1日、間があきましたが、三浦七福神めぐり2日目、5月
13日のレポートです。
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![](http://clip.alpslab.jp/bin/map?pos=35/9/20.468,139/37/57.661&scale=250000)
5月13日(日)、雲が多いが雨の心配は無さそう。朝食前、
三崎港の近く、宿のすぐ隣にある「さかなセンター」での三崎
朝市が賑わっているというので、のぞいて見た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/34/cd794e76919790f082ad1288fe0b97dd.jpg)
なるほど観光客や地元の人など大勢が来て、安くて新鮮な
魚介類や野菜、果物、生花どを漁(あさ)っている。私もサンマ
の生干しを求めた。
記念撮影をして、9時3分に宿泊したサンポートみさきを出発
する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/69/22c00b8de99d7fb6daca8121b480a936.jpg)
三崎港沿いに東に向かい、コンビニで昼食を求め、近くの筌
龍(せんりゅう)弁財天の海南神社に行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/5c/782e30651c89000551885da52e763f40.jpg)
天元5年(982)に三浦一族の総鎮守として造営されたという。
なぜか社殿には、14個もの鈴が下がっている。
境内には、頼朝公手植えと伝えられる樹齢約800年の大イチ
ョウが2本、長い気根を伸ばしていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/0a/95dcca2f3190cdc20a2dbaa24feca124.jpg)
三崎小の西から東に回って三崎港最奥部から宮川町に上が
り、「関東ふれあいの道」の道標に従い、宮川湾東端に下る。
関東ふれあいの道「三浦・岩礁のみち」の西端にあるトイレ
近くで、珈琲タイムとする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/48/55b5e31f69e8fd98482421ca4e35c71c.jpg)
風が強く、そばに咲くハマダイコンがゆれている。
白波の立つ岩礁に沿って東へ。台地上に数基の無線アン
テナ塔の立つ入り江に、30隻前後のヨットが係留されて
いた。
少し先の台地上には、2基の発電用風車が力強く回って
いる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/3d/5e4f11acf4400a1262c44659ef763d07.jpg)
岩礁は大岩、小岩が続き、水際も通過するので、滑らぬ
よう注意し、風で帽子を飛ばされぬよう抑えたりして慎重に
歩を進める。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/6a/913f76f7e311a4c265264248a20c9594.jpg)
筋状のひだの付いた岩礁の上や、大きな洞窟のそばを通
過、たくさんのカモメが休む岩や、白波の立つ沖などを眺め、
毘沙門湾の西側で車道に出た。
湾を回って八浦から江奈へと上がり、11時48分に毘沙門
天の慈雲寺に入り、境内で昼食にする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/fa/da2195d2f5e626fb575d382ab1d3e9be.jpg)
寺は応安元年(1368)妙鎌大和尚による開山。毘沙門天
は行基菩薩の作と伝えられ、北方を守る武神で、厄除け、恵
方の神としてあがめられているという。
本堂は施錠され、拝観は出来なかった。
12時半に出発。北側の渡戸集落を抜けて谷間に下る。両
側の新緑の森でウグイスの競演。途中、道が途切れたが、
キャベツ畑の隅を上がり三浦霊園南側の台地上へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/65/03840a26dfae4292fd80d86f00ab66f5.jpg)
キャベツ畑や新緑の林が、緩やかなカーブを描いて広がっ
ている。
霊園西側の谷間を東北に下り、南下浦町金田の宮脇集落
にある6番目、金光恵比寿の円福寺に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/1c/71fe79b5cd4e0c88e7f9cb588aa511c5.jpg)
漁夫が金田湾の海上で光る黄金の恵比寿像を拾い、持ち
帰って祭り、天文17年(1548)開山したのがはじめという。
大本堂正面の太い梁の上に、精巧な龍が彫られていた。
鐘楼も大きく、庭には、太いソテツが枝を広げている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/ed/dd67923c6016297b13ac71540523bc31.jpg)
殿畑集落を北に抜け、再び台地上の畑の間を西に向かう。
500mほどで北の仲里に下がる細道があるはずだが見あた
らず、そのまま台地上を進み、菊名の高山集落にある三差路
で北に回り込む。
国道134号が折り返す三差路を北西に少し進み、消防署
横から畑の中の細道に入る。
携帯電話の高いアンテナ横を進んで、カボチャ畑の北に見
えた墓地の最上部から、新しい大日如来への参拝路の急な
帰路を下り、七福神の最後、鶴園(かくおん)福禄寿の妙音寺
に下った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/a2/181bde6251f605f1ad7f5a04132fb6bf.jpg)
室町時代後期には、小田原北条氏の雨乞いの祈願寺とし
て信望が篤(あつ)かったとのこと。寺域は四季折々花に彩ら
れ、関東一円をめぐる「東国花の寺百ヶ寺」の一つである。
境内には、新しい御影石の下に埋め込まれた、四国八十
八ヶ所のお砂踏み霊場もある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/53/c098787e73c3e7ae642c5e33cb1ee67c.jpg)
無事2日間の、三浦七福神をめぐるカントリーウオークが
終わった。三崎口駅までは1㎞ほど。新しい住宅地から線路
沿いへ。
イソヒヨドリの鳴く若サクラの下を上がり、15時23分に京浜
急行三崎口駅に着く。急いで切符を求め、15時30分発青砥
行き特急に乗り、帰途についた。
有志は都営三田線三田駅で下り、5月1日の当ブログで紹
介した、メンバーの1人、横沢さんの珈琲店「草の花」に寄り、
新しい店を見せてもらい、ひとしきり歓談した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/78/a15a3b8d02e1e6c08da6156a22aca6a6.jpg)
(天気 曇、距離 15㎞、標高差累積 約840m、地図(1/2.5
万) 三浦三崎、浦賀、歩行地 三浦市)
13日のレポートです。
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5月13日(日)、雲が多いが雨の心配は無さそう。朝食前、
三崎港の近く、宿のすぐ隣にある「さかなセンター」での三崎
朝市が賑わっているというので、のぞいて見た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/34/cd794e76919790f082ad1288fe0b97dd.jpg)
なるほど観光客や地元の人など大勢が来て、安くて新鮮な
魚介類や野菜、果物、生花どを漁(あさ)っている。私もサンマ
の生干しを求めた。
記念撮影をして、9時3分に宿泊したサンポートみさきを出発
する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/69/22c00b8de99d7fb6daca8121b480a936.jpg)
三崎港沿いに東に向かい、コンビニで昼食を求め、近くの筌
龍(せんりゅう)弁財天の海南神社に行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/5c/782e30651c89000551885da52e763f40.jpg)
天元5年(982)に三浦一族の総鎮守として造営されたという。
なぜか社殿には、14個もの鈴が下がっている。
境内には、頼朝公手植えと伝えられる樹齢約800年の大イチ
ョウが2本、長い気根を伸ばしていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/0a/95dcca2f3190cdc20a2dbaa24feca124.jpg)
三崎小の西から東に回って三崎港最奥部から宮川町に上が
り、「関東ふれあいの道」の道標に従い、宮川湾東端に下る。
関東ふれあいの道「三浦・岩礁のみち」の西端にあるトイレ
近くで、珈琲タイムとする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/48/55b5e31f69e8fd98482421ca4e35c71c.jpg)
風が強く、そばに咲くハマダイコンがゆれている。
白波の立つ岩礁に沿って東へ。台地上に数基の無線アン
テナ塔の立つ入り江に、30隻前後のヨットが係留されて
いた。
少し先の台地上には、2基の発電用風車が力強く回って
いる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/3d/5e4f11acf4400a1262c44659ef763d07.jpg)
岩礁は大岩、小岩が続き、水際も通過するので、滑らぬ
よう注意し、風で帽子を飛ばされぬよう抑えたりして慎重に
歩を進める。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/6a/913f76f7e311a4c265264248a20c9594.jpg)
筋状のひだの付いた岩礁の上や、大きな洞窟のそばを通
過、たくさんのカモメが休む岩や、白波の立つ沖などを眺め、
毘沙門湾の西側で車道に出た。
湾を回って八浦から江奈へと上がり、11時48分に毘沙門
天の慈雲寺に入り、境内で昼食にする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/fa/da2195d2f5e626fb575d382ab1d3e9be.jpg)
寺は応安元年(1368)妙鎌大和尚による開山。毘沙門天
は行基菩薩の作と伝えられ、北方を守る武神で、厄除け、恵
方の神としてあがめられているという。
本堂は施錠され、拝観は出来なかった。
12時半に出発。北側の渡戸集落を抜けて谷間に下る。両
側の新緑の森でウグイスの競演。途中、道が途切れたが、
キャベツ畑の隅を上がり三浦霊園南側の台地上へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/65/03840a26dfae4292fd80d86f00ab66f5.jpg)
キャベツ畑や新緑の林が、緩やかなカーブを描いて広がっ
ている。
霊園西側の谷間を東北に下り、南下浦町金田の宮脇集落
にある6番目、金光恵比寿の円福寺に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/1c/71fe79b5cd4e0c88e7f9cb588aa511c5.jpg)
漁夫が金田湾の海上で光る黄金の恵比寿像を拾い、持ち
帰って祭り、天文17年(1548)開山したのがはじめという。
大本堂正面の太い梁の上に、精巧な龍が彫られていた。
鐘楼も大きく、庭には、太いソテツが枝を広げている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/ed/dd67923c6016297b13ac71540523bc31.jpg)
殿畑集落を北に抜け、再び台地上の畑の間を西に向かう。
500mほどで北の仲里に下がる細道があるはずだが見あた
らず、そのまま台地上を進み、菊名の高山集落にある三差路
で北に回り込む。
国道134号が折り返す三差路を北西に少し進み、消防署
横から畑の中の細道に入る。
携帯電話の高いアンテナ横を進んで、カボチャ畑の北に見
えた墓地の最上部から、新しい大日如来への参拝路の急な
帰路を下り、七福神の最後、鶴園(かくおん)福禄寿の妙音寺
に下った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/a2/181bde6251f605f1ad7f5a04132fb6bf.jpg)
室町時代後期には、小田原北条氏の雨乞いの祈願寺とし
て信望が篤(あつ)かったとのこと。寺域は四季折々花に彩ら
れ、関東一円をめぐる「東国花の寺百ヶ寺」の一つである。
境内には、新しい御影石の下に埋め込まれた、四国八十
八ヶ所のお砂踏み霊場もある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/53/c098787e73c3e7ae642c5e33cb1ee67c.jpg)
無事2日間の、三浦七福神をめぐるカントリーウオークが
終わった。三崎口駅までは1㎞ほど。新しい住宅地から線路
沿いへ。
イソヒヨドリの鳴く若サクラの下を上がり、15時23分に京浜
急行三崎口駅に着く。急いで切符を求め、15時30分発青砥
行き特急に乗り、帰途についた。
有志は都営三田線三田駅で下り、5月1日の当ブログで紹
介した、メンバーの1人、横沢さんの珈琲店「草の花」に寄り、
新しい店を見せてもらい、ひとしきり歓談した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/78/a15a3b8d02e1e6c08da6156a22aca6a6.jpg)
(天気 曇、距離 15㎞、標高差累積 約840m、地図(1/2.5
万) 三浦三崎、浦賀、歩行地 三浦市)