津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■ウイキペディアから記事が消えた

2021-01-04 12:51:44 | 新聞

 今日のデジタル朝日新聞では、「明智光秀は本能寺に行かなかった」という記事を挙げている。
斎藤利三と、光秀重臣の明智秀満が率いた先発隊2千余騎が本能寺を襲い、光秀は寺から約8キロ南の鳥羽に控えていたとされる。
これらの事は、加賀藩に於ける記録「乙夜之書物」に斎藤利三の三男・利宗が甥の加賀藩士の井上清左衛門に語った内容として収録されているのだという。

 さてこの斎藤利宗という人物、ウイキペディアの記事が削除されている。全文削除に近い処置なのだが何が起こったのだろうか・・
法号を「立元」と紹介したりしているが、これは「立本」が本当で、「たてもと」とでも読んでタイピングの段階での間違tっつたかと好意的に解していたが、全文削除となるとこんな些末なことではないようだ。
春日局の兄であり後徳川家光の家臣となった利三は、かっては加藤清正にも仕え熊本にもなじみが深い。
私は、清正の菩提寺・本妙寺に宛てた書状をもっているから一層身近に感じている。

 明智光秀の本能寺襲撃の原因については、百家争鳴の状態だが、最近では斎藤利三のかかわりが指摘されてクローズアップされている。
今般の利宗の伝える処とされる記事が、光秀を論ずる識者の中にどう変化がおこるのか興味が尽きない。

 それにしても、ウイキペディアが気にかかる。

 

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■素晴らしかった大学駅伝、

2021-01-04 08:55:07 | 徒然

 御正月は何といっても大学駅伝、今年は初日から思いがけない展開になった。
コロナの影響で満足な練習もできなかったかもしれないし、寒さも影響したかもしれない、1区の超スローペースの入りが驚くものだった。
下馬評の強豪校が下位に沈む初日の展開と、創価大学の往路優勝にも驚かされた。
復路の創価大の走りも見事だった。最終区二位との差が3分以上あったから優勝は間違いないと思われたが、駒沢大の猛烈な追い上げがドラマを生んだ。又青学の追い上げも見事というほかなかった。

 アナウンサーのコメントにも感動した。やはりこのアナウンスの見事さがメディアでも取り上げられている。
ドラマを盛り上げた功労者ともいえる。
二位創価大監督が最終勝者にかけた言葉には、惜しくも優勝を逃したことに責任を感じているだろう選手にとっては救われる思いであったろう。
毎年ながら大学駅伝は涙を誘うドラマがある。

 コロナ禍の中のこのドラマティックな今年の駅伝は長く記憶されることであろう。全選手の健闘を心から讃えたい。

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■細川小倉藩(449)寛永六年・日帳(九月十四日~十七日)

2021-01-04 07:57:38 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永六年九月)十四日~十七日

         |                        
         |    十四日  奥村少兵衛
         |
町ノ貸家ノ板返シ |一、矢野勘右衛門尉被申候ハ、町ノ御かしや今日板返シ仕候、左候ヘハ、竹少もきり申たるが無御
備蓄ノ竹ナシ   |  座候、竹奉行手前へ、各様ゟ大阪へ御上せ被成候竹ノ由ニ而御座候、是を御かし候ハヽ、上かた
         |  への竹ハ、何時にても御用次第ニ返シ可申候間、御かし候へと被申候、舟便次第上せ申竹ニ候
         |  間、其時つかへす候やうニ候ハヽ、御つかい可有由、申渡候事、
         |  (山城愛宕郡)
         |一、吉田ゟ、狩野小源五罷下候、御船頭ハ三宅新介船ニ而下ル、
江戸裏方版病ニヨ |一、江戸御裏方御番ニ遣申上田源丞儀、相煩申ニ付、御切米をへし候て、爰元ノ御番ニ置申筈ニ相極
リ切米ヲ減ジ在国 |  申候事、
セシム      |
外様鉄炮足軽   |一、右源丞替ニ、外様御鉄炮衆ノ内、友田二郎兵衛与阿部孫右衛門尉被 召上、江戸ノ御番ニ遣申筈
         |  ニ相極候也、

         |                        
         |    十五日  加来二郎兵衛
         |
中国ヨリ隼落シノ |一、中国へ隼取ニ被遣候御鷹師福川少介、兄ノ隼壱居おとし、所之ものにもかくし候て罷帰由ニ而、
鷹師兄隼ヲ秘カニ |  登城仕候、則御家老衆へ其段被申候へと、申渡候事、
持帰ル      |
江戸詰ノ長柄足軽 |一、江戸へ相詰申御長柄衆替として、今日御長柄衆三人、清兵衛・八兵衛・源八差遣申候、惣積之目
交替ニ出府ス   |  録壱つ、深野二郎右衛門・粟野伝介・豊岡甚丞ゟ差上被申候、我々ゟノ言上ノ文箱壱つ、内ニ
奉行惣積ノ目録ヲ |  二郎右衛門・伝介・甚丞・我々相判ノ言上壱つ、又我々迄ニ而、追而ノ言上壱つ入申候也、
上グ   相判ノ |
言上状      |
京大坂ヘノ状   |一、今日御長柄衆乗せ上候御船頭宮崎孫左衛門ニ、京・大坂へ之状とも相渡申候事、
松山源丞中津へ御 |一、松山源丞、明日中津へ御礼ニ参上仕由、被申候事、
礼ニ参上     |

         |                         
         |    十六日  安東九兵衛
         |
忠利室三斎へ重陽 |一、御裏様衆原甚右衛門、中津へ 御裏様ゟ、九日ノ呉服被進候を持下、中津へ去六日ニ着仕候而、
ノ呉服ヲ進ム   |   (唯)
         |  昨今爰元へ参候由にて、登城仕候也、
         |一、江戸御裏様ゟ、原甚右衛門尉今日■六日ニ中津へ着、同十六日ニ爰元へ参候由にて、登城被仕候、
忠利室付ノ切手ヲ |              
知行方奉行ニ渡ス |  岩間六兵衛・遠藤安斎・狩是斎ゟ、唐沢助右衛門。・原甚右衛門・幸田仁左衛門御切米ノ切手ニ
         |  被差下候を、加藤新兵衛ニ相渡候事、

         |                        
         |    十七日  奥村少兵衛
         |
鷹師中国ヨリ隼ヲ |一、中国へ隼おとしニ被遣候御鷹師中村源右衛門尉、兄ノ隼を壱居おとし候て罷帰候事、
持帰ル      |
松本彦進知行所行 |一、松本彦進登城ニ而被申候は、今日昼ゟ、知行所へ参候由被申候也、
ノ届       |
光尚用ノ鞍桶ノ蒔 |一、横田権佐与藤井喜兵衛登城にて申候は、国遠道倫奉りにて被仰候 御六様へ被進候御鞍桶のまき
絵ノ算用未済   |  ゑの御算用いまた不仕上候、急度か様之御算用なと相済候へと横田権佐被申付候、只今の御用
         |  をはずし申候而、御算用仕候ヘハ、山中弥次右衛門今ほと煩申候而居申候ニ付、御用かけ申様ニ
         |  御座候間、右之御算用相究申候まてハ、別人被仰付被下候様ニと被申候、一段可然候間、其通権
         |  佐方へ被申候而、右之通ニ被仕、被遂御算用候へと、申渡候也、

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