津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■熊本日日新聞から「菊池一族初期の館跡か 菊池市の菊池川右岸」

2021-01-02 13:54:13 | 新聞

菊池一族初期の館跡か 菊池市の菊池川右岸 13~14世紀、「菊之城跡」柱穴三つ

熊本日日新聞
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■細川小倉藩(447)寛永六年・日帳(九月十一日~十二日)

2021-01-02 07:32:11 | 細川家譜

                      日帳(寛永六年九月)十一日~十二日

         |                        
         |    十一日  安東九兵衛
         |
         |    (油)                      (鏡)船頭惣奉行                                                                                        
桐油ノ奉行舟手ノ |一、桐由仕候御鉄炮衆神崎十兵衛登城にて申候は、加々見善右衛門尉申候は、やかて御迎ニ御船差
桐油道服作製ニ渋 |  ■■上せ候間、御舟手之とうゆ道服急度出来候様ニ可仕通、被申候へとも、しふ無之候手、仕
ヲ要ス      |  出シ申候儀は不罷成候間、しふ被仰付被下候ニと、申候也、
         |                         一昨日
         |一、村田半右衛門、此間知行所へ参、相煩、知行所にて〇相果早漏由、申来候通、和田伝兵衛被申候也、
         |                 (長沢顕長室、沼田清延女)
物師賄奉行忠利ノ |一、黒瀬九郎右衛門尉登城にて申候は、伊与殿被仰候は、 殿様御下国茂近日ノ様ニ取沙汰仕候間、
鷹野足袋幷女小性 |                            内一たん上、一たん中、
ノ仕着用ノ木綿ヲ |  左様ニも候ヘハ、御鷹野たびなと多入可申候間、木綿弐端〇御買せ候而被下候様ニと、被申候、
求ム       |  此方にて買申候ヘハ、たかき通申候間、御奉行所ゟ被仰付候様ニとの儀ニ候、幷おくニ女小性
         |  両人御座候、是はしきせにて候、いつも秋袷を被遣候間、此分、又もめん四端御買せ候而可被下
         |  候、四端之内弐端は上もめん、弐端は中もめんの由、被申候也、
         |   (勝重)(勝永)
         |一、坂崎半兵衛・寺尾左介両人、大阪仕舞申由にて、被罷下候事、
         |一、皆川治ア・山本三四郎方ゟ、生嶋平三郎所へ御用之儀在之との状、昨日江戸■ゟ御飛脚之便ニ持
         |  下候ニ付、平三郎知行所へ持せ遣候、則平三郎所ゟ、右江戸ゟ之状被越候、様子ハ、伊藤内半太
         |                                          〃
         |  兵衛・権右衛門両人ハ賄方等申付たる者にて候間、御下国之上、埒明申迄ハ、ふち方を渡置候へ
         |  と被申越儀候、則伊藤内留守居半兵衛と申者をよひ、右之通申渡候、又平三郎へ江戸ゟ参候書
         |            〃      
         |  状ハ、平三郎所へ差返候也、
         |
槇嶋重宣知行所当 |一、牧嶋云庵ゟ、長吉殿知行所当物成口明切手之儀、書状にて被仰越候、就其、中神與兵衛ニ懸銀之
物成口明切手   |  請人を立、惣積衆被申合、口明切手調遣可被申由、與兵衛を以申候処ニ、惣積衆被申候ハ、知行
知行主ノ口明ノ願 |  主ゟ口明被下候様ニとの書付を取置、口を明来候間、其書付無之候ヘハ、不相成由候ニ付、さ候
書ヲ取リ口ヲ明ク |                                      (粟野)(豊岡)
惣積奉行へ云庵書 |  ハヽ、云庵ゟ之状を遣取置、被明候へと申候而、次郎兵衛ニ右之状を持せ遣、伝介・甚丞ニ渡さ
状ヲ渡サシム   |  せ候事、     〃

         |                        
         |    十二日  奥村少兵衛
         |
         |
江戸ヘノ飛脚ニ上 |一、今日江戸へ遣申御飛脚、芦田與兵衛与吉川源兵衛・伊藤金左衛門与村上次左衛門、此両人ニ上申
ゲシ状数ノ覚   |  状数之覚
         |            御文箱
         |  一、三斎様ゟノ御返書〇壱つ、
         |   同
         |  一、九日ノ呉服ノ御返書 御文箱壱つ、
         |  一、我々言上ノ文箱壱つ、    (松井興長室、三斎女)(長沢顕長室、細川興秋女)
         |    内ニ、御年寄衆ゟノ言上壱通・御こほ様言上壱通・御なへ様ゟ言上壱通・御金山ゟノ言上壱
         |    通入申候也、
         |          (成政)             (松井康之室、沼田光長女)
         |  一、式ア殿ゟ、坂崎清左衛門方へあまかミ四包壱つ、内ニ自徳院へ之御状有之由、
         |  一、我々ゟ江戸御奉行衆へ之状、其外方々ゟノ状とも壱包ニ〆遣候、又御鷹之儀、河井権丞ゟ八喜
         |    木工所へ遣シ被申状、右之内ニ入也、
         |           (富ヵ)
         |一、佐分利作左衛門尉与留永七兵衛、今日病死仕由、小頭熊井三郎右衛門尉申来候事、
宇佐参宮幷ニ在所 |一、松田五左衛門尉宇佐ニ立願御座候、御暇被下候ハヽ参度由、被申候、其次而ニ、御屋知行所へも見
銀見舞願     |  廻申度由候、可被参由、申渡候事、
宇佐参宮願    |一、豊岡理介もうさへ立願御座候、参度吉被申候、可被参由、申渡候事、
在所ノ親見舞願  |一、吉田平兵衛も、国東親知行所へちと見廻ニ参度由、被申候、是も可被参由、申渡候事、
         |                      (白井)(鏡)
忠利迎船ノ水夫高 |一、今度御迎ニ差上せ候水夫高、七百人入可申由、兵介・善右衛門申ニ付、当町ニ百五十人出し可被
七百人ノ割苻   |     (吉田ヵ)
         |  申由、縫殿所へ申遣、其外ハ諸浦ゟ出し候へと、高原茂兵衛ニ申渡候事、
         |                        (右衛門ヵ)
材木蔵返シテ命ズ |一、御材木蔵返シノ儀、弓削與次右衛門尉、熊谷三郎兵衛ニ申付候事、
材木蔵返ノ奉行ノ |一、材木蔵返之御奉行ニ、熊谷三郎右衛門・豊岡■理介両人所へ申触遣候処ニ、其ふれ状着不申内
任命       |  ニ、理介登城候て被申候ハ、うさニ立願候事、参度由被申候ニ付、触を聞不被申ニ已前ニ、被
         |                                      〃
         |  申候儀候間、うさへ可被参由、申渡候事、左候て、理介かわりニ弓削與次右衛門を申付候、畏存
         |  間、ゆるし申事不罷成由、申渡候事、
掃除奉行元安国寺 |一、上林甚介ニ申渡候ハ、元安国寺ノ枯松を、其方切せ売被申由風聞候、左様之儀ハうり被申候か、
ノ枯松ヲ奉行等ニ |  御薪ニと被申候かを、惣積衆又ハ我々ニも様子可被相尋由儀を、下にてさやうニ被仕儀ハきこへ
伺ハズ処分ス   |  不申候由申候へハ、大学殿へ申候ヘハ、くさり候分ハ御薪ニ仕、其外ハうり候へと被仰付候ニ付、
忠利ノ下国ニ備へ |  其分ニ仕候、直段ハ材木やをよひ、申付候由申候、幷御下国前ニ候間、御門内御さうち念を入
門ノ内外ヲ入念ニ |  可被仕由、申渡候事、
掃除セシム    |

 

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■今年は牛の歩みの如くに・・・

2021-01-02 07:31:15 | 徒然

                 去年今年ゆるりと牛の歩む如   津々

  積雪の白銀の中の新年かと思っていましたが、雲間から太陽の光がもれるおだやかな元旦を迎えました。
コロナ禍のなか全国各地の皆様から、今年もお元気なご様子の御年賀を頂戴し、こうして新年を迎えられたことに感謝です。
私はあと十数日で79歳になりますが、感慨を新たにするとともに、体調に気遣いながら急がずあわてず、牛の如く確実に歩みを進めようと思っています。
コロナ禍のなか図書館通いがままならず、ライフワークである「新・細川藩侍帳」の改訂作業が遅々として進みません。
「細川小倉藩」をご紹介する中、新たな情報を侍帳へ反映させる作業を進めています。

子や孫のために、「我が家の歴史」もそろそろ、まとめ上げなければなりませんし、まだやることが一ぱいありますから、簡単にはくたばることは出来ません。
この一年も本と資料の山に囲まれて、悪戦苦闘になる事でしょう。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

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