安心、安全と美味しさへのこだわり
そんな「こだわりの農業ブログ」を毎日更新
主役の妻は生産部長、夫は営業部長兼雑用係
後山の畑での堆肥散布を終えたトラクターは一旦家に戻り、スプレッダーをロータリーに付け替え、
再び後山に向かった。
耕起しながら、畑周囲の竹藪や灌木が気になった。
風通しを良くするためにも「退治したい」と以前から思い続けているが、未だ着手出来ずにいる。
代かきや田植えが始まる前に、何とかしたいものだが・・・。
雲ひとつない快晴の一日。
繰り返し紹介して来た庭のハクモクレンも、青空をバックに満開を迎えた。
あとは散るのを待つばかりなので、今年の撮影も今日が最後となる。
花の命は短くて苦しきことのみ多かりき
法要の席には、顔見知りの人も何人か同席していた。
その内の二人に声を掛けたら「どちら様でしたか?」と質問されて困ってしまった。
老化の進展で「昔の面影」が消えてしまったのかもしれない。
法要を終えると、近親者で納骨が行われた。
95歳の天寿を全うした故人は、特攻として出撃する予定の四日前に「終戦を迎えた」
とのこと。
遺族は、乗り損ねたゼロ戦のプラモデルも一緒に納骨した。
赤荻の要津院の住職である福山和尚の通夜での法話は、いつも滋味深いものがある。
「命は、お釈迦様から預かっているもの。いつかは必ずお返ししなければならないが、いつ返す
ことになるかは誰にも分からない。
人生は片道切符で後戻り出来ないことから、預かっている命を大切にして悔いの残らない
よう精いっぱい生きることを心掛けたい」
四日間続く葬儀等への参列で、仕事に遅れを来たさないよう、やや過密気味のスケジュールを
設定した。
身体にはキツイものがあったが、鶏舎からの堆肥搬出を終え、一関ミートさんから頂戴していた
豚堆肥も含めて、後山の畑への散布を終えた。
あまり交流のない親戚の場合、「初顔合わせ」となる参列者も少なくない。
火葬場の控室で収骨を待っている間、そんな初対面の人と懇談するよう心掛けた。
お陰で、故人との繋がり等々で話題が盛り上がり、待ち時間がアッという間に過ぎて
しまった。
小学校時代の同級生と60年振りに顔を合わせるというハプニングもあった。
お互いに「子供時代の面影」が残っていたらしく、直ぐに気付いて言葉を交わすことが
出来た。
昔からの当地の風習で、親類縁者に不幸があると「お知らせ」が文書で届く。
「お知らせ」を受け取った場合は、入棺から法要まで参加しなければ義理を
欠くことになる。
冬場の農閑期なら容易に対応可能だが、農繁期がスタートした今の季節に
四日間も拘束されるのは、正直「辛い」ものがある。
我が家では、バアチャンとジイチャンが逝去した際は、親類や近隣も含めて
「葬儀と法要」のみの参加をお願いし、それ以外は近親者のみで行った。
しかし、この種の儀式の簡略化は「喪主だけでは決断できない」事情もあって、
なかなか見直せないようだ。
(朝の日の出前のスイセン。未だ、目覚めていない雰囲気のようだ)
今日の昼過ぎに受け取った「お知らせ」の内容は以下の通り。
一 入 棺 4月16日 午後3時
一 火葬出棺、火葬 4月17日 午前8時30分
一 通 夜 4月18日 午後5時
一 葬 儀、法要 4月19日 午前11時