5月11日(金)、「21世紀の朝鮮通信史 ソウルー東京 友情
ウオーク」の江尻(静岡市清水)~吉原市間に参加した。
豊臣秀吉の侵略で国交が断絶していた朝鮮との平和修復を
目指した徳川家康が要請し、朝鮮から国書を渡すために派遣
された約400~500人の朝鮮通信史は、1607年~1811年
に計12回来日した。
第1回から400年になる今年、日本と韓国の歩く仲間が、朝鮮
通信史がたどった道を歩いているもので、日本国内は、大阪を
5月1日にスタートし、この日は11日目である。
東京駅6時23分のこだま561号で静岡まで行き、東海道線で
折返して清水駅に8時17分に着く。
駅北口に出たら、スタートしたばかりの「平成の朝鮮通信史ウオ
ーク」の一行に出会う。毎年の中山道ウオークで旧知の皆さんが
多いので、それらの方々に挨拶を交わして列の後方に加わった。
南口に回って海岸に近い広い車道を東に2㎞余り進み、東海道
線の北へ。国道1号静清バイパス下を抜け、朝鮮通信史ゆかり
の清見寺(せいけんじ)に行く。
清見寺は、奈良時代、東北の蝦夷に備えてこの地に関所が設け
られ、かたわらに仏堂が建立されたのが始めという。以後、足利
尊氏や今川義元の帰依を受けた。
現在の寺は江戸時代の再建で、当時は200石の朱印地を有し、
家康の庇護もあり、朝鮮通信史の交流が多く、琉球通信史との
交流もあったとのこと。
大方丈に入って内部を拝観する。壁面に参詣した朝鮮通信史
の詩文が何枚も掲げられている。
北側の、国名勝で新緑に彩られた清見寺庭園も鑑賞した。
仏殿や鐘楼にも朝鮮通信史ゆかりの掲額がある。
興津(おきつ)宿を抜けて興津川を渡る。少し先から西に入って、
東海道の5大難所の一つだったという薩捶(さった)峠に向かう。
ミカン畑の間の急登を少しで、幾分霞んではいるが右に駿河湾
の展望が開ける。
峠まで上がると正面に突然、富士山が大きく現れた。冬場なら
ともかく、この時期にこのような大展望の富士山が見られるとは…。
ソウルからはるばる歩いてきた皆さんの感慨はひとしおのことと
思われる。
今日の参加者は、地元静岡県ウオーキング協会の方や、私の
ようなディリー参加者を含め40人余り。
夏ミカンの花が咲き実も残り、ビワの実の膨らむ農道を、由比
(ゆい)町に下る。
山麓最初の家並み、西倉沢には、山岡鉄舟が官軍に追われて
地下から逃げたことで知られる望嶽亭があった。
由比町は東海道16番目の宿場。狭い旧道沿いには、その先に
も間の宿本陣跡、名主の面影を残す国有形文化財・小池邸など、
古い民家が幾つか残っている。
由比町は日本一の桜エビの町、由比駅前から先には桜エビの
店が幾つも見られた。
由比駅から1.5km余りに由比本陣公園がある。現在、正門、
石垣、物見櫓(ものみやぐら)、馬の水のみ場などが復元されて
いる。
園内にある、東海道由比宿交流館や芝生などで昼食をする。
公園の奥には東海道広重美術館(下)や、明治天皇が小休止
された記念館「御幸亭」がある。
隣の宿、蒲原(かんばら)を抜け、旧東海道は東名高速道路
の西側に回る。高速道路の陸橋を越えると、正面に富士山が
いっそう近づく。
富士川町の家並みを抜け、再び高速道路の東に出た。富士
川にかかる富士川橋は風が強いが、富士山の絶好のビュー
ポイントである。
橋の東も雁堤と呼ぶ堤防が1km近く続く。富士を見ながら
さわやかな風を受けて進み、雁公園で休憩した。
ここでコース案内役が、静岡県ウオーキング協会から、東静
歩こう会にバトンタッチされた。
JR身延線柚木駅そばを通過し、富士市の中心街を横切る。
潤井川を挟む広々とした中央公園で次の休憩。午後は気温が
上がり、疲労感がつのってきた。
園内にりっぱなバラ園があり、ちょうど花が見ごろだった。
10数階の大きな富士市役所前を過ぎ、吉原宿の中心街へ。
アーケードもある賑やかな町並みに、300年の歴史を持つと
いう鯛屋旅館があった。
大名が泊まった関札や、山岡鉄舟が書いた屋号などの資料
が保存されていて、清水次郎長の定宿でもあったようだ。
中心街に近いビジネスホテルが今日の一行の宿。17時10分
ころ着いた。今日だけのディリー参加者に、韓国体育振興会の
宣相圭(ソンサンギュ)会長から参加賞が贈られる。私もこの人
の後にいただいた。
ディリー参加者数人は、さらに3km近く旧東海道を歩き、
18時にJR東海道線吉原駅に着いた。
18時8分発熱海行きに乗り熱海で乗り換え、さらに国府津
から湘南新宿ラインに乗り継ぎ、池袋で夕食を済ませ、22時
20分に帰宅した。
(天気 晴、距離 33k、標高差(累積) 630m、地図(1/2.5万)
清水、興津、蒲原、吉原)
なお、「21世紀の朝鮮通信史友情ウオーク」の詳細は、朝日
新聞社OBで現在もカメラマンとしてご活躍され、全行程に
参加されている、金井三喜雄さんの下記Webをご覧下さい。
http://www.rivo.mediatti.net/~ayako-y/
ウオーク」の江尻(静岡市清水)~吉原市間に参加した。
豊臣秀吉の侵略で国交が断絶していた朝鮮との平和修復を
目指した徳川家康が要請し、朝鮮から国書を渡すために派遣
された約400~500人の朝鮮通信史は、1607年~1811年
に計12回来日した。
第1回から400年になる今年、日本と韓国の歩く仲間が、朝鮮
通信史がたどった道を歩いているもので、日本国内は、大阪を
5月1日にスタートし、この日は11日目である。
東京駅6時23分のこだま561号で静岡まで行き、東海道線で
折返して清水駅に8時17分に着く。
駅北口に出たら、スタートしたばかりの「平成の朝鮮通信史ウオ
ーク」の一行に出会う。毎年の中山道ウオークで旧知の皆さんが
多いので、それらの方々に挨拶を交わして列の後方に加わった。
南口に回って海岸に近い広い車道を東に2㎞余り進み、東海道
線の北へ。国道1号静清バイパス下を抜け、朝鮮通信史ゆかり
の清見寺(せいけんじ)に行く。
清見寺は、奈良時代、東北の蝦夷に備えてこの地に関所が設け
られ、かたわらに仏堂が建立されたのが始めという。以後、足利
尊氏や今川義元の帰依を受けた。
現在の寺は江戸時代の再建で、当時は200石の朱印地を有し、
家康の庇護もあり、朝鮮通信史の交流が多く、琉球通信史との
交流もあったとのこと。
大方丈に入って内部を拝観する。壁面に参詣した朝鮮通信史
の詩文が何枚も掲げられている。
北側の、国名勝で新緑に彩られた清見寺庭園も鑑賞した。
仏殿や鐘楼にも朝鮮通信史ゆかりの掲額がある。
興津(おきつ)宿を抜けて興津川を渡る。少し先から西に入って、
東海道の5大難所の一つだったという薩捶(さった)峠に向かう。
ミカン畑の間の急登を少しで、幾分霞んではいるが右に駿河湾
の展望が開ける。
峠まで上がると正面に突然、富士山が大きく現れた。冬場なら
ともかく、この時期にこのような大展望の富士山が見られるとは…。
ソウルからはるばる歩いてきた皆さんの感慨はひとしおのことと
思われる。
今日の参加者は、地元静岡県ウオーキング協会の方や、私の
ようなディリー参加者を含め40人余り。
夏ミカンの花が咲き実も残り、ビワの実の膨らむ農道を、由比
(ゆい)町に下る。
山麓最初の家並み、西倉沢には、山岡鉄舟が官軍に追われて
地下から逃げたことで知られる望嶽亭があった。
由比町は東海道16番目の宿場。狭い旧道沿いには、その先に
も間の宿本陣跡、名主の面影を残す国有形文化財・小池邸など、
古い民家が幾つか残っている。
由比町は日本一の桜エビの町、由比駅前から先には桜エビの
店が幾つも見られた。
由比駅から1.5km余りに由比本陣公園がある。現在、正門、
石垣、物見櫓(ものみやぐら)、馬の水のみ場などが復元されて
いる。
園内にある、東海道由比宿交流館や芝生などで昼食をする。
公園の奥には東海道広重美術館(下)や、明治天皇が小休止
された記念館「御幸亭」がある。
隣の宿、蒲原(かんばら)を抜け、旧東海道は東名高速道路
の西側に回る。高速道路の陸橋を越えると、正面に富士山が
いっそう近づく。
富士川町の家並みを抜け、再び高速道路の東に出た。富士
川にかかる富士川橋は風が強いが、富士山の絶好のビュー
ポイントである。
橋の東も雁堤と呼ぶ堤防が1km近く続く。富士を見ながら
さわやかな風を受けて進み、雁公園で休憩した。
ここでコース案内役が、静岡県ウオーキング協会から、東静
歩こう会にバトンタッチされた。
JR身延線柚木駅そばを通過し、富士市の中心街を横切る。
潤井川を挟む広々とした中央公園で次の休憩。午後は気温が
上がり、疲労感がつのってきた。
園内にりっぱなバラ園があり、ちょうど花が見ごろだった。
10数階の大きな富士市役所前を過ぎ、吉原宿の中心街へ。
アーケードもある賑やかな町並みに、300年の歴史を持つと
いう鯛屋旅館があった。
大名が泊まった関札や、山岡鉄舟が書いた屋号などの資料
が保存されていて、清水次郎長の定宿でもあったようだ。
中心街に近いビジネスホテルが今日の一行の宿。17時10分
ころ着いた。今日だけのディリー参加者に、韓国体育振興会の
宣相圭(ソンサンギュ)会長から参加賞が贈られる。私もこの人
の後にいただいた。
ディリー参加者数人は、さらに3km近く旧東海道を歩き、
18時にJR東海道線吉原駅に着いた。
18時8分発熱海行きに乗り熱海で乗り換え、さらに国府津
から湘南新宿ラインに乗り継ぎ、池袋で夕食を済ませ、22時
20分に帰宅した。
(天気 晴、距離 33k、標高差(累積) 630m、地図(1/2.5万)
清水、興津、蒲原、吉原)
なお、「21世紀の朝鮮通信史友情ウオーク」の詳細は、朝日
新聞社OBで現在もカメラマンとしてご活躍され、全行程に
参加されている、金井三喜雄さんの下記Webをご覧下さい。
http://www.rivo.mediatti.net/~ayako-y/