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お帰りモネの感想

2021-08-28 04:03:48 | 身辺雑記

 水牛のわかばは自分で作った、泥溜まりに一日の大半寝転んでいる。ここに毎日水を加えてあげる。水を入れると、たぶん喜んでいるのだろう、足をバタバタさせてゴロゴロ転がる。まるで猫がじゃれているようだ。身体に泥を塗ることで、虫に刺されないようにしているらしい。

 問題はこの泥沼におしっこや糞をしてしまうことだ。どうもわざわざするように見える。わざわざ糞まみれになり、匂いを身体に付けているような気がする。それが一番の虫対策なのかもしれない。それはそれでいいのだが、臭いとみんなに嫌われるところがうまくない。

 昨日は水牛に水をやっていると、何かの用事で通りかかったおじいさんが、水牛に独特の声で呼びかけた。すると、水牛のわかばがとつぜん返事をするのだ。「ぶぅうおーー」と言うような独特の声で、牛とは違う。牛なら「もうー」だろう。

 何度も呼びかけて返事をさせていたのにはまったく驚いた。わかばはいままで一度も鳴いたことが無かったからだ。水牛がこういう声だと始めて知った。おじいさんは水牛の鳴き声と同じ声で水牛に挨拶をしたのだ。あとで、思い出して似たような声を出してみたが、不思議そうな顔で見ているだけで返事の鳴き声は聞けなかった。

 石垣島で沢山の水牛が家畜だった歴史を感じた。あんたが飼っているのか。いや、預かっているのです。素晴らしいな。すごいことだなー。そう言われて帰って行かれた。泣き方をもう少し教われば良かった。なかなか難しいのだ。

 大分練習している。わかばに対して、ブオー、ブオーとやっている。不思議そうな顔をして何のことだとみている。何故変な声を出してるの。そんな感じである。ところがどこでうまく声が出たのか、一度だけ返事をしてくれた。その後何度やっても返事をしない。

 NHKの朝の連続ドラマは「お帰りモネ」である。日本が抱えこんだ、東日本大震災の心の打撃のドラマである。人間がこの打撃から回復が出来るものか、その心の葛藤がテーマのドラマ化である。誰もが、辛い思いを未だに残している。

 決して忘れたわけでは無い。汚染された農地で、農業を続けるつらさを思い知らされた。危険な原発を停止できなかった日本人全員の問題だ。そう今に至っても原発再稼働が行われている。日本の原発事故で原発を捨てた国もあるのに、事故を起した日本が原発にしがみついている。

 農の会ではみんなで作ったお茶は廃棄したのだ。お米だって麦だって小田原でも食べていけないレベルの汚染が起きたのだ。苦しかった。東電はそれに対する補償などまったくしなかった。これも又自己責任。農業者として廃棄を命令しておいて、その対価を払わないで通る社会全体を許しがたいといまでも思っている。

 朝ドラ「お帰りモネ」が、東日本大震災をテーマにしているのであれば、一番心に傷を残している、原発事故に伴う放射能汚染問題を避けて通るのは物足りない。福島では子供の心に残した、甲状腺ガン検査問題がある。検査というものが引き起こした心の問題。

 気候変動にともなう気象災害と言うことがテーマなのだろう。天気予報の立て直さなければならない位置づけでもある。小田原で暮らしていた舟原地区が土砂災害地区に指定されたときに、その科学的根拠が実に不明瞭だった。

 正しい科学性に基づき、判断がされなければならない。自治会長として、神奈川県に対して、明確な科学的根拠を説明するようにお願いしたが、まったく出来なかった。そこでこのブログその経過を書いたら、なんとそんなところにすんでいる奴が悪いと言うコメントを書いた人がいた。日本にはどうも災害被害者に対して、そんなところに住んでいた人が悪いという、差別意識がある。

 農業をやるものとして、天気予報は重要である。天気に関しては学生の頃から興味があった。ラジオの気象情報を聞いて、天気図をかけるぐらいの勉強はした。農業をやるものとして、天気予報を非常に重視している。小田原では天気予報はおおよそは当てに出来た。

 しかし、石垣島では先ずは天気予報では当たらない。当然のことで、小さな島で島の南北で東西で豪雨と晴れが同時に起こる。田んぼにいて、今日はずいぶんの雨だったから、蘭に水やりはいらないと思って家に帰ると。鉢がまるでカラカラというようなことが珍しくない。

 これでは正確な予報は難しいだろう。島は風向きで雲が出来る位置が変わる。そのために、雨の位置も随分局所的になる。風もそうだ。どこで風が吹くかが大きく変化する。ネットの雨雲レーダーも機能していない。

 お帰りモネは気候変動の時代に合っている。ドラマにはなかなかキノ利いた風の哲学のセリフが出てくる。それがちょっといまいちなところがこのドラマの特徴だろう。まるで人生の深いところに触れるような、気の利いたセリフを言うのだが、それがドラマの映像と展開から来るものではない。セリフだけ飛んでいる。

 本来そんなことは台詞で言うものでは無い。ドラマ全体でその主張や哲学で示せなければダメだ。何故できないかと言えば、放射能汚染水問題を避けているような配慮から来ている。気が利いているのだが、ドラマの進行の方は哲学とは行かない。ちょっと現実離れしすぎだろう。ドラマのストーリーから、哲学を示してくれよ。とつい思う。

 いくつもの重要な設定はされている。漁業者、牡蠣養殖、林業家。しかし、違うだろう。大分ちがう。現実から距離がある。東北の農業の問題は触れないのだろうか。一番深刻なことが東北の稲作農家の問題である。放射能汚染でやられた農地の問題は触れないで良いのだろうか。漁業者であれば、福島から流される汚染水問題がある。

 あのときの放射能を押し流した風は、小田原にまで大量の放射能を運んだ。原発周辺から逃げ惑う人に、放射能の流れる方角を知らせるべきだった。多くの人がそんなことは分からないから、風の吹き込む地域に避難した人もいた。

 結果的には、放射能の被害は小さいものだった。しかし、デマが飛び交う中で、誰が信用される情報を出せるのかは極めて重要なことだった。コロナでも言われていることだが、科学の重要性である。人間がどこまで科学性を持てるかである。いまでもワクチンに対する、言われ無き誹謗が続いている。

 気象情報はますます重要になる。その本質的な意味を「お帰りモネ」で示して貰いたい。信頼される気象情報。科学的な判断とは何か。人間の暮らしにとって情報とは何かである。良い情報も、悪い情報も、科学は差別しない。どこまで客観性のある情報を出せるかだろう。

 ディープランニングを取り入れた、台風予報がどうも前より正確で無くなった気がして成らない。コンピューターと人間の判断はどう関わっているのか。世界各国の台風進路の予報が出てくるが、結果的にどこが一番正確なものか。私にはどうも気象庁には老婆心のようなものがあって、悪い可能性に引きずられて、予報している気がして成らない。これでは狼少年になってしまい、科学性では無くなる。

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