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あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

第5回飯能新緑ツーデーマーチ(第1日)

2007-05-19 22:12:00 | ウオーキング
 今日、5月19日(土)は、埼玉県西部の飯能市で開催された
第5回飯能新緑ツーデーマーチの1日目、20kmコースに参加
しました。



 8時20分頃から出発式が行われましたが、雷注意報が発令
中とか。少しだけ雷鳴がとどろく中、8時半過ぎに出発しました。
 

 雨は少しで止みました。北に向かい、国道299号を横断して
住宅地や畑の間を抜けて行きます。


 奥武蔵自然歩道に入り、新緑がいっぱいの木々の下を、半
時計方向に半円形に回り込み、高麗峠(177m)を通過して
宮沢集落に出ました。

 南に向かい、宮沢湖の北端から堰堤横に上がり、釣り船の
浮かぶ湖を見ながら湖畔を南西に進みます。  


 南西端にある宮沢湖なかよし動物園そばの広場で、飲物や、
なめこ汁のサービス、記念写真撮影などのサービスがありま
した。


 ナメコ汁サービスコーナーでは、中学生ボランティアが元気な
声で、参加者をよびこんでいます。 

 この大会では、いろいろなポイントで、中学生がボランティア
で役を引き受けてくれています。

 宮沢湖の堰堤(えんてい)や南東側には、ヨーロッパ原産の
1年草、麦ナデシコがたくさん咲いていました。


 JR八高線の東に出て、新緑と花の住宅地を南に向かいます。


 精明公民館では、飲物と、梅干しやラッキョウ、漬け物などの
サービスがあり、力強い飯能太鼓も披露されていました。


 東に向かい、高麗坂東33札所第3番円泉寺境内を
抜け、北東の里道を進みます。


 一時薄日も出たのですが、再び雲に覆われました。

 川崎から下川崎に向かう辺りは、展望が開けた田園地帯を進み
ます。


 15kmの中間点を過ぎて間もなくの、赤城神社境内が20km
コースのチェックポイント。昼食会場にもなっていて、多くのウオ
ーカーが昼食をしました。私も12時23分から30分ほど、昼食
の時間をとりました。


 芦苅場の集落から、若葉がみずみずしい茶畑を抜けて行きます。

 飯能市は、近隣の入間市、狭山市、所沢市などとともに、狭山茶
の産地。参加賞に、地元新茶のパックももらいました。

 ゴール目指して東に向かいましたが、ゴール間近で再びにわか
雨となり、傘を差して14時に中央会場にゴールしました。 

 しかし、雨はわずかで上がり、中央会場は久しぶりに会った
ウオーカー同士の交換や、出店をのぞく人などで賑わいました。
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四国遍路道の休憩所(1)

2007-05-18 23:13:53 | 四国遍路あれこれ
 歩いて四国遍路をする者にとって、休憩できる場所があることは、
大変有難いことです。疲れ時に腰を下ろして休んだり、雨の日の
昼食場所に、日差しの強いときの日陰にと、大事なポイントです。

 今日から何回か、1番霊山寺を出発してからの順路に沿って、
遍路道沿いにあった休憩所やへんろ小屋などを紹介します。

 見落としたところや、撮り忘れたところもあるはずですが、休ん
だところ、通過しても気がついたときには出来るだけ撮影しました
ので、かなりの数になると思います。

===========================

 最初は、4番大日寺の南、徳島自動車道近くにある東屋(あず
まや)。(徳島県板野町)

 初めて見たときに、このような小屋があちこちにあるとよいなと
思いました。

 5番地蔵寺を過ぎ、6番安楽寺に向かう途中にあった休憩所。
(徳島県上板町)


 10番切幡寺から11番藤井寺に向かう、吉野川にかかる2つ
目の冠水橋、川島橋を渡って右岸堤防に上がったところにある
休憩所で、無料宿泊所にもなっています。〈徳島県吉野川市
(旧川島町)〉


 11番藤井寺から、最初の遍路転がしと呼ぶ山道を進む途中
の、標高500mにある番外霊場柳水庵を少し下ったところに
ある、無料宿泊も可能な遍路小屋。〈徳島県神山町〉

 2004年2月22日の、最初の遍路の時には工事中で、間も
無く完成するとのことでした。

 遍路転がしを無事乗り切り、12番焼山寺にお参りし、番外
霊場杖杉庵に下って少し先、県道43号沿いにある「おへんろ
駅」と呼ぶ休憩所。〈徳島県神山町〉

 神山町営バスの焼山寺終点でもあります。

 第2の遍路転がし、20番藤井寺と21番太龍寺の間を流れる、
那賀川にかかる水位橋〈すいいばし〉の手前、県道19号沿いに
出来たばかりの遍路休憩所です。〈徳島県阿南市〉

 紙箱にいっぱいミカンがあったので、いただきました。

 那賀川の水位橋を渡り、すぐ先から若杉谷川に沿って遡行し
ます。左岸から右岸に回って間もない、若杉山遺跡近くにある、
「四国のみち」の休憩舎。〈徳島県阿南市〉

 屋根は苔むしており、かなりの年代物です。

 標高520mの21番太龍寺から下り、県道28号を南東に進み、
22番平等寺への遍路道の入口、阿瀬比町の交差点南にある、
近畿大・歌 一洋(うた いちよう)先生設計の「へんろ小屋2号
阿瀬比(あせひ)」です。〈徳島県阿南市阿瀬比町〉

 歌先生を中心とする「四国八十八ヶ所にヘンロ小屋をつくる会」
では、2001年から今後10年ほどで、全部で89棟の小屋を
造る計画です。この活動については、別途報告します。

 22番平等寺から南へ、国道55号に出て間もなくの、釘打トン
ネルを抜けたところにある、同じく歌先生設計の「へんろ小屋3号
釘打」〈徳島県阿南市〉
 

 23番薬王寺の先、国道55号日和佐トンネル(690m)の入口
付近にある東屋。〈徳島県美波町(旧日和佐町)〉


 さらに国道55号を進んで、牟岐町(むぎちょう)に入ります。
牟岐警察署前にあるテントは、お遍路さんお接待所です。〈徳島
県牟岐町〉

 私は、すぐ近くの牟岐駅前の民宿に泊まり、翌朝出発して間も
ないので、2回とも寄りませんでした。

 国道55号を西に、番外霊場・鯖大師を過ぎ、JR牟岐線浅川
駅の少し先にあるシンプルな東屋。

 そばに水道もあり、手を洗ったり水分補給には助かります。

    〈続く〉
 


 

 

 

  

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カントリーウオーク三浦七福神(2)

2007-05-17 21:33:35 | カントリーウオーク
 1日、間があきましたが、三浦七福神めぐり2日目、5月
13日のレポートです。

=========================


 5月13日(日)、雲が多いが雨の心配は無さそう。朝食前、
三崎港の近く、宿のすぐ隣にある「さかなセンター」での三崎
朝市が賑わっているというので、のぞいて見た。

 なるほど観光客や地元の人など大勢が来て、安くて新鮮な
魚介類や野菜、果物、生花どを漁(あさ)っている。私もサンマ
の生干しを求めた。
 
 記念撮影をして、9時3分に宿泊したサンポートみさきを出発
する。

 三崎港沿いに東に向かい、コンビニで昼食を求め、近くの筌
龍(せんりゅう)弁財天の海南神社に行く。

 天元5年(982)に三浦一族の総鎮守として造営されたという。
なぜか社殿には、14個もの鈴が下がっている。

 境内には、頼朝公手植えと伝えられる樹齢約800年の大イチ
ョウが2本、長い気根を伸ばしていた。


 三崎小の西から東に回って三崎港最奥部から宮川町に上が
り、「関東ふれあいの道」の道標に従い、宮川湾東端に下る。

 関東ふれあいの道「三浦・岩礁のみち」の西端にあるトイレ
近くで、珈琲タイムとする。

 風が強く、そばに咲くハマダイコンがゆれている。

 白波の立つ岩礁に沿って東へ。台地上に数基の無線アン
テナ塔の立つ入り江に、30隻前後のヨットが係留されて
いた。

 少し先の台地上には、2基の発電用風車が力強く回って
いる。


 岩礁は大岩、小岩が続き、水際も通過するので、滑らぬ
よう注意し、風で帽子を飛ばされぬよう抑えたりして慎重に
歩を進める。

 筋状のひだの付いた岩礁の上や、大きな洞窟のそばを通
過、たくさんのカモメが休む岩や、白波の立つ沖などを眺め、
毘沙門湾の西側で車道に出た。

 湾を回って八浦から江奈へと上がり、11時48分に毘沙門
天の慈雲寺に入り、境内で昼食にする。

 寺は応安元年(1368)妙鎌大和尚による開山。毘沙門天
は行基菩薩の作と伝えられ、北方を守る武神で、厄除け、恵
方の神としてあがめられているという。

 本堂は施錠され、拝観は出来なかった。

 12時半に出発。北側の渡戸集落を抜けて谷間に下る。両
側の新緑の森でウグイスの競演。途中、道が途切れたが、
キャベツ畑の隅を上がり三浦霊園南側の台地上へ。

 キャベツ畑や新緑の林が、緩やかなカーブを描いて広がっ
ている。

 霊園西側の谷間を東北に下り、南下浦町金田の宮脇集落
にある6番目、金光恵比寿の円福寺に入る。

 漁夫が金田湾の海上で光る黄金の恵比寿像を拾い、持ち
帰って祭り、天文17年(1548)開山したのがはじめという。

 大本堂正面の太い梁の上に、精巧な龍が彫られていた。
鐘楼も大きく、庭には、太いソテツが枝を広げている。


 殿畑集落を北に抜け、再び台地上の畑の間を西に向かう。
500mほどで北の仲里に下がる細道があるはずだが見あた
らず、そのまま台地上を進み、菊名の高山集落にある三差路
で北に回り込む。

 国道134号が折り返す三差路を北西に少し進み、消防署
横から畑の中の細道に入る。

 携帯電話の高いアンテナ横を進んで、カボチャ畑の北に見
えた墓地の最上部から、新しい大日如来への参拝路の急な
帰路を下り、七福神の最後、鶴園(かくおん)福禄寿の妙音寺
に下った。

 室町時代後期には、小田原北条氏の雨乞いの祈願寺とし
て信望が篤(あつ)かったとのこと。寺域は四季折々花に彩ら
れ、関東一円をめぐる「東国花の寺百ヶ寺」の一つである。

 境内には、新しい御影石の下に埋め込まれた、四国八十
八ヶ所のお砂踏み霊場もある。


 無事2日間の、三浦七福神をめぐるカントリーウオークが
終わった。三崎口駅までは1㎞ほど。新しい住宅地から線路
沿いへ。

 イソヒヨドリの鳴く若サクラの下を上がり、15時23分に京浜
急行三崎口駅に着く。急いで切符を求め、15時30分発青砥
行き特急に乗り、帰途についた。

 有志は都営三田線三田駅で下り、5月1日の当ブログで紹
介した、メンバーの1人、横沢さんの珈琲店「草の花」に寄り、
新しい店を見せてもらい、ひとしきり歓談した。


(天気 曇、距離 15㎞、標高差累積 約840m、地図(1/2.5
 万) 三浦三崎、浦賀、歩行地 三浦市)
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21世紀の朝鮮通信史友情ウオーク(川崎~東京)

2007-05-16 22:53:05 | ウオーキング
 11日(金)に参加した「21世紀の朝鮮通信史友情ウオーク」
も、今日は最終日。川崎駅前から皇居桜田門までの最終コース
に再びディーリー参加しました。

 7時45分から川崎駅東口での出発式には、100人を超える
参加者が集まりました。

 毎日続けていたという、隊員の井上幹夫さんから、朝鮮通信史
についての解説がありました。今日の話は、江戸入り前後の宿泊
場所や、幕府と朝鮮通信史との、表面上は友好関係を保ちながら、
裏での駆け引きの話などでした。


 8時過ぎ、川崎駅東口をスタートしました。




 神奈川・東京都県境、多摩川にかかる六郷川を渡ると、東京
都大田区です。


 旧東海道を蒲田、大森を経て、品川宿に入ります。


 品川駅前で在日韓国民団の方から飲物の差し入れをいただき
ました。

 田町駅前を通過して東海道を離れ、昼食は都立芝公園の緑陰
で、12時15分から45分まで。

 全コース歩いた隊員の皆さんが、着用しているシャツです。


 数日間ディーリー参加した和田さんのゼッケン。朝鮮通信史
が最初に来訪したのが慶長12年(1607)とのことです。


 出発前に、在日韓国大使館の公使からご挨拶をいただき
ました。


 ゴール間近い日比谷公園で休憩し、皇居前に向かいます。


 祝田橋交差点では、韓国出発の際、見送った方々などがたく
さん出迎えて下さり、歩きとおした隊員は感激の再会です。


 14時、皇居桜田門にゴール。1か月半に及ぶ長い旅、おつかれ
さまでした。


 日本側女性隊員3人が、出迎えた韓国の方の衣装で着飾りま
した。


 全コース歩いた女性隊員の晴れやかな顔!。


(天気 晴、距離 19km、地図(1/2.5万) 川崎、東京西南部、
 東京西部)

「21世紀の朝鮮通信史友情ウオーク」の詳細は、全コースに
参加された、下記、金井三喜雄さんのWebをご覧下さい。
      http://www.rivo.mediatti.net/~ayako-y/ 

  
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カントリーウオーク三浦七福神(1)

2007-05-15 22:13:07 | カントリーウオーク
 埼玉県内を中心にカントリーウオークを楽しんでいるグループ
の、春の1泊例会で、神奈川県・三浦半島の南側に広がる三浦
七福神をめぐるウオーキングを、5月12日(土)~13日(日)に
行いました。

 今日のレポートは、初日の行程です。

==========================


 5月12日(土)、京浜急行品川駅に集り、9時44分発三崎口
行き特急に乗り、10時49分に終点・三崎口駅に着いた。

 好天でさわやか、歩くには快適な陽気である。11時6分に出発、
駅前の国道134号を北に少しで、東側の台地下に下る。

 斜面林でウグイスが鳴き、白いカマツカ(鎌柄)の花が咲く畑の
間を北に進み、神田から国道の西に回る。


 正午近く、黒崎にある七福神最初の寺、延寿寺に行く。延慶3
年(1310)建立の古寺。現在はコンクリート造りの本堂に、寿福
大黒天が祭られている。


 境内には2段に渡りたくさんの気根が垂れ下がったイチョウの
古木が立つ。


 ここで昼食となり、品川駅構内で買ってきた弁当を食べる。


 12時47分に出発、南側の台地に上がると、広々とした畑作
地帯となり、キャベツ、カボチャ、トウガン、スイカなどが造られ
ていた。
 
 初声(はつせ)町三戸の海岸沿いの集落を南に進み、上原から
畑の間を東に向かうことにした。

 ところが一帯は畑や雑草地がすっかり掘り起こされ、地図上の
道路は消えていた。ちょうど、京急三崎口駅の延長上にあること
から、京急グループの開発で、新駅が出来るのかと推察された。

 南に回り、造成中の工事車両の通路らしいところを進み、草
つきの細道に上がった。林と畑の間を進んで小さい峠を越え、
水谷戸の小集落に出た。

 なぜここにと思われる場所に法務局三崎出張所があり、その
東側から谷間に下り、県や三浦市、かながわトラストみどり財団
の管理する「小網代の森」に入る。

 河川の源流域の森林から湿原、河口、干潟まで自然状態の
まま一帯となって豊かな生態系が残っているのは、関東、東海
地方ではここだけとか。近郊緑地保全地域に指定されている。

 谷まで下り、うっそうとした広葉樹に覆われた道は、小さい流れ
の浦の川に沿って緩やかに下っている。小さい橋を幾つか渡り、
流れを横切る。

 下流にではぬかるみが多く、右に左によけながら進み、小網代
湾の最奥部に出た。

 湾の南側に回り込んで行くと、二つ目の七福神、白髭神社があ
った。

 長安寿老人を祭り、小網代湾が昔から廻船寄港地、三崎の避
難港として知られていたことから、航海安全大漁満足の神として、
古くから崇拝されてきたという。

 朱塗りの社殿前に、小石で打つと金属音がするので「カンカン
石」とも呼ばれる鳴石がある。


 境内は狭いが、太いマキと大イチョウが2本立っていた。
手水鉢は、海の神らしく、大きな帆立貝である。


 目の前の小網代湾にたくさん浮かぶヨットを見ながら休憩した。
神社の前には、長谷川造船というヨットの製造、販売所がある。

 小網代の家並みを南に抜けると、右手に油壺湾が見下ろせる。
天然の入江を利用した漁船の避難場所で、ここもマストの長いヨ
ットが数10隻係留されていた。

 更に進んだ諸崎湾には、百隻を超えるかと思われる多量のヨッ
トが浮かび、岸辺に大きなボラや、たくさんの小魚の泳ぐのが見
えた。


 白須から尾上町へと小さい坂を上り下りし、海外町に入ると、
道路際の斜面に筋状の大岩が露出している。

 スランプ構造といい、三浦市天然記念物に指定されている。


 テングサを干す浜沿いを右に回り込み、白石町にある桃林布袋
尊の見桃寺(けんとうじ)に行く。

 鎌倉時代、源頼朝が設けた三御所の一つで、桃の御所の旧跡
という。本堂はコンクリート造りで、施錠されていた。

 この寺に、大正2年(1913)、北原白秋が身を寄せ、「城ヶ島
の雨」の誌や、歌集「雲母(きらら)集」はここで生まれたとも言わ
れる。

 境内には白秋の筆跡になる「さみしさに 秋成が書(ふみ)読み
さして 庭に出てたり 白菊の花」の歌碑があった。


 三浦半島の南西端、三崎港に面した今日の宿、「サンポートみ
さき」は近い。16時46分に着いた。

(天気 晴、距離 12㎞、標高差累積 600m、地図(1/2.5万)、
 浦賀、秋谷、三浦三崎、歩行地 神奈川県三浦市)

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21世紀の朝鮮通信史友情ウオーク(江尻~吉原)

2007-05-14 23:37:26 | ウオーキング
 5月11日(金)、「21世紀の朝鮮通信史 ソウルー東京 友情
ウオーク」の江尻(静岡市清水)~吉原市間に参加した。

 豊臣秀吉の侵略で国交が断絶していた朝鮮との平和修復を
目指した徳川家康が要請し、朝鮮から国書を渡すために派遣
された約400~500人の朝鮮通信史は、1607年~1811年
に計12回来日した。

 第1回から400年になる今年、日本と韓国の歩く仲間が、朝鮮
通信史がたどった道を歩いているもので、日本国内は、大阪を
5月1日にスタートし、この日は11日目である。



 東京駅6時23分のこだま561号で静岡まで行き、東海道線で
折返して清水駅に8時17分に着く。

 駅北口に出たら、スタートしたばかりの「平成の朝鮮通信史ウオ
ーク」の一行に出会う。毎年の中山道ウオークで旧知の皆さんが
多いので、それらの方々に挨拶を交わして列の後方に加わった。

 南口に回って海岸に近い広い車道を東に2㎞余り進み、東海道
線の北へ。国道1号静清バイパス下を抜け、朝鮮通信史ゆかり
の清見寺(せいけんじ)に行く。

 清見寺は、奈良時代、東北の蝦夷に備えてこの地に関所が設け
られ、かたわらに仏堂が建立されたのが始めという。以後、足利
尊氏や今川義元の帰依を受けた。

 現在の寺は江戸時代の再建で、当時は200石の朱印地を有し、
家康の庇護もあり、朝鮮通信史の交流が多く、琉球通信史との
交流もあったとのこと。

 大方丈に入って内部を拝観する。壁面に参詣した朝鮮通信史
の詩文が何枚も掲げられている。


 北側の、国名勝で新緑に彩られた清見寺庭園も鑑賞した。

 仏殿や鐘楼にも朝鮮通信史ゆかりの掲額がある。

 興津(おきつ)宿を抜けて興津川を渡る。少し先から西に入って、
東海道の5大難所の一つだったという薩捶(さった)峠に向かう。

 ミカン畑の間の急登を少しで、幾分霞んではいるが右に駿河湾
の展望が開ける。

 峠まで上がると正面に突然、富士山が大きく現れた。冬場なら
ともかく、この時期にこのような大展望の富士山が見られるとは…。

 ソウルからはるばる歩いてきた皆さんの感慨はひとしおのことと
思われる。

 今日の参加者は、地元静岡県ウオーキング協会の方や、私の
ようなディリー参加者を含め40人余り。

 夏ミカンの花が咲き実も残り、ビワの実の膨らむ農道を、由比
(ゆい)町に下る。


 山麓最初の家並み、西倉沢には、山岡鉄舟が官軍に追われて
地下から逃げたことで知られる望嶽亭があった。

 由比町は東海道16番目の宿場。狭い旧道沿いには、その先に
も間の宿本陣跡、名主の面影を残す国有形文化財・小池邸など、
古い民家が幾つか残っている。

 由比町は日本一の桜エビの町、由比駅前から先には桜エビの
店が幾つも見られた。


 由比駅から1.5km余りに由比本陣公園がある。現在、正門、
石垣、物見櫓(ものみやぐら)、馬の水のみ場などが復元されて
いる。

 園内にある、東海道由比宿交流館や芝生などで昼食をする。

 公園の奥には東海道広重美術館(下)や、明治天皇が小休止
された記念館「御幸亭」がある。


 隣の宿、蒲原(かんばら)を抜け、旧東海道は東名高速道路
の西側に回る。高速道路の陸橋を越えると、正面に富士山が
いっそう近づく。

 富士川町の家並みを抜け、再び高速道路の東に出た。富士
川にかかる富士川橋は風が強いが、富士山の絶好のビュー
ポイントである。


 橋の東も雁堤と呼ぶ堤防が1km近く続く。富士を見ながら
さわやかな風を受けて進み、雁公園で休憩した。

 ここでコース案内役が、静岡県ウオーキング協会から、東静
歩こう会にバトンタッチされた。

 JR身延線柚木駅そばを通過し、富士市の中心街を横切る。
潤井川を挟む広々とした中央公園で次の休憩。午後は気温が
上がり、疲労感がつのってきた。

 園内にりっぱなバラ園があり、ちょうど花が見ごろだった。


 10数階の大きな富士市役所前を過ぎ、吉原宿の中心街へ。
アーケードもある賑やかな町並みに、300年の歴史を持つと
いう鯛屋旅館があった。

 大名が泊まった関札や、山岡鉄舟が書いた屋号などの資料
が保存されていて、清水次郎長の定宿でもあったようだ。

 
 中心街に近いビジネスホテルが今日の一行の宿。17時10分
ころ着いた。今日だけのディリー参加者に、韓国体育振興会の
宣相圭(ソンサンギュ)会長から参加賞が贈られる。私もこの人
の後にいただいた。


 ディリー参加者数人は、さらに3km近く旧東海道を歩き、
18時にJR東海道線吉原駅に着いた。

 18時8分発熱海行きに乗り熱海で乗り換え、さらに国府津
から湘南新宿ラインに乗り継ぎ、池袋で夕食を済ませ、22時
20分に帰宅した。

(天気 晴、距離 33k、標高差(累積) 630m、地図(1/2.5万)
 清水、興津、蒲原、吉原)

 なお、「21世紀の朝鮮通信史友情ウオーク」の詳細は、朝日
新聞社OBで現在もカメラマンとしてご活躍され、全行程に
参加されている、金井三喜雄さんの下記Webをご覧下さい。
    http://www.rivo.mediatti.net/~ayako-y/
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カントリーウォークで三浦海岸へ

2007-05-13 07:28:39 | Weblog
昨日と今日、カントリーウォークグループのメンバーと、神奈川県
三浦市内の七福神を巡るカントリーウォークにきました。
詳細は、明日以降、朝鮮通信史ウオークに引き続き報告します。
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21世紀の朝鮮通信史ウオーク(江尻~吉原)に参加

2007-05-11 23:29:21 | ウオーキング
 きょう5月11日(金)、朝1番の東海道新幹線こだま号にて
静岡まで行き、折り返して清水駅前からスタートするところの、
「21世紀の朝鮮通信史ウオーク」の一向にデイリー(1日だけ)
参加して、江尻(清水)から吉原までの30km余りのコースを
40名以上の皆さんと歩いてきました。

 明日もカントリーウオークグループの1泊例会に出かけるので、
とりあえず、今日素晴らしかった富士山の写真だけご覧いただく
ことにして、別途明後日以降に報告します。

 興津~由比間の薩捶峠(さった)峠にて


 薩捶峠展望台にて、今日のメンバー


 富士川町に入る坂から


 富士川橋から


 今日は1日中富士山がよく見え、こんなに間近できれいな富士山
をたくさん見たのは初めてで、参加した甲斐がありました。

 ゴールのJR吉原駅着は18時。東海道本線と湘南新宿ラインを
乗り継ぎ、帰宅したのは22時20分でした。
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四国遍路道での昼食(2)

2007-05-10 17:28:05 | 四国遍路あれこれ
 2度目の四国遍路、後半は今年(2007年)2月18日から
3月9日までの20日間。後半での昼食の1部を紹介します。

 歩き始めて2日目の2月19日は、愛媛県内子町(旧小田町)
の、ふじや旅館で作ってもらったおにぎりです。

 45番岩屋寺へ向かう道、久万高原町の越ノ峠を抜けてすぐ、
行く手の見下ろせる道路際で食べました。

 次は、2月25日、ビジネス旅館小松にお願いしたおにぎり。
見た目では分かりませんが大きくて、食べきれないほどです。

 標高745mにある60番横峰寺にお参りし、東に下る林道際
にあった木のベンチでいただきました。

 3つめは、徳島県三好市(旧池田町)の、標高540mにある
別格15番箸蔵寺にお参りして、下ったところにあった、さぬき
うどん店での昼食。

 肉丼もうどんも盛りだくさんでした。

 3月3日は、75番善通寺に連泊なので、ザックを置いて
弘法大師が築いたという満濃池と、金刀比羅宮に回りました。

 金刀比羅宮参道にあったうどん店・虎屋での肉うどんです。
ここは、並んで手前に別のうどん店があり、呼び込みの声は
手前の方が大きいのですが、あえて奥の店に入りました。

 コンビニやスーパーで弁当を買ったときに、必ずといって
よいほど買ったのが、このらくれん牛乳です。

 どの店でも60円台で、200CCだと100円以上はする、
ほかの牛乳より割安でした。

 3月7日に88番大窪寺に結願し、9日には3番から1番
霊山寺まで戻り、四国霊場一周の輪を結びました。

 迎えに来て下さった岡山市のIさんの車で高松に向かう途中、
鳴門市の瀬戸内海側にある海鮮料理店で食べたハマチ定食。

 大きなお椀一杯のわかめのすまし汁は、食べきれないくらい
あります。ちなみに、ここは遍路コースではありません。

 初めての四国遍路は2004年2月から3月と、11月から
12月上旬に回りましたが、そのときの昼食なども2つ。

 2004年3月10日、足摺岬の38番金剛福寺に向かう日の、
港町窪津の魚屋さん、大漁屋で求めたサバの魚弁当。

 値段は300円でした。

 結願前日の11月28日、86番志度寺に向かう志度町の
うどん商人つづみ屋でのぶっかけうどん。

 これは昼食ではなくて、午後の間食です。値段は250円。

 毎日たくさん歩くので、どんな弁当やおにぎり、うどんでも、
皆おいしくいただきました。



 
 
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四国遍路道での昼食(1)

2007-05-09 22:39:05 | 四国遍路あれこれ
 全国的に気温が上がった今日、首都圏各地に光化学スモッグ
注意報が出ました。午後、所沢市役所へ行ったら、やはり「光化
学スモッグ注意報発令中」の立て札が出ていました。

 これからの季節、外で仕事をされる方、外歩きをする方、ウオ
ーキングをされる方など、十分ご注意下さい。

 さた、四国遍路宿の夕食と朝食を幾つか紹介したので、今日か
ら遍路道で食べた昼食も披露します。昼食も写真は少ないので、
前半と後半の2回になります。

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 四国遍路の2度目、前半は2006年11月11日~12月7日、
1番霊山寺から43番明石寺までお参りして、JR内子駅までの
区切り打ちでした。

 最初は、11月16日、山上の霊場・21番太龍寺にお参りした
後、下り道の途中のベンチで食べた、前日の宿・旅館かえで
お接待の、きなこをまぶした大きなおにぎりです。

 とてもおいしいご飯だったと記憶しています。

 次は11月19日、足摺岬に向かう日、前日の宿・民宿谷口で
お接待ただいたおにぎりと、少し不足かと思い、途中の佐喜浜
スーパーで買い足した、あじの姿寿司です。

 食事は、買ったスーパーの隣にあるスーパー経営者宅の
縁側を借りて食べました。

 3番目は、11月28日、四万十大橋際にあったJA直売店
「彩市場」で買ったサバの姿寿司。

 長さ1620mある新伊豆トンネル入口の道路際で食べました。

 次は、翌11月29日、民宿久百々(くもも)でお接待いただい
たお弁当。おにぎりのほか、バナナ、ミカン、乳酸飲料、海苔、
クッキー、あめなどいろいろありました。

 昼頃、足摺岬にある28番金剛福寺に着き、お参りしたあと
足摺岬の灯台などを眺め、そばの公園で食べました。

 次の日の11月30日は、民宿青岬でお接待ただいたおにぎり。

 土佐清水の市街を抜けて、道の駅あじかの里土佐清水の芝
生でいただきました。しっかり握って下さったおにぎりでした。

 12月1日は、高知県大月町に入り、赤泊集落のNさん宅に
おじゃまし、江戸時代の古い遍路札をたくさん見せていただき
ました。

 その上、奥様が昼食まで用意して下さり、おいしくいただき
ました。貴重なものを見せていただいた上の、有難いお接待
に感謝です。

 最後は、12月6日の民宿とうべやお接待の昼食。

 おにぎりのほか、牛乳、バナナ、ミカンも入っていました。

 このほかでは、コンビニやスーパーなどで買った弁当を
食べることが多かったのですが、コンビニ弁当は同じような
品が多いので、出来るだけ地元の小さい店とかスーパーで、
珍しい弁当や、高知では姿寿司などを多く食べました。
 



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