津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川小倉藩(467)寛永七年・日帳(一月八日~十一日)

2021-01-23 09:41:01 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永七年一月)八日~十一日

         |                        
         |    八日  安東九兵衛
         |
出家ノ年賀    |一、今日、出家衆御礼在之事、
忠興放鷹     |一、御鷹野ニ被成御座候事、                     (横田権佐ヵ)
四十二丁立ノ船ノ |一、水橋五郎助舟四十弐丁立の日覆・今度出来の六端帆の日おゝいの御奉行■■■■湯浅角兵衛与林
日覆  新造ノ六 |        (角之丞ヵ)
端帆ノ日覆ノ作製 |  田喜左衛門・不破与吉川十兵衛也、
本阿弥光益書状  |一、本阿弥公益ゟ飛脚にて文箱参候を、南川治部を以、上ル也、  

         |                        
         |    九日  加来二郎兵衛
         |
舟梶用ノ鯨鬚二十 |一、御舟ノ梶ニ成候くじらのひげ廿六本之由にて、弐包ニして、吉田縫殿ゟ被持せ上候事、
六本       |
         |                  (氏銕)                       本多甲斐守様ゟ御文箱一つ、
戸田氏銕本多政朝 |一、御船頭熊平介、大坂ゟ罷下候ニ、戸田左門様ゟ 殿様へ被進之候御文箱壱つ〇志水伯耆所へ被成
書状来ル     |                                      (元五)
忠利志水元五邸ニ |   (出ヵ)                            (異筆)(茣蓙包)
アリ       |  御■座候間、奥村少兵衛ニ持せ、上ヶ申候事、「但、こざつゝミノ手桶壱つ参候也」
         |一、式ア少輔殿へ、寺嶋主水ゟ遣被申状壱包、是茂同前ニ少兵衛ニ持せ遣、伯耆殿にて、式ア殿へ相
         |  渡申候也、
志水元五加増千石 |一、志水伯耆守ニ御加増、千石被遣候事、
鉄炮足軽獺ヲ上グ |一、修理召抱候御鉄炮衆大村五郎左衛門尉、田川ニ而、獺壱つ取申由ニ而、差上申候、
         |                 続亀介与前川茂次右衛門
驢馬買入ニ肥前へ |一、ろ馬かいニ、肥前へ被遣御鉄炮衆友田二郎兵衛与梶原喜左衛門・御中間壱人被遣候、御中間ハか
仲間ヲ遣ス    |                 〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
鉄炮足軽ハ横目  |                                 
仮切手ニテ銀ヲ請 |  い手、御鉄炮衆ハよこめニ遣候、かり切手にて御銀請取参、罷帰次第切手調候へと申渡候事、
取ル       |
         |   (政長)
中村政長ニ被物  |一、中村少兵衛ニ、御小袖五つ被遣、今日下関へ被成御戻候事、
唐人少峯ニ給与  |一、少峯ニ、銀子十枚・御小袖壱つ被遣候也、
         |一、中村少兵衛、下関へ被罷帰ニ付、案内者として、歩之御小性黒木三太夫・森左平次被参候処、今
         |  晩ハ日和悪敷ニ付而、関へ被渡候事成不申候由、船頭とも申候、就夫、内裏庄や所ニ逗留仕候
         |  由、被申候事、
         |   (与ヵ)
忠利折節獺皮ヲ頭 |一、修理■抱大村五郎左衛門、獺壱つ上ヶ申候処ニ、能上ヶ申候由申渡、ほめ候て可遣候、折節御ほ
巾ノ裏ニ求ムル所 |  しく被 思召候処ニ、被成御満足候、御頭巾ノうらニ可被成候間、早々皮をはかせ可申旨、 御
満足ス      |  意候事、

         |                        
         |    十日  奥村少兵衛
         |
忠利終日放鷹   |一、今日ハ終日、御鷹野被成候事、
少峯長崎へ帰ル  |一、少峯事、長崎罷帰候事、
江戸邸門番交替帰 |一、黒瀬善右衛門・二瀬助右衛門・加藤作左衛門・深水惣右衛門、此四人ハ江戸ゟ、御門番にて罷
国ス       |  下候也、内右、介右衛門ハくじ取にて、口ノ御納戸之御番ニ申付候也、
本阿弥光益飛脚ニ |一、本阿弥光益ゟ之飛脚ニ、京銭弐貫文被遣候也、
京銭ヲ給ス    |

         |                        
         |    十一日  安東九兵衛
         |
忠利放鷹     |一、今日、御鷹野に被成御座候也、
使者谷忠兵衛豊後 |一、谷忠兵衛、豊後御横目衆へ御使者に被遣、今日被罷帰候、御横目衆ゟ、御小袖弐つ宛四つ拝領仕
横目ヨリ厚遇サル |  由被申候、左候而、御振舞被下候由、被申候事、
         |                      (幸長)
京菊屋宗有ヨリノ |一、京都菊屋宗有手前ゟ、御借銀ノ儀に付而、野田小左衛門尉へ差越申状、小左衛門ニ相渡候事、
借銀二ツキ書状  |
         |   (種次)       (筑後山門郡)         (田川郡)(同郡)
立花種次通過にツ |一、立花主膳様、内裏ゟ柳川へ被成御通ニ付而、猪膝か香春可為御泊候条、御振舞可申付由ニ而、志
キ饗応      |             (元明)
         |  賀左門只今被遣候、則住江甚兵衛ニ申付、御振舞道具次夫ニ而持せ遣候事、
鷹野用ノ馬ヲ細工 |一、御鷹野ニ御持ニ被成候馬壱疋作せ可申旨、御鷹師上田太郎兵衛を以、被仰出候、則御細工早田才
師ニ造ラシム   |  助ニ申付候而、作せ申候也、
         |                                 (嘉)
立花種次饗応ニ料 |一、立花主膳様御通り被成候、香春まて御振舞被成候ニ付、御料理人吉田加右衛門・大野孫市、両人
理人       |  差遣候也、
         |一、立花主膳殿香春にて被成御振舞ニ付、志賀左門被参候ニ、歩之御小性森左平次を相添候而遣候
         |  事、
中津ノ出家等年賀 |一、年頭之御礼ニ、中津之出家衆被参候、今日御礼被成御請候也、
ニ来ル      |
山内勘助初見   |一、山内勘兵衛孫勘助、只今御礼申させ候由にて、三太夫同心にて被参候事、

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■テーマ曲「あはがり」

2021-01-23 07:32:45 | 徒然

 NHK・BSの「新日本風土記」で「長崎街道」をやっていたが、いつもの如く途中からである。
    再放送 BS4K 129金曜  ~ 新日本風土記「長崎街道」

吉宗の時代、長崎から江戸に向けて象が歩いた古い道である。
長い歴史が新しい時代へ時を刻んでいく中、消し難い伝統が生きづいている。歴史のすばらしさ、有難さをしみじみ感じる。
小さな子供たちを主役として、小さな町はお祭りで絆を確かめ合って時代を継承していく。子供たちの誇らしげな顔が古里への想いを焼き付けたことを物語っている。
そして町は生き続ける。
シュガー街道とも呼ばれる砂糖の文化は、長崎のカステラから、小城の羊羹へと長崎街道を通じて受け継がれ、甘みが少なくなる事を「長崎が遠くなる」というのだそうな。
「象も歩いた」長崎街道223キロ、終点は小倉の大橋である。小倉には古の姿を残そうと木造の橋が現存する。
歴史をどのように伝え遺すのか、私はテーマ曲の「あはがり」に想いをする。
奄美の歌だが、あの素朴なメロディーと歌が醸し出す詩情は、太古の古里へ導かれるような心地である。
豊前街道はどうか、豊後街道は・・日向街道・薩摩街道はどうか。そして往還と呼ばれた古い道を大切にしたい。
「あはがり」の魔力に陥ったような気持ちで、見入ってしまった。

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