津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■助勤とは

2021-01-15 16:32:28 | 徒然

 松の内にと思っていたが、御宮参りをしていなかったので、朝の散歩のついでで申し訳ないが済ませてきた。
コロナ禍のせいで閑散としているし、緋の衣の巫女さんたちも、例年のようなアルバイトの方はおられないようだ。
処でアルバイトの巫女さんは、業界用語では「助勤」というのだそうな。神事を助けるという意味であろう。
助勤という言葉は、新選組の組織の中にも存在したそうだが、あの斎藤一などがこれで「副長助勤」という役職名である。
熊本藩では郡代を勤める人が、例えば玉名郡代が隣の菊池の郡代も務める場合これを「助勤」と読んでいる。
もともとはどこから出たのだろうかとググっていたら、「司馬さんの一日一語」というサイトに「助勤」が有った。
ここでも新選組の事に触れているが、これは幕府の学問所昌平坂学問所にあった言葉らしい。
つまり学問所に寄宿する生徒の自治組織の「舎長」を二人が補佐したが、これを「助勤」といったらしい。

熊本に於ける「郡代助勤」というのは、どういう事なのか、「兼帯」という言葉があるから単なる兼務ではなさそうで、また新たな疑問が生じてきた。

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■■細川小倉藩(459)寛永六年・日帳(十二月朔日~六日)

2021-01-15 07:44:44 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永六年十二月)朔日~六日

         |                        
         |    朔日  加来二郎兵衛
         |                          筑前ゟ     左近殿へ渡可申之由申候間
黒崎口人留番ノ願 |一、黒崎口人留之御番原久兵衛登城ニ而被申候は、一昨日〇持来候荷物〇又今日持来申候は、是まて
筑紫重門へ筑前ヨ |  持来、渡不申候而、又持戻り申候儀何共迷惑仕候間、是非左近殿へ渡申度候間、此段頼申由申来
リ持参ノ遺物請取 |  候、如何返事可仕候やと申来候、此方ゟ申候は、則御家老へ被参候而、只今之様子被申候へ、
ノ可否   家老 |  御家老衆いつれの道ニ茂御差図可在之間、早々被参候へと申渡、遣候ヘハ、久兵衛罷帰、被申候
ノ差図ニ従ウベシ |                      候間、乍御太儀、
重門ノ帰着迄待タ |  は、御年寄衆被仰候は、左近いまた不被罷帰候へ■■先々御持候御帰候へと返事可仕候由、被
シム       |                      〃〃
         |  仰聞候間、其通ニ可申聞之由申候而、久兵衛罷帰候也、

         |                        
         |    ニ日  安東九兵衛
         |
         |       三  (播) (揖西郡)                (鏡)
         |一、殿様去月廿九日ニ幡磨ノ室へ御着被成たる由、白井兵介・加々見善右衛門所ゟ申来候間、今日ニ
         |       〃
         |  茂爰元御着可被成候間、油断有間敷候由、隠岐へ申遣候也、
         |                            (見脱)
病気ニ付目見欠席 |一、魚住藤三郎被申越候ハ、今度 殿様御下国被成候ニ、 御目えニ可罷出と存候処、口中相煩、さ
届        |  ん/\の躰にて居申ニ付而、不罷出候、被成其御心得可被下通、服部武兵衛を以、被申越候事、

         |                        
         |    三日  奥村少兵衛
         |
鷹師放シ猫ノ繋留 |一、渡辺三十郎登城にて被申候は、何茂御鷹師衆被居候近所ニ、はなし猫御座候、朝すへなと仕候時、
ヲ願ウ      |  何共気遣ニ存候間、被仰触候而、銘々かけ置候様ニ被仰付候而可被下候由、被申候ニ付、則月行
         |  司篠山勘右衛門尉ニ申付、猫を掛置候様ニ、堅被申付候様ニと、申渡候事、
中国ヨリノ売鶴ヲ |一、吉田縫殿助ゟ被申越候は、中国ヨリうり靏壱つ参候、可被召上と存候而、持せ上申候由にて被上候、
買上ゲ      |  (與兵衛)                    (松本)  
         |  足立ニ見せ候ヘハ、新能つる之由申候ニ付、彦進かたへ遣、直段御究させ候而、可有御買由、申
         |  遣候、

         |         (ママ)                        
         |    四日  賀来次郎兵衛
         |
奉行天守ノ蝦錠故 |一、林隠岐方ゟ被申越候ハ、御天守之ゑひおろし違へ、明不申候間、かぢを壱人申付、上ヶ候へと
障ニツキ鍛冶ヲ求 |  被申候、則かちを上ヶ候へと、桑方猪介方へ申遣候事、
ム        |
         |  (重政)            (敦行)
続重政死亡届   |一、続亀介、昨夜被相果候由、続平右衛門尉ゟ小頭権丞を以被仰越候、就其、野辺へ遣申度候、併、
埋葬ニ門出切手  |  御年寄衆門司へ御越ニ付、御門出切手取申儀不相成候間、我々ゟ切手遣候へと被申候、心得候由
         |  申候而、人数之書付御門へ遣候也、

         |                        
         |    五日  奥村兵衛
         |
鉄炮足軽病死届  |一、千寿新左衛門与中野甚左衛門尉・同与河並猪兵衛、当八月ニ病死仕候由、小頭角兵衛申来、
         |  殿様
忠利向島ヨリ陸路 |一、〇今日酉之上刻ニ、門司ゟ陸路を被成御座候事、但、向嶋ゟ被成御上候而、中国地を被成御座候事、
ヲ帰城ス     |

         |                        
         |    六日  安東九兵衛
         |
安岐浦当番    |一、服部式右衛門尉・服部新太郎、安芸浦当番ニ而 御目見ニ不被罷出候事、
         |一、原田伝三郎ハ煩にて不罷出候由、田中勘丞被申来候事
         |  (手拭)
門ノ鍵ノ請取   |一、てぬくひ町御門かき・西魚町後御門かぎ一箱、      坂井勘兵衛請取申候〇(黒印)
門ノ鍵ノ請取   |一、きおんはまての御門のかき壱つ、慥請取申候、         上田三右衛門〇(黒印)
         |
忠利放鷹ニ生鳩ノ |一、明日御鷹野ニ被成 御座ニ付而、生鳩弐つ三つ入申由、御掃除坊主長斎申ニ付、松野右京殿へ
用        |  申遣候ヘは、才覚仕、取候て見申候候へ共、親を取申儀不相成、子を弐つ取候而上申候、重而入申
         |  時は、御ゑさし就被仰下可被下由、被仰候間、得其意申候、請取申由、御返事申候事、
江戸ヘノ状    |一、明日江戸へ被遣御鉄炮衆杉山藤兵衛与磯部佐左衛門・井関久馬与塩田所左衛門、江戸御留守居
中ノ道中遣銀   |  就へ大御文箱壱つ被遣内弐、方々へ被遣 御書有之由也、相渡遣申候、中ノ遣銀請取せ候へ共、
         |  (飯田)
         |  才兵衛被申候ハ、あまり御急にてハ無之候間、ゆる/\と参候へと可申付由、被申候間、其分ニ
         |  申付候事、
加子頭へ加子ノ夜 |一、かこかしらの勘兵衛と申もの、舟木にて、夜中にかこをよくおこし申由にて、御米十俵被遣候、
勤手当米十俵ヲ渡 |  御印此方ニ取置、写を御かし方奉行衆へ遣候也、
ス   貸方奉行

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