06年10月28日(日)<続き>
東側に見上げる山肌は、はげ山になっていたのが近年の植林
で、広葉樹がかなり伸びていた。
対岸に足尾銅山の建物を見ながら、渡良瀬川左岸沿いの車道
を上流に向かう。
前方に広がる山並みは皆、足尾銅山の煙突から排出された
亜硫酸ガスで興廃している。
一部植林で復旧しつつあるとはいえ、周囲に広がる山々がすべて
同じ状態。間近にその姿に接し、影響の大きかったことが知れる。
愛宕下には、足尾高山の社宅だった平屋の長屋が幾つも残る。
渡良瀬川に何段もの砂防ダムがかかり、その上に足尾ダムの
大きな堰堤が見えてきた。
ダムの上は、仁田元川、松木川、久蔵川の3つの川が合流して、
渡良瀬川の源流になる広い河原になっている。
ダム上流の道路横に「わたらせ川源流の碑」が立っていた。
幅広い滝のように落下するダムの放流を間近に見ながら、大き
な吊り橋を渡り、足尾ダム堰堤下にある銅(あかがね)親水公園
に下り、芝生広場で昼食をした。
もと来た道を古河橋まで戻って橋を渡る。さらに出川の小さい
橋も渡って、旧国鉄足尾線の廃線跡に上がった。
向赤倉トンネル(約36m)を抜け、少し崩落したがけ地を注意
しながら進む。線路も枕木もしっかり残っていて、いまでも列車
が通れそう。
次の向間藤トンネル(約211m)は、入口がふさがれていて
入れない。
小さい神社の横を下り、精錬所社宅らしい建物の横から南橋
を渡って左岸の道路に出て、上間藤の家並みを南に進む。
道路が廃線の線路を横切る手前に、間藤水力発電所跡の説明
板があり、直径1mという送水管の一部が残っていた。
発電所は、明治23年(1890)に完成したもので、わが国初期
の水力発電所で、足尾銅山近代化を強力に推進する力になった
のだという。
道路と交差したところから再び廃線跡に入る。少し草の伸びた
ところもあるが、通過には支障ない。
シカの糞らしいのがあちこちに落ちていた。
300m余りで営業中の、わたらせ渓谷鐵道の終点、間藤駅に
着いた。
次の列車まで1時間半近くあるので、さらに2つ先の通洞駅
まで歩くことにする。
線路の西側沿いに進み、田元からは線路の東側沿いの旧道
を抜ける。
足尾駅近くに、古河鉱業の古河掬水倶楽部と呼ぶ、いわば
迎賓館にあたる建物が見えたが、寄らずに通過する。
足尾駅構内には、旧国鉄のディーゼル車が保存されていた。
さらに線路沿いの旧道を進む。足尾銅山発展の基礎を築い
た木村長兵衛の墓があるという宝増寺前を通過し、14時45分
に通洞駅に着いた。
まだ待ち時間があるので、5分ほど先の足尾歴史館に入る。
足尾銅山で使われた鉱山機械、足尾に関わる人物紹介、荒廃
地の緑再生プロジェクトの概要などを、ボランティアの方の説明
を聞きながら観覧し、今日あちこちで目のあたりにしてきた、足尾
銅山の歴史や背景などを、一層理解することが出来た。
通洞駅15時35分発赤城行きで帰途につく。
(天気 快晴後晴、距離 14km、地図(1/2.5万) 足尾、歩行地
栃木県日光市(旧足尾町))
東側に見上げる山肌は、はげ山になっていたのが近年の植林
で、広葉樹がかなり伸びていた。
対岸に足尾銅山の建物を見ながら、渡良瀬川左岸沿いの車道
を上流に向かう。
前方に広がる山並みは皆、足尾銅山の煙突から排出された
亜硫酸ガスで興廃している。
一部植林で復旧しつつあるとはいえ、周囲に広がる山々がすべて
同じ状態。間近にその姿に接し、影響の大きかったことが知れる。
愛宕下には、足尾高山の社宅だった平屋の長屋が幾つも残る。
渡良瀬川に何段もの砂防ダムがかかり、その上に足尾ダムの
大きな堰堤が見えてきた。
ダムの上は、仁田元川、松木川、久蔵川の3つの川が合流して、
渡良瀬川の源流になる広い河原になっている。
ダム上流の道路横に「わたらせ川源流の碑」が立っていた。
幅広い滝のように落下するダムの放流を間近に見ながら、大き
な吊り橋を渡り、足尾ダム堰堤下にある銅(あかがね)親水公園
に下り、芝生広場で昼食をした。
もと来た道を古河橋まで戻って橋を渡る。さらに出川の小さい
橋も渡って、旧国鉄足尾線の廃線跡に上がった。
向赤倉トンネル(約36m)を抜け、少し崩落したがけ地を注意
しながら進む。線路も枕木もしっかり残っていて、いまでも列車
が通れそう。
次の向間藤トンネル(約211m)は、入口がふさがれていて
入れない。
小さい神社の横を下り、精錬所社宅らしい建物の横から南橋
を渡って左岸の道路に出て、上間藤の家並みを南に進む。
道路が廃線の線路を横切る手前に、間藤水力発電所跡の説明
板があり、直径1mという送水管の一部が残っていた。
発電所は、明治23年(1890)に完成したもので、わが国初期
の水力発電所で、足尾銅山近代化を強力に推進する力になった
のだという。
道路と交差したところから再び廃線跡に入る。少し草の伸びた
ところもあるが、通過には支障ない。
シカの糞らしいのがあちこちに落ちていた。
300m余りで営業中の、わたらせ渓谷鐵道の終点、間藤駅に
着いた。
次の列車まで1時間半近くあるので、さらに2つ先の通洞駅
まで歩くことにする。
線路の西側沿いに進み、田元からは線路の東側沿いの旧道
を抜ける。
足尾駅近くに、古河鉱業の古河掬水倶楽部と呼ぶ、いわば
迎賓館にあたる建物が見えたが、寄らずに通過する。
足尾駅構内には、旧国鉄のディーゼル車が保存されていた。
さらに線路沿いの旧道を進む。足尾銅山発展の基礎を築い
た木村長兵衛の墓があるという宝増寺前を通過し、14時45分
に通洞駅に着いた。
まだ待ち時間があるので、5分ほど先の足尾歴史館に入る。
足尾銅山で使われた鉱山機械、足尾に関わる人物紹介、荒廃
地の緑再生プロジェクトの概要などを、ボランティアの方の説明
を聞きながら観覧し、今日あちこちで目のあたりにしてきた、足尾
銅山の歴史や背景などを、一層理解することが出来た。
通洞駅15時35分発赤城行きで帰途につく。
(天気 快晴後晴、距離 14km、地図(1/2.5万) 足尾、歩行地
栃木県日光市(旧足尾町))