みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

ファラオの沈黙

2024年04月15日 | 出エジプト記

出エジプト記 11章

 土曜日からスイスを訪ねています。親しい方々とのいっしょの食事は、おいしさを一層引き立てるのですね。良い時間をくださったお一人びとりに、そして何よりも神さまに感謝です。

 4節に「わたしはエジプトの中に出ていく」とあります。これまでのわざわいは、主がモーセとアロンによって行われたものです。けれども、これから主がエジプトに下そうとしているわざわいは、主なる神がご自分で行うものです。ここを読んで、「生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです」というヘブル人への手紙10章31節のことばをおぼえます。

 そして、このことを思えば思うほど、「生ける神の手の中に陥る」ことがないようにと、主イエス・キリストが十字架にかかって私たちの代わりに、死んでくださったことを思うのです。

 また、8節の「…モーセは怒りに燃えてファラオのところから出ていった」ということばに目が留まります。これまでは、神のことばを届けるモーセとアロンに、ファラオ心を頑なにし、傲慢な態度を表していました。しかし、ここでファラオは沈黙するのです。彼の沈黙は何を表しているのだろうかと考えさせられます。

 歯が立たないために、ファラオは沈黙しているのでしょうか。それとも、ますます心を頑なにしたための沈黙なのでしょうか。10節は、これまでのわざわいについての結果です。ファラオは最後まで心を頑なにし続けました。沈黙は最後まで主に対して心を開かなかったということの具体的な表現ではないでしょうか。


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