津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■降雪なし、78歳のサイクリング

2021-01-09 09:31:45 | 徒然

 「朝起きたら銀世界」を期待したが、何のことはない何時もの朝である。
しかし寒い朝だ。TVのニュースが、「天草で積雪8センチ」と報じている。
熊本では天草や県南では雪になっているらしい。九州北部も積雪があったらしいから、熊本平野のみ(?)降雪なしという事なのだろうか。
そして良い天気、これから散歩がてらのサイクリングで、「95体目の放牛石仏と阿弥陀堂」→「追分地蔵と出小屋跡」を訪ねてみようと準備中である。
ご報告は後程写真で・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 10時過ぎに我が家を出発、5分も過ぎたところでもうばて気味、何でと思ったらサドルが下がっていた。
広場でサドルを調整、それでも歩くのと自転車を漕ぐ筋肉は別物らしく、5キロ弱を漕ぐのに30分弱かかってしまった。
まずは95体目の放牛石仏を訪ねる。これは場所はすぐに分かったが、いざ写真撮影しようとカメラを取り出したら、いきなりバッテリー切れの表示・・なんてーこったい・・
そこで携帯で撮影、阿弥陀堂は地震の影響と見えて少々傾いていて、つんばり棒で補強がしてある。
標高32.5mの戸島山登頂は、風が冷たく今回はやめておくことにした。(自転車で足ががくがくして自信がないのが本音)
ここから折り返し、途中から右折して東バイパスを横切り、長嶺西小・長嶺中学の前を通って小川沿いに出、右折すると
橋の際にお地蔵さまが立っておられた。
二枚の説明看板「出小屋の追分地蔵」と「南郷往還」の大変丁寧な説明看板が立てられていた。
お地蔵様自体は、天明の飢饉の折、幼い子供を亡くした人が供養のために建立したものらしい。
なんともきらびやかな涎掛けをされているが、金色のメタル状のものが風に揺れているが、女物のエプロンにわざわざ取り付けたものか???
出小屋は二軒明治のころまで建てられていたらしいが、場所を特定する表示はない。ご近所の方が出ておられたらお聞きしようと思ったが、人影が見えず断念。
これにて一件落着、帰途本屋さんに立ちよったりしての都合2時間、冷たい風の中の10キロほどの輪行であった。

  
 電柱の右側に遠望できるのが「戸島山」である、距離約1.6キロ

 
 南郷往還は左手奥から追分地蔵の前を通り右奥の方へ進んだか、ここから写真右下方向に道があり、戸島山の下の阿弥陀堂へつながっていたと思われる。

 
                     
                 地蔵様の後ろにある影が、台座ではなかろうか。何とも派手なメタルを下げた涎掛けである。

                                                 

                                                                               地震で傾いだ阿弥陀堂、右手看板の後ろに石の祠がある。
        

                観音堂脇の石の祠の中に鎮座する放牛石仏・95体目                                   高田先生撮影の同祠

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ■細川小倉藩(453)寛永六年... | トップ | ■説明板「南郷往還」と「出小... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿