津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■説明板「南郷往還」と「出小屋の追分地蔵」

2021-01-09 20:25:59 | 熊本

        

        

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■降雪なし、78歳のサイクリング

2021-01-09 09:31:45 | 徒然

 「朝起きたら銀世界」を期待したが、何のことはない何時もの朝である。
しかし寒い朝だ。TVのニュースが、「天草で積雪8センチ」と報じている。
熊本では天草や県南では雪になっているらしい。九州北部も積雪があったらしいから、熊本平野のみ(?)降雪なしという事なのだろうか。
そして良い天気、これから散歩がてらのサイクリングで、「95体目の放牛石仏と阿弥陀堂」→「追分地蔵と出小屋跡」を訪ねてみようと準備中である。
ご報告は後程写真で・・・・

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 10時過ぎに我が家を出発、5分も過ぎたところでもうばて気味、何でと思ったらサドルが下がっていた。
広場でサドルを調整、それでも歩くのと自転車を漕ぐ筋肉は別物らしく、5キロ弱を漕ぐのに30分弱かかってしまった。
まずは95体目の放牛石仏を訪ねる。これは場所はすぐに分かったが、いざ写真撮影しようとカメラを取り出したら、いきなりバッテリー切れの表示・・なんてーこったい・・
そこで携帯で撮影、阿弥陀堂は地震の影響と見えて少々傾いていて、つんばり棒で補強がしてある。
標高32.5mの戸島山登頂は、風が冷たく今回はやめておくことにした。(自転車で足ががくがくして自信がないのが本音)
ここから折り返し、途中から右折して東バイパスを横切り、長嶺西小・長嶺中学の前を通って小川沿いに出、右折すると
橋の際にお地蔵さまが立っておられた。
二枚の説明看板「出小屋の追分地蔵」と「南郷往還」の大変丁寧な説明看板が立てられていた。
お地蔵様自体は、天明の飢饉の折、幼い子供を亡くした人が供養のために建立したものらしい。
なんともきらびやかな涎掛けをされているが、金色のメタル状のものが風に揺れているが、女物のエプロンにわざわざ取り付けたものか???
出小屋は二軒明治のころまで建てられていたらしいが、場所を特定する表示はない。ご近所の方が出ておられたらお聞きしようと思ったが、人影が見えず断念。
これにて一件落着、帰途本屋さんに立ちよったりしての都合2時間、冷たい風の中の10キロほどの輪行であった。

  
 電柱の右側に遠望できるのが「戸島山」である、距離約1.6キロ

 
 南郷往還は左手奥から追分地蔵の前を通り右奥の方へ進んだか、ここから写真右下方向に道があり、戸島山の下の阿弥陀堂へつながっていたと思われる。

 
                     
                 地蔵様の後ろにある影が、台座ではなかろうか。何とも派手なメタルを下げた涎掛けである。

                                                 

                                                                               地震で傾いだ阿弥陀堂、右手看板の後ろに石の祠がある。
        

                観音堂脇の石の祠の中に鎮座する放牛石仏・95体目                                   高田先生撮影の同祠

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■細川小倉藩(453)寛永六年・日帳(霜月朔日~五日)

2021-01-09 08:32:05 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永六年霜月)朔日~五日

         |                        
         |    朔日  加来二郎兵衛
         |
         |       (元次)
江戸ヨリ飛脚到着 |一、江戸ゟ、芦田與兵衛与吉川源兵衛・伊藤金左衛門与村上次左衛門尉、両人中之遣銀を被下由にて、
ソノ行程     |  罷下候、十月十九日ニ江戸を立、大坂ニ廿六日ノ朝着、同晩ニ中津留二左衛門舟にて下ル、  
忠利書状ノ覚   |  持下御書之覚
         |  一、三斎様 御文箱壱つ、則中津へ持せ上ル、
         |  一、私共へ被下御文箱壱つ、
         |   (三淵之直)(同重政)
         |  一、左膳殿ゟ右馬助殿へ参状箱一包、
         |   (坂崎)(松井興長)
         |  一、一角ゟ式ア殿へ参状一つ、
         |  右二色共持せ進之候也、
         |
大坂ヨリ下シタル |一、福原茂介舟ニ、大坂ゟ乗せ下候靏崎之者之談合ニ、式ア殿へ参、御郡之籠ニ入置候也、
鶴崎ノ者ヲ郡ノ籠 |
へ入ル      |  

         |                        
         |    ニ日  奥村少兵衛
         |
         |                        (村上景則)三齋付家老
村上景則母危篤  |一、古谷七左衛門尉・椋梨半兵衛登城ニ而被申候ハ、河内殿御母儀被相煩、はやきわまり申様ニ申来
         |  候、見廻ニ参度由、被申候間、早々被参候へと、申渡候事、
         |一、岩田新左衛門尉、此中御暇申、知行所へ参、昨日罷帰候由にて、登城被仕候事、
加藤新兵衛病再発 |一、加藤新兵衛事、又煩候由にて、無登城候事
ニヨリ欠勤    |

         |
                        
         |    三日  安東九兵衛
         |
         |                   (矢野)
大工死ス     |一、河田八右衛門登城にて被申候は、御大工少左衛門尉、此間相煩申候処、去朔日ニ相果候由、被
         |  申候也、
鷹ノより     |一、歩之御小性山口半次・益永太兵衛被申候ハ、此中被仰付候御鷹のより仕廻候由にて登城被仕候
         |  事
江戸ヘノ音信物ノ |一、今日江戸へ差上申御鉄炮衆幷井門与野上喜右衛門・西沢与本田左兵衛持上候者覚
覚        |
三斎返書     |  一、三斎様御返書之御文箱壱つ、
自筆ノ言上状   |  一、拙者共言上之文箱壱つ、内ニ自筆ノ言上も有、
         |  一、方々ゟノ状共壱包、
京大坂詰奉行へ  |一、京都・大坂脩へ遣候書状壱包、是は御船頭石井又左衛門ニ渡候也、
         
         |                              
         |    四日  賀来次郎兵衛
         |
村上景則母没ス  |一、河田八右衛門以被申候ハ、長岡河内殿御母儀御遠行ニ候、中津郡之寺迄参度由被申候、御年寄衆
         |  へ被申理可被参由、申渡候事、
         |                        (船場)
小倉町人大坂上米 |一、国東御郡奉行衆ゟ、次飛脚にて被申越候ハ、小倉せんば町九郎左衛門尉と申もの、大坂上り之御
百四十石ヲ高田浦 |       (国東郡)                       (国東郡)
ニテ積載ス    |  米百四十石高田浦にてつミ、去二日之朝高田浦を出シ、真玉之内金屋之沖にて乗、すく船頭ハは
船頭行方不明   |  し舟ニて上り申由ニ付而、方々相尋申候へ共、船頭見え不申候、加子ともニハ番を付置候由、被
妻子ヲしめ置カシ |  申越ニ付而、吉田縫殿をよひ、せんばの苦労左衛門妻子しめおかれ候へと、申渡候事、
ム        |
鷹匠預リノ白鶉病 |一、河井権丞ニ預ヶ置申候しろきうつら、此中相煩、色々養生仕候へ共、死申由にて、持せ被差上候、立
死ス  忠利ノ耳 |  御耳申たるうつらの儀候間、御下国の上ニ而、可被成 御覧候間、毛を能被取置候へと、申渡候事、
ニ立チシ鳥故毛ヲ |
保存ス      |

         |                              
         |    五日  奥村少兵衛
         |
薩摩ニテ買入ノ材 |一、明石源左衛門与池田次兵衛日向ゟ罷戻候、さつまにて御材木調、運賃舟をかりのり廻候、舟ハ日
木運賃船ニテ回漕 |                   (豊後国東郡)
船頭竹田津ヨリ小 |  和悪敷候而、竹田津浦ニ懸り居候由候、竹田津ゟ小倉迄ノ乗前不存由、船頭申由候也、
倉ヘノ船路ヲ知ラ |
ズ        |
苫買ノ船頭ニ操船 |一、右之御材木舟、竹田津ゟ小倉へ之乗前不存通申上候、若けかなと候ヘハ、いかゝニ候間、幸、竹
ヲ命ズ      |                                     (白井)(鏡)
         |  田津ニ御苫買ニ有合候御船頭、両人之内壱人乗参候様ニ、飛脚申付遣候、則兵介・善右衛門ニ書
         |  状遣し被申候へと、申渡候事、
 

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