津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■ガラシャは「美人だったのか」という切り口

2021-09-07 06:53:16 | 徒然

 先日■ガラシャの本もこれが最後・・・を書いたが、ここでかいたように階下にお住いの93歳のご婦人に、三浦綾子の「細川ガラシャ夫人」とその英文翻訳本「Lady Gracia」を進呈した。

そんな中、「明智光秀と細川ガラシャ」が届いた。(早かった~~)
四人の著者の中で一番に目を通したのが井上章一氏の「美貌という幻想」である。いかにも井上氏らしいガラシャは本当に「美人だったのか」という切り口である。
少し意地悪な切り口だが、2016年の新書大賞を得た「京都ぎらい」のように、その優しいお話の仕方とは異なる辛辣さに、私は大いに賛辞を贈りたいと思う。
そしてこれは同氏の御著「美人論」の延長線上の話とも思える。
この本は2018年12月に長岡京市で開かれたシンポジウム「細川ガラシャの美しさーいつ、誰が彼女を美しくえがきだしたのか」から、特に郭南燕氏・フレデリック クレインス氏・井上章一氏の激論の延長線上で出版されたものである。

史料を紐解くと「ガラシャ=美人」だという証明は得られないようだ。研究者の内で「美人だ」と論じた人たちもその典拠は明らかではないという。
「明智軍記」にそれらしい記事が見受けられるが、この成立年は相当後のものであり、信憑性には大いに掛ける。
つまるところ美人説の出どころは定かではなく、後代の小説家に著作によるものであろう。
女性の事についてはあまり筆が達者ではない司馬遼太郎が「胡桃に酒」の中では大いに持ち上げている。気色が悪いくらいである。

ガラシャの名前が今のように周知されるようになったのは、1920年ころだとされる。「美人論」によると明治期には「美人罪悪論」というものがあったのだそうな。
キリスト教が容認されて以降、様々なキリスト教関係資料が陽の目を見て、聡明なガラシャ像が作り上げられていく。
研究者たちはその聡明さは美しさも備えた人であったろうとの推測が見て取れる、断定をしている論考は全く見えないらしい。
研究者は典拠のない「美人説」を禁断の一歩手前で控えたのである。

いわゆる学者先生が、このような論点を以て論文を書こうとする人は見受けられない。
市井のもの好きが調べるには面白い着想だが、ガラシャ関係の著作や論考はさていくつあるのやらつかみきれない。
是をすべてを調べ上げることは、私ならば手におえない。私が持っている10数冊の著作でさえこれを調べるためには、そのすべてを精読しなければならないから、これはもう願い下げである。

例えば「ガラシャ」を描いたいくつかの有名な作品がある。
その中で私は前田青邨の「細川ガラシャ夫人」が大好きだが、美人かというとそうではなかろうが、聡明さがにじみ出た御姿である。
美人かどうかは論外であり、論ずるに足らないと思ってきたが、井上先生のこの切り口には畏れ入ってしまった。
ご一読をお勧めする。

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1 コメント

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華の聖母子 (A.AKECHI)
2021-09-07 10:57:13
 前田画伯の作品は勿論名作ですが、以前こちらでもご紹介した長谷川路可画伯のモザイク画「華の聖母子」
(受胎告知教会@ナザレ)も素晴らしいです。
https://www.travel.co.jp/guide/article/10044/
「聖母子像」ではありますが、聖母の「モデル」がガラシャ夫人であると作者が仰ったそうです。 とするとこの絵の幼子イエスの「モデル」はどなたでしょうか? 興秋様? 忠利様? はたまた??
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