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継続の工夫

2021-08-19 04:16:48 | 身辺雑記
 8月15日の田んぼ


 8月16日の石垣島田んぼ。
8月18日の田んぼ 急速に成長していることが分かる。

 15日からコロガシを続けている。田んぼも継続することで分かってくることが山ほどある。草は全くないが、コロガシをすることで、土壌がよみがえる。有機農業の病害虫対策は強い稲を作ることだけである。強い稲を作るためには良い土壌を作るほか無い。

 土作りには時間がかかる。成果が見えないようなことを、継続してやっと3年目当たりですこしづつ成果が見えてくる。イネ作りを続けてきたことで、勤勉と言われる日本人が作られたのだと思う。伝統的なイネ作りを止めたことで、日本人が失われつつあるのだろう。

 生きると言うことの面白さは、好きなことを日々継続できると言うことだと思っている。継続していれば、出来なかったことがいつか出来るようになる可能性がある。それが一番おもしろい。たとえいつまで出来ないとしても目標に向かっているという張り合いはある。

 出来るはず無いと思っていたことでも、正しい方向で長く続けているとかなりのことは出来るようになった。中でも続けて一番嫌だったのが、受験勉強である。我慢して、我慢して続けて、何とかな、、、

 小学校5年生の時に、美術の根津荘一先生が絵を評価してくれて、美術展などに出してくれたのだ。そうした機会に何度か賞を取ったりしていたので、何か狐につままれたような気分だったのだが、絵が上手なのかもしれないと思ったわけだ。

 根津先生は光風会日展の人だった。当時、叔父が芸大の助教授だと言うことを知っていて、そんな目で私を見ていたのではないかと今は思う。根津先生とは、渋谷の洋画人体研究所で並んでクロッキーをしたことがある。素晴らしいクロッキーをされた。

 父親は好きなことを見付けるのが子供の仕事だと、口癖のように言っていた。世田谷中学に入るとすぐに油絵を始めた。中学に入れば、油絵の具を買ってくれると親が約束してくれたのだ。小学校の水彩では、物足りなかったのだ。絵の具を盛り上げられると言うことに憧れていた。

 それからずーと切れ間無く絵を描いているわけだ。油彩画を止めた、というか描けなくなったのは40歳の頃で、水彩画なら描ける状態に変わった。一番継続できるかどうかの分岐点は大学進学の頃だった。父親が芸大を目指すことに絶対反対だったのだ。父親を信頼していたと言うこともあり、納得して芸大は諦めた。 

 大学のころに、絵を描くこを自己証明として、絵を描いていたのだと思う。自分が何者かであるかを絵を描くことで見付けようとした。こんな状況下でおまえは何で絵を描いているのかと、問いただされた。そんなこともあり、絵で世の中を変えられるかもしれないと考えるようになった。
 
 絵はそのまま今に至るが、続ける以外に考えられなかった。絵は描きたいときにだけ描いてきた。描きたくないときに描くようなことは避けてきた。描かないでいればどうしても描きたくなるのだ。今でも絵を描くことには新しいことが見つかる、わくわくするような面白さがある。

 これは絵を継続してきた様子である。そう肝心な書きたかったことは、どうやって継続するかであった。例えばこのブログである。書くのが好きと言うほどでは無いが、今は描きながら頭を整理していることが多い。この後田んぼをどうしようかと思うと、ブログに書いている。書くことで気付くことが結構ある。

 開墾生活に入り、必要に迫られその日にやったことを記録するようになった。それはルーズリーフノートである。10年ぐらい続いて、それがブログの方が便利なので、ブログにと変わったということだ。必要は継続の母。

 継続の一番は必要と言うことだと思う。そしてブログを続けることが出来て、継続力に自信がついた。ブログを始めた頃一番期待していたのは、文章が自分のものになるかであった。井伏鱒二氏の大ファーンだ。特に文体のファーンかと思う。

 ゆっくりとした気持ちで読んでいるだけで満足が出来る。不思議な高級な心持ちの世界に上昇してゆく。すごいものだと思う。ああいった文章が書ければと夢見る。文章を毎日書いていれば、いつか近づけるのではないかと実は思っていた。最近は、さすがにそれは無理な話だと分かってきた。

 それでも、今こうして書いている文章が自分なのだとは思う。何しろ毎日書いていて、こうなのだから、これ以上もないし、これ以下もない。井伏鱒二氏の文体に憧れたというのは、当たり前のことだが、その人間性に憧れたのだ。

 文体が人間を表しているに違いないのだから、その人の哲学や感性が充実しない限り、井伏鱒二文体には成れない。もちろん真似をしてみたところで、始まらない。まったく絵と同じである。一つ言えることは、井伏鱒二氏は水彩画を描く。この水彩画なら、私の方が良いかもしれないと思える。そうでもないか。

 水彩画も文章もかなり技術的なことがある。いくらその人の人間力だと言っても、技術を訓練しなければ、到達できないところがあるのが、芸術の術の部分だ。これには正しい努力とか、我慢というものが伴うものだ。そう思って、今も継続の努力を続けている。100歳まではあと28年ある。

 最近続けているのが動禅である。70歳からの修行である。朝1時間やっている。石垣島にいるときは必ず、行うことにしている。じつは今でも今日は終わりまでやれるのか不安である。我慢する気持ちを含んで始める。そしてたいていの場合は終わりまでやれている。

 それでも、以前は最初のスワイショウだけはやろうという気持ちで始めた。次第に八段錦はやる。太極拳まではやりきろうと思えるようになった。最近の心持ちは最後の蹴り上げ体操と、体幹「立ち金魚運動」はやらないでもいいからと思い始めている。ぜんぶやらなければと思うと、始めることの気が重い。

 結局の所、大抵は我慢して終わりまでやりきっている。それくらいやりきるのは大変なことなのだ。頑張って継続している一番の要因は、長生きしたい欲である。もう一つの欲が、動禅の心持ちは絵を描く心持ちに通ずると思えてきたからである。

 一日中車の中に座り込んで絵を描いている暮らしである。不健康そのものである。それが、動禅体操の御陰で体調が良いのだ。毎晩酒がうまい。食べたいものを食べて、好きな田んぼをやって、絵を描きたいだけ描いている。それで内観法で感じるところ、体調は万全である。あと10年は田んぼが出来そうな気がしている。

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