1日、間があきましたが、三浦七福神めぐり2日目、5月
13日のレポートです。
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5月13日(日)、雲が多いが雨の心配は無さそう。朝食前、
三崎港の近く、宿のすぐ隣にある「さかなセンター」での三崎
朝市が賑わっているというので、のぞいて見た。
なるほど観光客や地元の人など大勢が来て、安くて新鮮な
魚介類や野菜、果物、生花どを漁(あさ)っている。私もサンマ
の生干しを求めた。
記念撮影をして、9時3分に宿泊したサンポートみさきを出発
する。
三崎港沿いに東に向かい、コンビニで昼食を求め、近くの筌
龍(せんりゅう)弁財天の海南神社に行く。
天元5年(982)に三浦一族の総鎮守として造営されたという。
なぜか社殿には、14個もの鈴が下がっている。
境内には、頼朝公手植えと伝えられる樹齢約800年の大イチ
ョウが2本、長い気根を伸ばしていた。
三崎小の西から東に回って三崎港最奥部から宮川町に上が
り、「関東ふれあいの道」の道標に従い、宮川湾東端に下る。
関東ふれあいの道「三浦・岩礁のみち」の西端にあるトイレ
近くで、珈琲タイムとする。
風が強く、そばに咲くハマダイコンがゆれている。
白波の立つ岩礁に沿って東へ。台地上に数基の無線アン
テナ塔の立つ入り江に、30隻前後のヨットが係留されて
いた。
少し先の台地上には、2基の発電用風車が力強く回って
いる。
岩礁は大岩、小岩が続き、水際も通過するので、滑らぬ
よう注意し、風で帽子を飛ばされぬよう抑えたりして慎重に
歩を進める。
筋状のひだの付いた岩礁の上や、大きな洞窟のそばを通
過、たくさんのカモメが休む岩や、白波の立つ沖などを眺め、
毘沙門湾の西側で車道に出た。
湾を回って八浦から江奈へと上がり、11時48分に毘沙門
天の慈雲寺に入り、境内で昼食にする。
寺は応安元年(1368)妙鎌大和尚による開山。毘沙門天
は行基菩薩の作と伝えられ、北方を守る武神で、厄除け、恵
方の神としてあがめられているという。
本堂は施錠され、拝観は出来なかった。
12時半に出発。北側の渡戸集落を抜けて谷間に下る。両
側の新緑の森でウグイスの競演。途中、道が途切れたが、
キャベツ畑の隅を上がり三浦霊園南側の台地上へ。
キャベツ畑や新緑の林が、緩やかなカーブを描いて広がっ
ている。
霊園西側の谷間を東北に下り、南下浦町金田の宮脇集落
にある6番目、金光恵比寿の円福寺に入る。
漁夫が金田湾の海上で光る黄金の恵比寿像を拾い、持ち
帰って祭り、天文17年(1548)開山したのがはじめという。
大本堂正面の太い梁の上に、精巧な龍が彫られていた。
鐘楼も大きく、庭には、太いソテツが枝を広げている。
殿畑集落を北に抜け、再び台地上の畑の間を西に向かう。
500mほどで北の仲里に下がる細道があるはずだが見あた
らず、そのまま台地上を進み、菊名の高山集落にある三差路
で北に回り込む。
国道134号が折り返す三差路を北西に少し進み、消防署
横から畑の中の細道に入る。
携帯電話の高いアンテナ横を進んで、カボチャ畑の北に見
えた墓地の最上部から、新しい大日如来への参拝路の急な
帰路を下り、七福神の最後、鶴園(かくおん)福禄寿の妙音寺
に下った。
室町時代後期には、小田原北条氏の雨乞いの祈願寺とし
て信望が篤(あつ)かったとのこと。寺域は四季折々花に彩ら
れ、関東一円をめぐる「東国花の寺百ヶ寺」の一つである。
境内には、新しい御影石の下に埋め込まれた、四国八十
八ヶ所のお砂踏み霊場もある。
無事2日間の、三浦七福神をめぐるカントリーウオークが
終わった。三崎口駅までは1㎞ほど。新しい住宅地から線路
沿いへ。
イソヒヨドリの鳴く若サクラの下を上がり、15時23分に京浜
急行三崎口駅に着く。急いで切符を求め、15時30分発青砥
行き特急に乗り、帰途についた。
有志は都営三田線三田駅で下り、5月1日の当ブログで紹
介した、メンバーの1人、横沢さんの珈琲店「草の花」に寄り、
新しい店を見せてもらい、ひとしきり歓談した。
(天気 曇、距離 15㎞、標高差累積 約840m、地図(1/2.5
万) 三浦三崎、浦賀、歩行地 三浦市)
13日のレポートです。
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5月13日(日)、雲が多いが雨の心配は無さそう。朝食前、
三崎港の近く、宿のすぐ隣にある「さかなセンター」での三崎
朝市が賑わっているというので、のぞいて見た。
なるほど観光客や地元の人など大勢が来て、安くて新鮮な
魚介類や野菜、果物、生花どを漁(あさ)っている。私もサンマ
の生干しを求めた。
記念撮影をして、9時3分に宿泊したサンポートみさきを出発
する。
三崎港沿いに東に向かい、コンビニで昼食を求め、近くの筌
龍(せんりゅう)弁財天の海南神社に行く。
天元5年(982)に三浦一族の総鎮守として造営されたという。
なぜか社殿には、14個もの鈴が下がっている。
境内には、頼朝公手植えと伝えられる樹齢約800年の大イチ
ョウが2本、長い気根を伸ばしていた。
三崎小の西から東に回って三崎港最奥部から宮川町に上が
り、「関東ふれあいの道」の道標に従い、宮川湾東端に下る。
関東ふれあいの道「三浦・岩礁のみち」の西端にあるトイレ
近くで、珈琲タイムとする。
風が強く、そばに咲くハマダイコンがゆれている。
白波の立つ岩礁に沿って東へ。台地上に数基の無線アン
テナ塔の立つ入り江に、30隻前後のヨットが係留されて
いた。
少し先の台地上には、2基の発電用風車が力強く回って
いる。
岩礁は大岩、小岩が続き、水際も通過するので、滑らぬ
よう注意し、風で帽子を飛ばされぬよう抑えたりして慎重に
歩を進める。
筋状のひだの付いた岩礁の上や、大きな洞窟のそばを通
過、たくさんのカモメが休む岩や、白波の立つ沖などを眺め、
毘沙門湾の西側で車道に出た。
湾を回って八浦から江奈へと上がり、11時48分に毘沙門
天の慈雲寺に入り、境内で昼食にする。
寺は応安元年(1368)妙鎌大和尚による開山。毘沙門天
は行基菩薩の作と伝えられ、北方を守る武神で、厄除け、恵
方の神としてあがめられているという。
本堂は施錠され、拝観は出来なかった。
12時半に出発。北側の渡戸集落を抜けて谷間に下る。両
側の新緑の森でウグイスの競演。途中、道が途切れたが、
キャベツ畑の隅を上がり三浦霊園南側の台地上へ。
キャベツ畑や新緑の林が、緩やかなカーブを描いて広がっ
ている。
霊園西側の谷間を東北に下り、南下浦町金田の宮脇集落
にある6番目、金光恵比寿の円福寺に入る。
漁夫が金田湾の海上で光る黄金の恵比寿像を拾い、持ち
帰って祭り、天文17年(1548)開山したのがはじめという。
大本堂正面の太い梁の上に、精巧な龍が彫られていた。
鐘楼も大きく、庭には、太いソテツが枝を広げている。
殿畑集落を北に抜け、再び台地上の畑の間を西に向かう。
500mほどで北の仲里に下がる細道があるはずだが見あた
らず、そのまま台地上を進み、菊名の高山集落にある三差路
で北に回り込む。
国道134号が折り返す三差路を北西に少し進み、消防署
横から畑の中の細道に入る。
携帯電話の高いアンテナ横を進んで、カボチャ畑の北に見
えた墓地の最上部から、新しい大日如来への参拝路の急な
帰路を下り、七福神の最後、鶴園(かくおん)福禄寿の妙音寺
に下った。
室町時代後期には、小田原北条氏の雨乞いの祈願寺とし
て信望が篤(あつ)かったとのこと。寺域は四季折々花に彩ら
れ、関東一円をめぐる「東国花の寺百ヶ寺」の一つである。
境内には、新しい御影石の下に埋め込まれた、四国八十
八ヶ所のお砂踏み霊場もある。
無事2日間の、三浦七福神をめぐるカントリーウオークが
終わった。三崎口駅までは1㎞ほど。新しい住宅地から線路
沿いへ。
イソヒヨドリの鳴く若サクラの下を上がり、15時23分に京浜
急行三崎口駅に着く。急いで切符を求め、15時30分発青砥
行き特急に乗り、帰途についた。
有志は都営三田線三田駅で下り、5月1日の当ブログで紹
介した、メンバーの1人、横沢さんの珈琲店「草の花」に寄り、
新しい店を見せてもらい、ひとしきり歓談した。
(天気 曇、距離 15㎞、標高差累積 約840m、地図(1/2.5
万) 三浦三崎、浦賀、歩行地 三浦市)
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