あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

トルコ・世界遺産カッパドキア①

2010-07-17 22:19:16 | トルコ旅行
 関東甲信越地方も、今日、7月17日(土)に梅雨明けの発表がありました。しばら
くは暑さが続きそうですので、外出の際には熱中症に十分ご注意を…。

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 2010年5月22日(土)は、トルコ中部の世界遺産、カッパドキアをめぐりました。



 カッパドキアは、トルコ中部・アナトリア高原の中央部に広がる、大奇岩地帯です。
キノコのような岩に代表される奇岩の続く不思議な景観や、奇岩の中に残っている
数多くのキリスト教壁画、地下何十mに掘り下げられた地下都市などがあります。

 カッパドキアには、紀元前8000年ころには人間が住み始めたとか。紀元前15~
12世紀には、オリエントで強大な帝国だった、ヒッタイト王国の中心地として栄えま
した。

 紀元後4世紀には、ビザンチン帝国の領土となり、この地に移住してきたキリスト
教徒により、岩窟住居が建設されました。

 11世紀にはイスラムの支配下になりましたが、キリスト教徒はその後も暮らし続
けていたようです。しかし1923年にトルコ共和国が建設され、隣国ギリシアとの
間で住民交換が行われて、キリスト教徒は姿を消したようです。

 それでは、南北約50㎞に広がるカッパドキアの中で、幾つか回った観光の中心
地の様子を紹介しましょう。

 カッパドキア地方で最大の町、ネヴシェヒルから、最も高いところにある村、ウチ
ヒサールを経て、さなざまなキノコ岩の見えるギョレメに向かいました。

 ウチヒサール付近。


 ウチヒサールの中心にある巨大な岩。

 敵の侵入を防ぐための城塞として利用されていたものです。





 昼食は、カッパドキアの北端に近い高台のレストランでした。レストランの駐車場
から見えた大岩。


 バスで10分ほどの、テヴレントにあるラクダ岩。


 カッパドキアの代表的景観、キノコ岩が並ぶパシャバー地区。

 動物が立っているようにも見えませんか…。




 このような地層は、数億年前に起きたエルジェス山の噴火で造られたものとか。
火山岩と溶岩が数百mずつ積み重なった後、凝灰岩や溶岩層になり、その後も風雨
に打たれて浸食が進み、固い部分だけが残って、このような形になったようです。 

 このあたりは皆、キノコのようです。



 どこを見ても、飽きない眺めでした。




 各々の地域の駐車場周辺には、観光客目当ての土産物店が並んでいました。


 (続く)
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トルコ・世界遺産パムッカレの石灰棚とヒエラポリス遺跡②

2010-07-16 18:13:45 | トルコ旅行
 2010年5月21日(金)、トルコ西南部の世界遺産、パムッカレの石灰棚とヒエ
ラポリス遺跡めぐりの続きです。

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 広大な石灰棚を歩く観光客。景観保護のため、皆さんはだしです。


 石灰棚の下に見えるパムッカレの家並みと、その向こうの広大な景観。


 長い年月により形成された石灰棚の様子。水こそ流れていませんが、中国西部の
世界遺産、黄龍(こうりゅう)の石灰棚と同じように生成されたのではないでしょうか。


 石灰棚の右端に近いあたりの様子。


 石灰棚を離れて、ヒエラポリス遺跡の一角を進みます。


 

 温泉のアンティックプールがあるというのですが、入る時間はないので、のぞくだけ
にしました。

 温泉プールの底には、ローマ時代の遺跡がゴロゴロしているようです。水温は
35℃前後とか。

 たくさんの人が、温泉プールを楽しんでいました。


 プールのそばから見えるヒエラポリス遺跡。奥は、大きな劇場のようです。


 ハドリアヌス帝により紀元前2世紀に造られたローマ劇場で、収容人員は1万5千
人だったとのこと。


 当時の水路の一部が残っていました。




 駐車場に並ぶ観光バスなど。日本人を初めたくさんの観光客が見えていました。
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トルコ・世界遺産パムッカレの石灰棚とヒエラポリス遺跡①

2010-07-15 11:17:54 | トルコ旅行
 2010年5月21日(金)、トルコ西南部の世界遺産、パムッカレを訪ねました。



 パムッカレにある、ヒエラポリス遺跡の城壁でしょうか。ここが入口です。


 ヒエラポリスは、紀元前190年に始まった都市の遺跡で、この時代のものとして
は、最も内陸部にあることで知られているようです。

 ベルガモン王エウメネス2世により建造されたものとのこと。2~3世紀には、人
口10万人を超え、典型的なローマ地方都市となり、ビザンツ時代まで繁栄したの
ですが、セルジューク朝により滅ぼされました。



 広大な斜面のあちこちに、大きな遺跡が見られます。  



 南西側だったでしょうか、残雪の山並みが望まれます。






 遺跡に接した、町を見下ろす斜面には、広大な石灰棚が広がっています。


 この地の、温泉水に多く含まれた炭酸カルシウムが、水中の酸素と結合して沈殿
し、長い年月を経て凝結されたものとか。

 石灰棚の長さはおよそ3㎞、厚さは300m、ふもとの町並みからは100mほどの
高さのところにあります。



 石灰棚と遺跡との間にある、公園のようなところには、キョウチクトウやバラなどが
花盛り。

 向こうに見える石積みのところは、南大浴場だったヒエラポリス博物館ですが、
時間の都合で入館はしませんでした。。


 花の近くに、当時の(といってもいつ頃のものか忘れましたが…)都市の想像図
がありました。 その頃から石灰棚はあったようです。


 石灰棚の中には、裸足になれば入ることが出来ます。中に走る溝には温泉が流れ、
足湯も楽しめます。でも流れはぬるぬるしているので、滑らぬよう注意が肝心。

 あれ!右の帽子を被った日本人風の男性は、靴を履いている。ルール違反です。 



 眼下に見える緑の豊い町並み。教会も見えています。

 
 このあと、石灰棚上部に沿った遊歩道を、先に進んでみました。(続く)
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ケビン・ショートさんの講座へ

2010-07-13 22:26:45 | Weblog
 2010年7月10日(土)

 東京駅八重洲北口に近い第二鉄鋼ビル地階に、(財)日本交通公社の「旅の
図書館」があります。

 ここには国内外を問わず、旅に関連する図書がたくさん揃っているので、旅の
計画をする際の情報収集には欠かせないところです。

 旅の図書館では年2回、「旅の図書館講座」も開催していて、旅のエキスパー
トともいえる方々が、旅に関連する興味深い講演をされています。

 私はこの催しを、やまさんから聞いて知り、その後2回ほど参加しました。

 この日の講演は、ナチュラリスト・フォークロー研究者のケビン・ショートさんの、
「日本のスピュリチュアルな世界-里山・神話の里-」という話でした。

 ケビン・ショートさんは、新聞や雑誌に、自然や民俗学などに関するエッセイを
寄稿するとともに、テレビ・ラジオ、自然観察会や講演活動を通じて、環境教育
に積極的に関わっておられます。

 ケビンさんは現在、千葉県印西市(いんざいし)にお住まいで、東京情報大学
環境情報学科教授をされています。

 [この日の講演の要旨]

 ケビンさんは、アメリカ合衆国・ニューヨークに生まれ、日本には30年以上住ん
でおられ、北は礼文・利尻から南は沖縄の与那国島、西表島まで、日本国内の
全都道府県に少なくとも3~4回以上は回っておられるとのこと。
 
 日本の多彩な自然が好きで、日本人の自然と突き合う文化が興味深いといわ
れます。 

 テーマの「スピリチュアリティ」とは、個人で持つ宗教観的な、民間信仰ともいえ
るもので、人々の実際の生活に密着してムラや集落に存在するもの、といったこ
とのようです。


 そのスピリチュアリティをもたらすのが、「パワースポット」で、その場所には目に
見えない力があり、人間の心や精神を癒す能力があるといわれました。

 日本のローカルパワースポットとして、5つ上げられました。

①社寺林
  その土地固有の木々がそのまま残り、鎮守の森の生物多様性を示し、大きな
  木には魂が宿ると考えられている。
  (例:お住まいの印西市の里山に残る神社、東京・雑司ヶ谷の鬼子母神、京都
   ・下賀茂神社の糺の森(ただすのもり)など)



②水 辺
  水神様のあるため池など、谷地・谷戸の水を田んぼの水源にしたところ。
  銅鐸に描かれた動物は皆、水辺に住む生き物である。
  弁天様は、水の守り神であるとともに、音楽や言語の守り神でもある。
  (東京・不忍池、井の頭池、三宝寺池など)
    




③境界・道の分岐点
  分岐にエノキが立っていたり、道祖神がある。
  あめのうずめの命(みこと)と猿田彦、南九州の田の神

④霊山(れいざん)
  宮島の霊山、丹沢・大山、男体山など、昔から霊山として崇敬されているので
  木の伐採をせず、昔のままの森林が残っている。

⑤伝説・神話の場所
  千葉・印西の名馬塚、馬頭観音、日本武尊の東征の道のり。

 ほかに、ケビンさんの祖父母は、アイルランドとスコットランドから米国に移民し
たのですが、その出身地の森にも現地の人の自然崇拝の思想が残っていて、森
を伐採するとたたりがあると恐れられていて、いまも豊かな原生林が残っているこ
となど話されました。

 お話の要旨を、うまくまとめることが出来ませんでしたが、ケビン・ショートさんは
日本人以上に、日本の自然の豊かさと、そこに住む人たちの古くからの自然への
崇敬や深い結びつきなどについて理解されていて、それを今後も大事にして行き
たいとの思いから、いろいろな活動をされていることが理解できました。

 私は、数年前に入手したケビン・ショートさんの著書があったので、持参して行
き、講演後にサインしていただきました。
 
 本書は、サブタイトルにあるように「カントリーサイドウオーキングのすすめ」につい
て記されたものですが、これは私たちが「やまさん」こと山浦正昭さんの提唱により
18年前から続けている「カントリーウオーク」に相通じるものが多く、今回の講演も、
大変興味深く拝聴しました。

 2枚のイラストはケビン・ショートさんが描いたもので、そのコピーを、ビニールコー
ティングしたシートをいただきましたが、その一部です。


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武市半平太旧宅と墓など(高知市)

2010-07-12 17:41:54 | Weblog
 参議院議員選挙投票日の昨日、7月11日(日)、開票速報のためにいつもより
早く始まったNHK総合TVの『龍馬伝』では、土佐勤王党の党首・武市半平太
(たけちはんぺいた)が、主君・山内容堂の命により自刃することになりました。

 この武市半平太という人が、どのような人物だったのかは、私は知らずにいた
のですが、この『龍馬伝』により、かなり分かってきました。

 あまり歴史書などを読んだことのない私は、初めて「武市半平太」の名を知った
のは、6年前の3月初め、初めての四国遍路の時でした。

 高知市内の31番竹林寺から、次の32番禅師峰寺(ぜんじぶじ)に向かう途中
で、「武市半平太旧宅及び墓」の標識を見て、立ち寄ったことからでした。

 昨日の番組で武市半平太は切腹してしまったので、もう登場することはないか
もしれませんが、その旧宅などを改めて紹介します。

 場所は、高知市の中心街より南の、海に近い県道247号沿い、下田川の橋か
ら南に1㎞ほど、隣の南国市の西端にある石土池の北1㎞ほどのところです。



 歩いて四国遍路をされた方は、「四国遍路ひとり歩き同行二人」[地図編]をお
持ちかと思いますが、その7~9版の34-1図に記された県道番号の辺りです。

 県道247号から見た武市半平太旧宅。県道の東側100mくらいのところです。

 場所は高知市仁井田ですが、このお宅は現在、Sさんという方がお住まいなの
で中を観覧することは出来ません。

 旧宅のそばには、こんな説明板がありました。




 旧宅に入り込む道路から見たところ。


 墓や資料館、瑞山神社のある場所に向かって右手の高台に上がると、資料館
のそばから、旧宅を見下ろすことができます。旧宅の向こうに見えるのが、県道
247号です。


 高台の中心にある武市半平太資料館。普段は無人ですが、中央の扉を開けて
中に入ることが出来ます。


 資料館の入口右手には、こんな説明板がありました。


 館内はガランとしていて、上部に説明付で武市半平太の肖像や、生涯を描いた
絵が展示されています。


 部屋の一隅にある武市半平太像。






 昨夜放映された切腹場面は、この絵も参考にしたのでしょうか…。


 武市半平太と妻・千賀の墓。現地では気づかなかったのですが、墓碑は「半平太」
ではなく「半太」になっています。なにか訳があるのでしょうか?


 墓地から見える、県道と北側の眺め。高知市の中心街は画面より左奥の方向です。


 資料館の背後には瑞山神社があり、武市半平太が祭られています。

 武市瑞山(半平太)については、下記をご参照下さい。
 
 武市瑞山(半平太)
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トルコ・エフェソス遺跡②

2010-07-11 17:49:03 | トルコ旅行
 2010年5月20日(木)午後に訪ねた、エフェソス遺跡の続きです。

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 エフェソス遺跡 観光コースの中心にある、広いクレトス通りを下って行きます。


 紀元135年頃(102~104年という資料もある)、トラヤヌス帝に献上されたと
いうトラヤヌスの泉。手前に水道があり、奥に池があって鏡としても使われたとか。


 ある建物の前に敷かれたモザイクタイル。


 ハドリアヌス神殿。紀元138年頃、皇帝ハドリアヌスに捧げられた神殿。正面
玄関の装飾が見事です。


 正面アーチのアップ。中央に女神ティケが彫られています。


 ここは公衆トイレ。穴の空いたところに座って、隣の人と話ながら用を足すと
いう開放的なもの。水路の水で、お尻を洗うことも出来たようです。


 柱の並ぶクレトス通りを先に進みます。


 エフェソスのシンボルともいえるのがケルスス図書館。2世紀にこの地を統治した
ケルススをしのんで、息子のティベリウスが建立したものとか。

 1階はイオニア式、2階はコリント式という、異なる様式の柱で造られています。

 ここには、1万2千巻の書物が所蔵されたといわれています。

 1階上部の部分アップ。


 図書館の右手にある門をくぐると、年代ごとの特徴ある柱が3本並んでいます。

 左が古く、右が一番新しい年代のようです。

 その先のマーブル通りには、敷石に刻まれた娼館の広告が見られます。この足
より小さい人は、利用できなかったのだという説もあるようですが…。


 マーブル通りとアルカディアン通りの交点にある大劇場。演劇の上演や市民参
加の集会会場になり、市民にとって大切な場所だったようです。

 収容人員は約24000人という、トルコ最大級の円形劇場で、大観客席の直径
154m、高さ38mの半円形。音響効果も大変優れ、いまもコンサートなどに利用
されているとか。

 大劇場の全景。丘陵の斜面を巧みに利用して造られたことが分かります。


 ここでエフェソス遺跡観光を終え、入ったのとは違う北側の入口に出て、この日の
宿に向かいました。
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トルコ・エフェソス遺跡①

2010-07-09 21:57:54 | トルコ旅行
 2010年5月20日(木)、午後は、トルコ西南部のエフェソス(エフェス)遺跡を
めぐりました。

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 エフェソス(エフェス)は、紀元前11世紀にギリシアからやってきたイオニア人に
より建設された都市国家です。

 この町の黄金時代は、ローマ帝国が支配した紀元前130年ころとのことで、当
時は約10万人が暮らしていたと推定されるようです。

 当時は、ローマやアレクサンドリアに次ぐ3番目の人口を誇り、数々の国際会議
が開催され、キリストの死後には、使徒ヨハネが聖母マリアとともに移り住んで、
余生を過ごしたことでも知られているとのことです。

 昼食地から見た、エフェソス遺跡のある台地。ここにバスで上がりました。


 南側からの入口を入ると、近くにあるのがヴァリウスの浴場。紀元前2世紀に造
られたもので、当時は、この町に入るものは消毒として全身に漆喰(しっくい)を塗
りったあと、この浴場で体を洗ったといわれているようです。


 約1,400人が収容できたという会議場オデオン。当時は上部が屋根に覆われて
いたとのこと。 


 好天で暑くなってきた午後ですが、たくさんの観光客で溢れていました。
 



 大理石の柱の残る通りを先に進みます。 





 市公会堂のあったところ。現在は数本の柱が残っているだけですが、かつてはここ
に聖火が灯され、火が消えることはなかったとのこと。


 私たちはガイドのハイダルさんから、各々の場所で説明を聞きながら進みました。




 こちらはドミチアン神殿、紀元1世紀にローマ帝国のドミティアヌス帝に捧げられ
た神殿。2本の柱の間には、高さ7mのドミティアヌス帝の像が立っていたようです。


 多くの遺跡が並ぶクレテス通りにある、勝利の女神ニケのレリーフ。


 広いクレテス通りを緩やかに下って行きます。正面真ん中は図書館。


 クレスト通りの入口にあるヘラクレスの門。ライオンの毛皮をまとったヘラクレスの
姿が彫られています。2つ前の写真、勝利の女神ニケのレリーフは、この門のアー
チとして飾られていたものだそうです。


 クレスト通りには、このような石像が幾つも並んでいました。


 さて、この先には、どんな遺跡が残っているのでしょうか。 次回紹介します。
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トルコ・ベルガマ(ベルガモン)遺跡

2010-07-08 21:42:44 | トルコ旅行
 今日は、2010年5月20日(木)に訪ねた、ベルガマ(ベルガモン)遺跡を紹介
します。

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 遺跡のあるベルガマは、かつて「ベルガモン」と呼ばれ、「第二のアテネ」といわ
れるほどに栄えたとのこと。

 アレクサンダー大王の遺産を継ぎ、紀元前281年に建設された、ベルガモン王
国の壮大な遺跡がアクロポリスで、遺跡はベルガマの丘陵地帯に残っていました。


 遺跡には、キョウチクトウがたくさん咲いています。


 ここは確か、水道施設だったと思われます。


 大理石の石柱の残るトラヤヌス神殿。王宮跡に造営されたもので、ローマ皇帝
ハドリアヌスが、先帝トラヤヌスに捧げたもの。


 遺跡は標高392mの山上にあり、眼下にベルガモの町並みが見下ろせます。




 きれいなアーチを見せる通路。

 
 丘陵の急斜面を利用して、扇形に造られた野外劇場です。

 観客席は80段あり、収容人員は1万人だったとか。


 ディオニソス神殿跡↓。 上の劇場の写真の、左手中ほどに見える白い一角です。

 
 劇場上部からの展望。


 ベルガモの周辺は、緩やかな丘陵が広がっています。




 石を巧みに組み合わせて造られたアーチ。このようなアーチはたくさん残っていま
した。


 遺跡の入場口のそばに、下からのロープウェイの山上駅の工事が進んでいました。

 左手の赤いテント群は、土産物を売る売店。その左に遺跡入場のチケット売り場
と入場口があります。

 ここにあった図書館は当時世界最大級で、エジプトのアレキサンドリア図書館に
対抗して、20万巻もの蔵書があったとか。
 
 この図書館に脅威を感じたエジプトが、パピルスの輸出を禁止したので、困った
ベルガモンでは、保存性の優れた羊皮紙を発明し、それにより蔵書数が飛躍的に
伸びたようです。
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トルコ・世界遺産トロイ遺跡

2010-07-07 17:58:37 | トルコ旅行
 5月18日(火)~25日(火)に出かけた、8日間のトルコツアーの日々のレポート
については、すでにアップしましたが、各々の観光地については、写真をかなり撮
ってきましたので、それら主要観光地のことをもう少し詳しく紹介することにします。

 初めは、2010年5月19日(水)に回った、世界遺産トロイ遺跡です。

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 トロイは、トルコの隣国ギリシャの、有名な英雄叙事詩ホメロスの「イリオス」に語
られているトロイ戦争の舞台です。

 これを実在の都市と信じてきたのが、ドイツの考古学者シュリーマンでした。シュ
リーマンは私財を投げ売って発掘を続けた結果、1870人年遺跡を発掘しました。

 ここに初めての集落ができたのは、紀元前3000年ごろ。その後、繁栄と没落が
繰り返され、紀元400年までの間に、9つの時代の都市層が重なり合っており、
それら9層の様子を見ることができるところもありました。



 城門の入口は、左に曲がるとさらに狭くなっていて、外敵が来ても防御しやすい
ようになっていたとのこと。


 遺跡の高台に上がると、周辺の広々とした展望が広がります。黄色いのは、収穫
期の近い麦畑です。


 遺跡が古代都市だった当時は、川の辺りまで海が迫っていたようです。


 6日間一緒に回って、豊富な知識でガイドしてくれたハイダルさん。


 修復する費用が出せず、放置したままになっているものも、たくさん見かけられ
ました。


 上部は復元し、下部は当時のままのレンガ塀。


 9層にわたって重なっているという、違う時代の都市層が見られるところ。


 下から上へ、Ⅱ層、Ⅲ層、Ⅳ層の表示が見られます。


 別の方向の展望。


 途中から、ガイドのハイダルさんに先行して、ワンちゃんが先導してくれました。
ワンちゃん(左下)も、ハイダルさんの説明を聞いています。


 向こうに見える小山も、歴史があるようですが、どんなことだったか忘れました。


 大劇場の跡です。手前がステージになっていました。


 真ん中が通路で、下を水路が流れていたようで、その一部が見られます。


 遺跡の入口付近に実ったクワの実。トルコではクワの実もフルーツとして食用に
供しているようです。これはまだ完熟前ですが、熟しても白いままのよう。


 やはり入口にある、トロイ戦争の「トロイの木馬」の巨大な復元木馬。窓から顔を
出している人で、大きさを想像して下さい。

 1975年に復元したものですが、当時のものがこのような形だったかどうかは、
定かではないようです。

 トロイ遺跡については、下のウェブサイトをご参照下さい。

 トロイ遺跡(イリオス遺跡)
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上尾から北上尾へカントリーウオーク(埼玉)

2010-07-05 21:56:09 | カントリーウオーク
 2010年7月4日(日)

 いつも暑さと雨が気になる、カントリーウオークグループの7月例会だが、朝の
予報では、どちらも影響がありそう。

 参加者18人は4組に分かれ、10時10分にJR高崎線上尾駅西口をスタート
した。

 ==今泉から丸山公園へ==

 西口を出て間もなく、商店街のそばにある八津観音堂へ。足立坂東三十三か
所札所の第二十六番で、観音堂の落慶は昭和59年(1984)1月だという。


 チョットした緑道を抜けて、富士見三丁目の氷川神社に入る。社殿はコンクリー
ト造り。夏祭りに備えて氏子の人たちが、みこしの準備を終えたところだった。


 青空が見えて暑くなってきた。広い通りを少しで、鴨川沿いに進んで和泉公園
の緑陰で休憩する。

 そばのお宅の、ノウゼンカズラが花盛り。

 公園のある今泉一丁目には、昔からの農家らしい屋敷が残り、その一角は豊
富な緑に覆われていた。


 南に回り、背後の森から氷川神社へ。

 社殿前にあった説明板によれば、大宮の氷川神社を本社とする「氷川神社」は、
埼玉県に162社、東京都59社、茨城・栃木県に各2社、神奈川、千葉、北海道
に各1の計228社あるという。

 東隣にある十蓮寺(じゆうれんじ)には、墓地から入る。桜の大木など、緑豊富
で広い境内、コンクリート造りの本堂のほか、八角十王堂、鐘楼、山門など皆、
立派な造りである。

 開山は応永年間(1394~1428)で、名もない小さな庵だったが、徳川家康
が鷹狩りの際休憩して名づけたという。


 今泉小の北から大正製薬の広大な敷地の北側の緑陰を進み、西上尾団地に
入って木陰で小休止する。

 団地を抜けると、家並みも少なくなり畑が増える。すっかり好天となったが、木
陰が少なく暑さがこたえる。天久保から氷川前、南前などの集落を抜け、丸山
公園に入り、池の中の島にある昼食地の東屋(あずまや)に、12時30分に着
いた。

 丸山公園は、「水と緑の調和」をテーマに昭和53年(1978)に開園した総合
公園。面積は約15haあり、南北に「く」の字の形をした敷地内は、適度に起伏が
あり、うっそうとした樹林と細長い水辺がある。


 ==領家から北上尾駅へ==


 ミーティング後に記念撮影をして、後半のコースへ。池に沿って北に回ると、咲
き残るアジサイの群落の先に菖蒲田(しようぶだ)があったが、花は終わっていた。


 池の対岸を戻って公園の南端に出た。この暑さを避けて、午後は歩かずに駅に
向かう3人とバス停で分かれる。

 大きなガマの穂の並ぶ雑草地を抜け、荒川左岸沿いのサイクリングロードに上が
った。流れに沿った草の緑は豊富だが、樹木はないのでまともに太陽を浴びる。自
転車で通過するサイクリストも多く、少しうっとうしい。

 一層厳しくなった午後の日差しにさらされながら500mほど進み、緑陰で小休止
して水分補給をする。

 ここで堤防を離れて新田集落を抜け、畔吉(あぜよし)の徳星寺に入って休憩。
ここでも水分補給が欠かせない。

 徳星寺は、寺伝によれば弘法大師の創建と伝えられ、本堂の横に立つカヤの大
樹は、その時に植えたものと伝えられているという。

 寺には岩槻城主・太田氏房(おおたうじふさ)の印判状や、徳川家康以降の歴代
12通の朱印状があり、これらは市指定文化財になっているようだ。

 上尾領家(りようけ)工業団地の間を抜け、浄水場の東に回って中分(なかぶん)
三丁目の東栄寺へ。

 本堂の前に、背の高い大イチョウが枝を広げ、その下に輪のように並ぶベンチで
休憩する。

 ケヤキや桜に覆われた門前、山門前に「祈りと誓願の鐘」と呼ぶ四つの鐘がある。
西国、四国、最上(山形)の各霊場を、祈りと誓願をもって巡拝した鐘だという。


 境内東側にある鐘楼は、14脚で支えた堂々たるもの。雲が増えて、ようやく日差
しが無くなる。


 南側に豊富に連なる平地林を眺め、その林の東端付近を進んで大石小の横を過
ぎる。鴨川を渡って浅間台の住宅地に入ったころ、待望の?雨が降ってきた、

 傘を出して10分足らずで、ゴールの北上尾駅に着いた。バスや途中からタクシー
で先着した皆さんと合流して、16時44分発の上り電車に乗る。

(天気 曇晴一時雨、参加 18人、距離 15㎞、地図 上尾、歩行地 上尾市、
 歩数 23,800)
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