津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■処分された光秀の初報

2021-01-21 10:28:20 | 歴史

 らいそくー信長戦国の古文書解読サイトー」という興味深いサイトがある。
このなかには、私が承知していなかった有吉立行(平吉)に関する書状が」取り上げられ、詳細な解説もあった。
       「麒麟がくる」の明智光秀が細川藤孝に宛てたあまり有名でない方の書状

光秀のこのような書状が何処に残されていたのかは、ここでは取り上げられてはいないが大いに気になる所だ。

 ところで昨晩のBSプレミアム「英雄たちの選択」では細川藤孝が取り上げられていた。
気が付いたときはすでに終盤で、見落としたに等しいが、27日の再放送にかじりつきたいと思っている。
       [NHKBSプレミアム] 2021年01月27日 午前8:00 ~ 午前9:00 (60分)
唯一「細川家に遺る光秀の書状は二番目のもので、最初の書状は細川家によって処分されたとする」磯田道史氏の解説は大いに説得力があり私も同じ思いをするものである。
           「明智光秀書状」の画像検索結果 磯田道史氏の御説・二番目の書状

最初の書状は光秀の泣き言がぐだぐたと書かれていたのであろう。これに対する細川家の返書が有り、さらには現存する光秀書状に至ったと考えるのは正鵠を得ていると思う。
細川家は立場を維持するために、他にもあったであろう光秀の文書は処分されたとする見方は当然のことである。

これらの書状が現存するならば、口さがない論客の百家争鳴も少しは静かであろうと思われるが、そういう意味では光秀は永遠である。

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■細川小倉藩(465)寛永七年・日帳(一月朔日~四日)

2021-01-21 06:59:47 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永七年一月)朔日~四日

         |                        
         |    朔日  奥村少兵衛
         |
         |   (浅山)(田中氏次)
惣奉行年賀ノ定  |一、修理・兵庫ニハ太刀・折紙にて御礼可申上旨、被 仰付候事、
切米取ハ与毎ニ熨 |一、御切米取ノ分ハ、与切ニ御次ニ而に一所ニ被成御揃、のしを被下候、左候て、一人宛 御前へ罷
斗頂戴独礼    |  出候へと、被 仰出候事、
忠利溜池二放鷹ス |一、ため池へ御鷹野二被成御座候也、

         |                        
         |    二日  安東九兵衛
         |
中津ヨリ年賀ノ衆 |一、中津ゟ年頭之御礼ニ被参候衆、
細川立孝使者   |   是は立允様ゟノ御使者       (昭光)
         |   乃美主水・長岡河内・槙嶋云庵・魚住伝左衛門・佐藤伝兵衛・吉住半四郎・福知平右衛門・魚
         |        (村上景則)
         |   住孫作・香山角兵衛・金守権平・石田作右衛門・山本宗賀、
         |   右之衆御礼ニ被参、則今晩御礼相済候也、
謡初       |一、今晩御謡初有之事、
忠利溜池ニ放鷹ス |一、ため池へ御鷹野ニ被成御座候也、

         |                        
         |    三日  加来二郎兵衛
         |
船頭惣奉行網猟ノ |一、白井兵介・鏡善右衛門尉ゟ、被 仰付小鴨弐つ、あミにて打申由にて、被差上候事、
         |                   (松井興長)
豊後横目ヘノ馬代 |一、豊後御横目御両人へ為馬代、大判弐枚、式ア殿ゟ使として、真下七兵衛被持出候、うけ取置申候、
松井興長ヨリ出ル |  御使者谷忠兵衛ニ可相渡由也、
おびらめノ見本  |一、浦上瀬兵衛所ゟおびらめと申もの出し被申候、是を本ニして見せ、於有之ハ上ヶさせ可申由候、
         |  則百留忠左衛門ニ申渡候事、
         |一、中川佐左衛門・左内
         |〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
         |            (泰里)           (河成)
土御門泰里ト竹田 |一、左内借銀之儀ニ付而、土御門殿と出入之状、加々山主馬持参被申候を、京ノ段ニ入置候也、
左内借銀ノ出入  |            忠興末妹が土御門久侑簾中・泰里とあるのは息泰重ヵ?
         |
谷忠兵衛豊後横目 |一、谷忠兵衛、豊後御横目衆へ之御使者ニ明日被遣候、御一人ニ御小袖三つ宛、箱ニ入、御馬代ニ金
へ年賀之使者タリ |       (大脱)
祝儀ノ進物    |  一枚宛、則、判弐枚・御太刀折帋、忠兵衛ニ渡申候事、

         |                        
         |    四日  奥村少兵衛
         |
忠利溜池ニ放鷹  |一、今朝も、未明よりため池ニ、御鷹野ニ成被 御座候事、
         |
客人屋ノ茶ノ補充 |一、住江甚兵衛方ゟ被申越候は、御客人屋之御茶、此中請取申候ハミ」なニなり申候、今日中中村少兵衛
         |  下関ゟ被参候間、御茶うけ取可申由、被申聞ニ付而、相渡申候事、
         | 正月廿九日ニ、重田大坂衆ノ請取切手を取下、加藤・金子ニ渡申候也、就夫、判形けし也、                (黒印、抹消)
         |一、加藤・金子ゟ、銀一包、京衆へ持上候を、寺嶋主水ニ可相渡由にて、うけ取申候、重田吉左衛門〇
中津ヨリ年賀ノ衆 |一、中津ゟ、年頭の御礼ニ被参御侍衆、
         |           (友信)
         |  一色木工・佐方與左衛門・熊谷権太夫・長屋安左衛門・毛利又兵衛・坂崎加兵衛・猿木勘左衛門
         |  ・樹下右衛門・舟長舟四郎五郎・村上善九郎・加藤金左衛門・朽木弥七郎・川口平四郎・鳥井太
         |         〃
         |  兵衛・荒木長助・糸川長右衛門・庄林十兵衛・丸尾與三左衛門・岡田粘右衛門・白樫孫兵衛、
         |  右之衆、今晩御礼相済也、
年賀欠礼ニツキ鳥 |一、井門少次郎・宮本次郎太夫ハ眼気相煩申由にて、使者にて、鳥目次郎太夫三十疋、少二郎ハ弐拾
目ヲ上グ     |  疋被上候也、
         |        (元高)
奉行繁忙点が欠礼 |一、蒲田賢斎・志水二兵衛は、御用多候とて、使者にて、鳥目三十疋被差上候也、
ニツキ鳥目ヲ上グ |
財津惣兵衛父療養 |一、財津惣兵衛被申候は、親惣左衛門煩申ニ付、御暇を申候而、惣左衛門居申所へ参候而、養生仕せ
ノタメ賜暇願   |          (郷)  
         |  度候、若養生在合ニ而難成候ハヽ、此方へよひ、養生可仕由、被申候間、式ア殿へ、其段談合被
         |  仕候ヘ之由申候処、惣兵衛式ア少殿へ被申候ヘハ、早々被参候へ之由、被仰候由被申候、早々被
         |  三候へ之由、申渡候也、  

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