詩篇 55篇
きのうは、温かな一日でした。公園や家々の庭には、花が咲き始め、木の芽が吹き出そうとしています。夕方の6時でもまだ明るく、夕焼けがとても美しく思わず立ち止って空を見上げました。
この詩篇からの宣教を、神学校で学んでいる時にある教会でさせていただいたことを思い出しました。どのような内容の宣教だったかをもおぼえています。不思議ですね。
本篇がどのような事情の中で作られたのかはわかりませんが、ダビデの生涯に重ねてみますと、わが子アブサロムのクーデターによって、いのちからがら裸足でオリーブ山を登った時のことを思います。あの時、アヒトフェルという知恵に優れた家臣がアブサロムの側についたので、ダビデの側は戦慄したのです。13ー14、20−21節にある「おまえ」「彼」が誰なのかを特定するのは難しいのですが、私にはこのアヒトフェルのように思えます。
ダビデは苦しみの極みにあって、夕べに朝に、真昼に嘆きうめいています。彼の苦しみは止むことがないのです。けれども彼は、ひたすらに神に拠り頼みます。「私が神を呼ぶと 主は私を救ってくださる」ということばを心に留めます。
お身体の具合がすぐれない主にある友からのメールの中に、「一番は、主の目がまどろまずに見ていてくださること」とありました。どこにいても、どのような状態であっても、神がじっとご覧になり、救ってくださるとの約束がどれほど有り難いことでしょうか。