shiotch7 の 明日なき暴走

ビートルズを中心に、昭和歌謡からジャズヴォーカルまで、大好きな音楽についてあれこれ書き綴った音楽日記です

Let's Dance / David Bowie

2009-07-30 | Rock & Pops (80's)
 世評はもの凄く高いのに自分にはその良さが分からない、いわゆる “苦手な名盤” の話は以前にしたことがあるが、アルバムだけでなくアーティストに関しても同じことが言える。このデビッド・ボウイという人も最初聴いた時はどこが良いのかサッパリ分からなかった。
 私が音楽を聴き始めた70年代半ば、彼はすでにビッグ・ネームだった。ネットが発達している今と違い、情報はラジオと音楽雑誌のみというある意味平和な時代だったが、どのメディアも彼のことを絶賛(それは今でも同じことで、彼に対するネガティヴな評価はあまり聞いたことがない...)していた。好奇心旺盛な私は彼の代表作を色々と聴いてみた。「スペース・オディティ」、「チェインジズ」、「ジーン・ジニー」、「ジギー・スターダスト」、「レベル・レベル」、「ヤング・アメリカンズ」、そしてジョン・レノンの助けを借りて書き上げ全米№1にも輝いたユーロ・ファンク・ナンバー「フェイム」と、どれを聴いても “別に嫌いってわけじゃないけど、取り立てて惹きつけられるものもない” 曲ばかりで、 “自分にはボウイの音楽を理解する感性が欠落してるんやろ...(>_<)” と諦めるしかなかった。
 そんな私が彼の音楽と再会したのは80年夏のこと、新譜アルバムを丸ごと1枚ノーカットでかけてくれるFM大阪の音楽番組「ビート・オン・プラザ」でボウイの「スケアリー・モンスターズ」を特集しており、その中の「イッツ・ノー・ゲーム(パート1)」を聴いて全身に電気が走るようなショックを受けたのだ。日本人女性によるシュールなアジテーションが衝撃的だったこの曲はとても耳当たりの良いポップ・ミュージックとは言えなかったけれど、何と言うかリスナーの気持ちをガンガン叩くようなところがありインパクト絶大だったし、シングル・カットされた「アッシュズ・トゥ・アッシュズ」もボウイにしか表現できないような退廃的な美しさを湛えていた。更にクイーンとの共演シングル「アンダー・プレッシャー」はイギリスで見事№1を獲得、サウンド自体は当然ながらクイーン色が強かったがボウイの存在感はピカイチで、フレディーと共にテンションの高いヴォーカルを聴かせていた。
 そんなボウイがシックのナイル・ロジャースをプロデューサーに迎え、限りなくポップで売れ線のサウンドを追及して生まれたのが83年リリースのアルバム「レッツ・ダンス」である。先行シングルの③「レッツ・ダンス」は、マイケル・ジャクソンの「ビート・イット」とアイリーン・キャラの「フラッシュダンス」というウルトラ・メガ・ヒット2曲の間隙を突いて1週だけながら全米№1に輝いたのだが、私は「ツイスト・アンド・シャウト」なイントロから思いっ切り分かり易いファンキー・ビートが支配するこの曲を聴いてそのあまりのハジケっぷりに “これがあのデビッド・ボウイか?” と一瞬わが耳を疑ったものだった。まぁどちらかというとボウイの音楽というよりはナイル・ロジャースのお膳立てしたサウンドに乗ってボウイが気持ち良さそうに歌いまくっているという印象が強かったけど。
 セカンド・シングル②「チャイナ・ガール」は全米10位が最高だったが、私は「レッツ・ダンス」よりもむしろこっちの方が気に入っており、MTVでヘビロテ状態にあったビデオ・クリップも面白くて(←ボウイがラーメンを頭上に投げるシーンが意味不明で笑える)、ガンガン聴きまくったものだった。サード・シングル①「モダン・ラヴ」は明るくノリの良いストレートアヘッドなナンバーでコレも全米14位まで上昇、70年代のアート・ロック路線のボウイとは別人のような快進撃だ。これらのシングル以外ではカルト・ヒーロー時代の残り香が薫る④「ウイズアウト・ユー」や②の三軒隣りに住んでいるような⑥「クリミナル・ワールド」がエエ感じだが、私が大好きなのは⑦「キャット・ピープル(プッティン・アウト・ファイア)」だ。ハイ・テンションなボウイのヴォーカルといい、当時まだ無名だったスティーヴィー・レイ・ヴォーンのラウドでブルージーなギター・プレイといい、私の感性のスイートスポットをピンポイントでビンビン刺激するキラー・チューンで、“puttin' out fire with gasoline...”(ガソリンで火を消して...)と叫ぶボウイがめちゃくちゃカッコ良かった。
 そういえばこのアルバムのキャッチ・コピーに “時代がボウイに追いついた!” というのがあったが、私に言わせればこのアルバムの成功は、ナイル・ロジャースの起用からも明白なように、その時代で最もヒップだったアメリカン・ファンク・サウンドへとボウイの方から接近していった結果ではないか。又、ボウイが大衆を意識し、メロディアスな旋律を持ったナンバーを集中投下したことも大きい。この後も彼は「ブルー・ジーン」、「ダンシング・イン・ザ・ストリート」、「ジス・イズ・ノット・アメリカ」とヒット曲を連発していくのだが、メロディー復権の時代である80年代の流れを見切ったボウイの嗅覚はさすがと言う他ないだろう。
 このアルバムを聴けば音楽とともに真空パックされた80'sの空気までもが瞬間解凍されて目の前に立ち込める、私にとってはそんな懐かしさ溢れる1枚なのだ。

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