津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川小倉藩(458)寛永六年・日帳(霜月廿六日~晦日)

2021-01-14 07:45:09 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永六年霜月)廿六日~晦日

         |                        
         |    廿六日  安東九兵衛
         |
諸奉行ノ算用未済 |一、和田伝兵衛ニ申渡候は、諸奉行手前御算用仕上分は何茂相済候や、若御算用可仕上者、いまた御
者ニハ切米ヲ給セ |  算用なと不仕候仁候は、何かし手前御算用滞候而、未済候間、此仁御切米先御渡有間敷との儀を
ズ催促セシム   |  加藤新兵衛方へ、
         |  〇御理候而、不済御算用之分は、急度埒明候様ニ可有御沙汰段、申渡候也、

         |                        
         |    廿七日  奥村少兵衛
         |
北之丸ノ風呂掃除 |一、北之丸お風呂掃除、念を入、被申付候様ニと、生源寺少九郎ニ申渡候也、
ヲ入念ニセシム  |

         |        (ママ)                        
         |    廿八日  
         |
永良某病ニヨリ目 |一、永良孫太夫ゟ被申越候ハ、今度 殿様御下向之御目見えニ出津仕度候へ共、永々相煩、于今然
見ニ出ザル届   |  々無御座候ニ付、不罷出候、就其、相当之御進物上ヶ申度存、小篠角太夫方を頼、遣申候間、可然
相当之進物ヲ上グ |  様ニ申上げくれ候へと、日申越候、心得申候通、両人返事仕候事、
忠利十九日大坂出 |一、式ア殿ゟ被仰越候ハ、 殿様去十九日ニ、大坂御出船被成候由にて、注進之小早下申候、可得其
船ノ報      |  意由、被仰越候、得其意申通、御返事申候事、
鷹師鴈ヲ上グ   |一、渡辺三十郎鴈壱つ持せ候由にて、持参被仕候、能時分ニ候間、塩を不仕、置可申由申候也、
         |  (加室、周防大島郡)
加室ニテノ濡米百 |一、かむろにてぬれ米百六十俵、野村孫兵衛積下候、則町之酒やニ割苻候て可被相渡由、吉田縫
六十俵ヲ町ノ酒屋 |  殿助へ申渡候也、
ニ割当テシム   |                                  (ママ)
柏木某疥癬ニヨリ |一、柏木少九郎儀、ひせんかさを相煩、さん/\の式にて罷居候ニ付、今度御 目見ニ差で不申
目見ニ出ザル届  |    (柏木)
         |  由、二右衛門所ゟ申越候通、安場二左衛門被申候事、
         |                             (河田) (矢野)
籠ノ後ノ矢倉ノ修 |一、御籠之後之御矢倉白土ノ繕ノため、御ふしんもの通申度由、八右衛門・勘右衛門被申候ニ付、式
繕ニ口屋番ヘノ切 |  ア殿・我々判形切手、口や番ニ宛当テ遣候事、
手ヲ遣ス     |                〃    

         |                        
         |    廿九日  安東九兵衛
         |                                          足立與兵衛
鷹匠頭ヨリ鴨上ル |一、河井権丞ゟ、鴨三つ取せ候由にて、被差上候、弐つハくろかも也、壱つハ真鴨ノ女鳥也、住江甚兵
         |                                          〃〃〃〃
         |  衛方へ相渡候へと、申渡候也、
         |  〃

         |                        
         |    晦日  奥村少兵衛
         |
         |  (無庵、広門)  (黒田長政側室・長徳院ヵ)
筑紫広門女没ス  |一、筑紫むわん御息女、筑前ニ御入候つる所ニ当夏被成御果候、彼地ニハ諸親類も無御座候ニ付而、荷
筑前ヨリ遣物ヲ重 |                (重門)広門男・
門へ届ケントス  |  物以下請取候ものも無之ニ付、筑紫左近殿へ可相渡通ニ而、黒崎口へ持て参申候、請取置カ申候へ
人留番重門不在ニ |  共、越中下国ニ付而、左近殿も迎ニ被罷出候間、先持て御帰候へ、堺目もちかく御座候間、左近
ツキ請取ラズ   |                       (高月)
         |  被帰候而ゟ可有御越通申候而、返シ
申候由、昨晩人留之西村善兵衛申来候事、
         |一、井関久馬助、此間おこりをふるひ、于今快気不仕候ニ付、 殿様御迎ニ不罷出候由、蒲田次左衛
         |  門尉を以、理被申候也、
         |  (豊後)
年貢皆済届    |一、玖珠郡小田村当年貢皆済仕由、佐藤七左衛門被申候也、

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■半藤一利氏逝く

2021-01-14 07:34:00 | 展覧会

 半藤一利氏逝去の報を聞く。
私は氏の名著「日本のいちばん長い日」を繰り返し随分読んだ。
2015-08-15 のブログでも少々触れているが、この本が大矢壮一の名を借りて出版されていたころからである。
つまりこの時期私は半藤氏の事は良く知らなかった。
氏が夏目漱石の女婿だと知り、漱石に関するエッセーや俳句に関する本を随分購入して読んだ。
末利子夫人の「漱石の長襦袢」も読んだ。
ご先祖様は長岡藩士だそうだが、江戸っ子ではないかと思わせる洒脱な文章に好感を持った。
歴史関係は図書館から借りて読んだものが多いが、幕末史だけは二冊も購入している。
購入したばかりでまだ目を通していないエッセー「橋をつくる人」を読んでみようと本棚から取り出してみた。
90歳であったとお聞きするが、ご冥福をお祈り申し上げる。

かって熊本県立大学の学長を勤められた半藤英明という人がおられたが、親族ではないかと思うが良くわからない。
この方も漱石研究者と聞くが・・

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