐井川橋梁
↓ 廃止された駅のホ-ムも残っていました=北里駅です。ホームが保存され、地元の特産品や野菜を売る店が隣に建っていました。
ホームの上屋とベンチは廃止後、新設されたもののようでした。

↑ 6月20日 旧宮原線 北里駅跡
廃止された鉄道の廃線跡を探訪する廃線マニアと呼ばれる鉄道マニアもけっこうおられるようですが、私は特別それだけを目的として廃線跡を訪ねることは、ないでけすど… 温泉旅行の途中ですけど、こういうのも面白いなぁ~と感じました。

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大分県玖珠郡九重町の九大線恵良駅から熊本県阿蘇郡小国町の肥後小国駅までを結んでいた、旧国鉄の鉄道路線=宮原線です。
昭和55(1980)年の国鉄再建法の施行を受け、第一次特定地方交通線として昭和59(1984)年に全線が廃止されました。なお、線名の宮原(みやのはる)とは、終点の肥後小国駅のある阿蘇郡小国町の字名です。
実は、この宮原線私の乗車地図によると昭和51年に乗ったことになっているのですが、記憶がほとんどありません。確か当時もう朝夕しか列車が走っておらず乗り難い路線であったことは、おぼろげに覚えております。
↓この橋は、汐井川橋梁と呼ばれていた橋で、国道387号線から山川温泉方面へ入るところにありました。今も列車が走って来そうな雰囲気でしたね。

↑ 6月20日 旧宮原線 汐井川橋梁
↓ 廃止された駅のホ-ムも残っていました=北里駅です。ホームが保存され、地元の特産品や野菜を売る店が隣に建っていました。
ホームの上屋とベンチは廃止後、新設されたもののようでした。

↑ 6月20日 旧宮原線 北里駅跡
廃止された鉄道の廃線跡を探訪する廃線マニアと呼ばれる鉄道マニアもけっこうおられるようですが、私は特別それだけを目的として廃線跡を訪ねることは、ないでけすど… 温泉旅行の途中ですけど、こういうのも面白いなぁ~と感じました。


今日から7月ですね。と言うことは、今年も半分過ぎたことになりますね。あっと言う間…というのが実感です。
さて由布院での話題の続きですけど、由布院と言えばコレですね「ゆふいんの森」です。登場以来20年になりますけど、今やJR九州の顔と言えるリゾ-ト特急です。
↓この車両は新型のキハ72系の方で、ほとんど外観は旧型のキハ71系と変わりませんが、旧型のキハ71系が急行用のキハ58系・キハ65系を改造した車両であるのに対して、こちらのキハ72系は、「ゆふいんの森3世」という俗称もある新造車です。
ヨーロピアン調のハイデッカー車 で、木をふんだんに使ったナチュラルなインテリアの車内は森の別荘にでもいるかのような自然あふれる空間を演習しています。

↑ 6月21日 JR九大本線 由布院⇔野矢間
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さて由布院での話題の続きですけど、由布院と言えばコレですね「ゆふいんの森」です。登場以来20年になりますけど、今やJR九州の顔と言えるリゾ-ト特急です。
↓この車両は新型のキハ72系の方で、ほとんど外観は旧型のキハ71系と変わりませんが、旧型のキハ71系が急行用のキハ58系・キハ65系を改造した車両であるのに対して、こちらのキハ72系は、「ゆふいんの森3世」という俗称もある新造車です。
ヨーロピアン調のハイデッカー車 で、木をふんだんに使ったナチュラルなインテリアの車内は森の別荘にでもいるかのような自然あふれる空間を演習しています。

↑ 6月21日 JR九大本線 由布院⇔野矢間
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