津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川小倉藩(470)寛永七年・日帳(一月十七日~十九日)

2021-01-26 10:16:08 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永七年一月)十七日~十九日

         |                        
         |    十七日  安東九兵衛
         |
         |一、あいノ嶋へ、靏うちニ御鉄炮、今朝遣候也、
丹頂鶴ヲ上グ   |一、曽根ノ長兵衛、たんちやう壱つ打上候也、
梨子       |一、なし十一、河喜多八助上申候を、山中弥次右衛門ニ、生嶋平三郎渡被申候也、
上方江戸へ申遣ス |一、佐藤安右衛門・井関久馬介江戸へ被参時、上方・江戸へ可申遣覚
覚        |
土風呂三斎へ   |  一、三斎様へ被進之候御土風呂之事、
小判六百両大坂ヨ |  一、小判六百両、大坂衆ゟ可被渡由之事、残分ハ江戸ゟ申来次第、跡ゟ江戸へ可下旨、
リ江戸へ     |
普請道具     |  一、江戸にて御普請道具被渡候へと、御留守居衆加申遣由候事、
         | (細川立孝)      (槙島昭光)(一色)(中路)
細川立孝等へ鯨肉 |一、立允様へ鯨三桶、云庵・木工・宗悦三人ニ壱桶宛被遣候事、
賜与       |
伜目見ノ礼ニ進物 |一、野瀬吉右衛門被申候ハ、私ハ御借米奉行被仰付候ニ付而、算用目録松ノ丸衆ゟ急被申候、先罷帰
         |  申候せかれ御目見え仕候ハヽ、私ハ進物を上ヶ申度候由被申候、一段可然候歳申候事、
         |                                (長重)
浅野長重へ鶴ヲ贈 |一、明日江戸へ、靏持せ被遣候御小人與介与市蔵・左右衛門与惣三郎、浅野采女様へ、右ノ靏被進之
ル        |  候、様子ハ永良長兵衛奉ニ而、江戸御留守居衆へ書状遣被申候也、

         |                        
         |    十八日  加来二郎兵衛
         |
忠利大里へ放鷹  |一、今日は内裏へ、御鷹野ニ被成御出候也、               (矢野吉重)
鷹ノ押絵本ノ請取 |一、御鷹ノ御押絵本、拙者江戸へ罷越候時、上置申候を、只今慥請取申候、ゑかき三郎兵衛(花押)
驢馬筑後ニナシ  |一、筑後へ、驢馬かいニ被遣候へ共、馬無御座由にてかい不申、罷帰候事、
         |一、春木金太夫、今日罷帰候事、
忠利氏家元高邸ニ |一、今晩は氏家殿へ御成ノ事、
臨ム
         |    喜兵衛
伜目見ノ礼    |一、野瀬吉右衛門・安井長左衛門・真野九兵衛・右之衆、子共御礼相済候由にて、子共めしつれ
         |  被参候也、式ア少殿御取次也、

         |                        
         |    十九日  奥村少兵衛
         |
籠質部屋口ノ番死 |一、籠しちへやの口ノ番山本理兵衛、正月四日ニ相果候由、相番林勘介登城にて申候也、
亡届       |
         |      (一成)
忠利朝道家一成邸 |一、今朝ハ道家帯刀所へ御成候事、それゟ直ニ御鷹野ニ被成御座候事、
ヨリ鷹野へ赴ク  |
惣奉行北ノ丸ニテ |一、今晩、修理・兵庫ニ御茶被下候事、但、北之御丸にて也、
茶ヲ賜ハル    |
細川立允等鯨ノ礼 |一、立允様へ昨日鯨被進之候御飛脚罷帰候、昨晩御食被下候由申候、御返書ハ平野九郎右衛門を以、
         |  上申候事、云庵・木工・宗悦御請も同前也、

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■小崎五郎左衛門宛忠利書状(2)

2021-01-26 07:09:04 | オークション

               細川忠利筆 小崎五郎左衛門苑書状 肉筆紙本掛軸(陽明文庫小笹喜三箱書

 昨日ご紹介したこのオークション物件、よくよく眺めると「陽明文庫小笹喜三箱書」があり451,000円とあった。
陽明文庫とは摂関家である近衛家伝来の文物を収蔵する施設だが、小笹喜三とはここに属した貴重文書の調査研究の第一人者らしい。
その小笹の箱書きが有るからこの値段が付いたという事らしい。それにしても高い・・・
そうなるとこの文書の内容が大いに気になるが、どうやら小崎五郎左衛門が細川家に召出される前のものらしいことが伺える。
音信物を仲介したのが平野九郎右衛門であることが文中で判るから、九郎右衛門が細川家に仕官したのが「元和八年1622)豊前召寄せられ、知行五百石(のち千石)」であり、五郎左衛門の仕官寛永十六年(1639)迄の間に交わされた書簡であろうと思われる。
平野九郎右衛門を使者として送り、御状・音信物(鮭・御菓子・昆布)などを贈られたことに対する礼状である。
五郎左衛門が石州銀山にいたこと、また少し病気味であることに対し丁重な文面である。
ひょっとすると細川藩への召出しに関するものではないかと考えるが、確証はない。

      以上
      為御見廻指
      越使者平野
      九郎右衛門所迄
      御状殊鮭之子
      籠二尺幷菓子
      昆布五拾本
饋       饋=おくる
      給御志之程不浅
      存候貴殿事頃       頃=しばらく
      石州銀山ニ被居
      彼地被□□今
      程刑部殿領
      分ニ御入之先尤
      少持病差□之
      由心許存候
      □々如此之段
      別而□満足候
      尚平野九郎右衛門
      可申入候恐々謹言
          細越中
       七月六日 花押
       小崎五郎左衛門殿
            御宿所      □表示個所は現況読みえず

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