重賢公についての逸話である。
江戸ゟ御下國の刻岡崎の入口に廣き所茶屋有之候所に松平丹波守様御家来乗物引馬にて下馬仕居
被申候 拙者参候て其儘御召候へと申歸候得は唯今の者は家老と見へ申候 念を入れていねいにじぎ
候や先刻丹後(ママ)守殿供の侍共四五人下馬仕候刻何も手を土に付居申候 我は手を付不申候て
てじぎ仕候 定て乗物にさわると存候て手に土つき可申と存たると思召候 併御意にて手よこれ申は
不苦候侍の手を土につき居候時は何時も我も手をつき候てじぎ仕候へと被仰聞候 ケ様の事も能々
心付可被申候 如御意常に手よこれ不申様にと覺悟仕候事能く御覧被成候て右之通に被仰聞候と奉
存候
江戸からお下国の際、岡崎の入り口の広い所に茶屋がある場所に、松平丹波守様のご家来が乗り馬から下馬し居られる。
私参りて挨拶をして帰ると、殿様は「相手は家老であろう、丁寧に辞儀したか」との仰せである。
丹波守の家来衆は手をついておられたが、自分は殿様のお駕籠に手を触れることもあるので手をつかなかった、と申しあげると
相手が手をついて居れば、こちらも手をつくのが当然であるとの御意である。私の振る舞いを良くご覧になられておられた。
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