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小田原市長選加藤憲一氏再選

2024-05-21 04:03:19 | Peace Cafe


 小田原市長は前回の市長選挙で4選目で落選したが、今回は大差で現職の守谷市を圧倒して再選された。支持政党はない市民系の加藤氏と自民党や野党も相乗りした政党候補の現職守谷氏の選挙だった。結果は驚くほどの大差で、自民党系の保守候補守谷氏が落選し、加藤憲一市長が返り咲いた。

 加藤憲一氏は、元あしがら農の会の仲間だった。農の会を退会して、市長選挙を目指した人である。娘さんが白血病になり、収入の少ない農業を続けられなくなった。私は仲間として農業をやって欲しかったが、娘さんの病気と言うことだから仕方がなかった。

 そして、選挙では本気で選挙応援活動をした。政策立案をする委員会の委員長として取りまとめた。ただ私の加藤さんに期待するものと、加藤さんが市長になってやりたいことに、大きな違いがあって、いつの間にか私は蚊帳の外に置かれていた。それでも、あしがら農の会の仲間という気持ちがあり、加藤さんへの応援は続けた。

 あしがら農の会が組織化されたときには、加藤さんはすでに自分の農業の組織を運営していた。あしがら農の会には地元小田原の出身者が一人も居なかったので、農の会を一緒に立ち上げた、山田純さんと相談した結果。農の会に入って貰うことをお願いした。30年は前のことになる。

 加藤さんと山田純さんと私は酒匂川フォーラムも一緒にやっていた。産廃の最終処分場の反対運動が勝利しても、何も産まれない。と考えたからだ。弱いところにはまたおかしな物が出来る。地域の農業を活性化する事が重要だと考えるようになった。

 その頃すでに農の会の活動を始めていた。加藤さんに代表として迎えるから、農の会に入って欲しいと懇願した。多分、その頃から将来は政治に進出する気持ちがあるような人だと感じていた。農の会に関わっておくこともそれなりに意味があると考えたのだと思う。

 農の会が、曖昧な農業者の集まりだったものを、すこしづつ方向性のある形を作ったのは加藤さんである。今でもある通信は加藤さんが始めたものだ。毎月の定例会も加藤さんの代表の時に始めた。その後5年ぐらいは一緒にやったのだろう。

 加藤さんは他の農の会の仲間とは感触が違う人で、腹を割って関係したという記憶はない。いつも彼なりの計算があって、参加していた。実際の農業の方は、加藤さん自身はそれ程集中してやっている感じはしなかった。仲間が沢山居て、その人達がやっているという感じだった。

 多分当時から農業以外の活動が色々あったのだろう。そういう農業以外のことは関わらなかったので本当のところはよく分らない。その後、市長選に立候補すると言うことになり、初めての選挙では落選して、2回目に当選をした。当選したら、いよいよ感触が違う感じの人になった。なんだかなー。と言う気がして近づかないことになった。

 しかし、農の会の活動が拡大したのは、加藤さんが市長になってからのことなのだろう。加藤さんに何かをお願いしたことは一度もない。また加藤さんも農の会に何かをしてくれたことは無い。そうありたいと思っていた。しかし、加藤さんが市長である事は、やはり世間的には農の会のみる眼は変ったに違いない。

 その後、農の会から、市議会議員、県会議員となった佐々木ナオミさんが出た。ナオミさんの選挙では後援会長までやった。ますます農の会が政治的な意識が強い会と見られたかもしれないが、農の会のような市民組織を利用できると考える人が、農の会に色々関わったと言うことの方が、実際の所に近いのだろう。

 加藤氏に再度立候補を要請する動きは聞いていた。私にまで、何とか出て欲しいので、頼んで欲しいという依頼まであった。あまりに守谷氏の市政がひどすぎるので、市民の組織が何とか加藤氏にもう一度やって貰えないか、と言うことだったようだ。

 しかし、加藤氏ははっきりとした気持ちで、ブドウ農家になるつもりだった。本人からそう聞いたし、実際にその方向で進んでいた。農の会の仲間も随分手伝いに行っているようだった。そのぶどう園はミカン畑の跡地の斜面にある。造成に苦労したらしい。

 今度は本気で農家になるんだと思い、喜んでいたところだ。あのぶどう園は誰が維持することになるのだろう。あのぶどう園を手助けしている人達も多く、多分その人達も、市長への立候補を応援したのではないかと思う。加藤さんの回りには、加藤さんに協力する人が沢山現われる人である。

 人望があるとも思えないのだが、またそれとは別の人を惹きつける何かがあるのだろう。こうして再度小田原市長になったのだから、是非とも今度はやりたいことを、やり切て貰いたいものだ。現実は確かに甘くないのだろうが、また前回と同じではもったいない限りである。

 今回の市長選挙で、学校給食の無償化などを上げていた。学校給食の地元食材の利用もお願いした。加藤市長の時代に随分進めたが、市長ならやれるはずだし、興味があると思われたが、加藤市長にまるで反応がなかった。その点ではむしろ守谷氏の方がやろうじゃ無いかと言うことだった。

 わたしの目には加藤氏の市政は事なかれ主義に見えていた。まあそんなことを言うのは、私だけかも知れない。加藤氏には期待しすぎていたのだろう。特にゴミ問題の検討委員会には加えてもらい。ダンボールコンポストの活動を始めた。これには市役所の職員になったのかというほど、環境課にかよった。

 この活動は成功して今でも続いている。環境大臣賞も受賞した。しかし、ダンボールコンポストは検討委員会の方針では第一次段階で、次の2次段階で地域での生ゴミ集積のことが始まるはずだった。ところが、いくら要望しても始まらないので、はしごを外された気がした。それで私はこの活動から身を引いた。

 加藤氏は何と石垣市長の中山市長ともおかしな関係がある。初当選した中山市長は施政方針演説で、加藤氏の演説を剽窃したのだ。そのことは中山市長自身が認めたので、間違いのないことだ。加藤氏は確かに言葉は真似したくなるように立派なのだ。問題は実行なのだから、今度はやりきって欲しい。

 政治はそこに暮らす人のことにどれだけ良いことが出来るかだと思う。その意味では前回の加藤氏には、期待外れだった。確かに実際には難しいことばかりなのだと思うが、それは違うだろうと言うことも多かった。競輪場は今もあるが、競輪場の廃止も当初は主張した。

 しかし、守谷氏になってみれば、保守の人というものがどれだけひどいもので、大型開発思考であるのかと驚いた。この利権の圧力に加藤氏は耐えていたのかもしれない。市民活動から遠のく力が働くものかを経験した。加藤氏に対して期待が大きすぎたのかも知れないという思いもあった。

 4期目で止めるつもりで、今回はやりたいことをやりきって貰いたい。そしてぶどう園に戻れば良いではないか。その方が、加藤さんらしい生き方だと思う。
 
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