あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

四国遍路道ある記(前編)・高知その14

2006-10-24 21:35:37 | 初めての四国遍路
 庭や隣の畑のカラスウリが赤くなりました。今日は11月中旬の
気温とか。1日中冷たい雨でした。

 4日以降中断していた、「四国遍路道ある記(前編)」を再開します。

=============================

 第21日 2004年3月11日(木)  曇後雨
 =土佐清水経由打戻り=
 
 6時15分起床、7時朝食、弁当をお接待していただき、7時40分
に民宿青岬を出る。

 雲は多いがすぐに雨とはなりそうにない。林道を少し進むと、広葉
樹林の間のんろ道になる。なま暖かい風だが、今朝もウグイスが
元気。舗装が途切れて土の道へ。

 西側に潮騒を聞きながら林間を進み、やがて県道27号に出た。

 白波の立つ岸壁や、県道バイパスの新しい大浜トンネルを右に
見ながら北に進む。紫のモクレンガきれいな見せている。

 ヘアピンカーブをショートカットして中浜集落に入った。蒸すために
何段も積んだ棚に、女性数人が生カツオをのせている。

 町並みを抜け、坂を上がって青いアーチの中ノ浜大橋近くに出た。
いま抜けてきた、中浜の集落が見下ろせる。

 へんろ道の標識は橋の方向を指している。橋を渡って1kmあまり
進んだら、中浜万次郎生誕地への矢印があった。

 そうだ中浜は、ジョン万次郎こと中浜万次郎の出身地だったと
思い出す。

 しかし、へんろ道とはどうも方角が違うようだ。県道27号の標示
が出て、大浜方面に戻っているようなので引き返した。

 大橋の西側まで戻ったら、50mほどのところにへんろ道の標識
があった。見落としたため30分ほどロスしただろうか。でも、今日
は距離が短いので安心だ。

 このへんろ道は、落ち葉の多い道を上がり、平坦になり、やがて
下っていったのだが、とても歩きやすいいい道だった。

 下りはじめの木の間から、清水港が見えた。

 へんろ道が終わり、三差路に出てひと休みしていたら雨が落ちて
きた。ザックカバーを付け、ポンチョを抱えて立ち上がる。

 すぐ先の橋を渡ったところに、国史跡・唐船島記念碑があった。
遣明船の前線基地だったという。


 清水港の最奥部を回りこんでいたら突然風雨が強くなった。あわ
ててポンチョを付けようとしたが、風にあおられる。そこへ通りかか
った女性が、自分の傘が飛びそうなのも省みず、ポンチョを反対側
に回してくれた。本当に自然の所作で、ありがたいお接待だった。

 少し先に、消防署の倉庫のような建物があったので、入らせてもら
い、雨ズボンとスパッツを付けた。右カーブしたら薬局があったので、
あかぎれの薬を買う。

 土佐清水市の中心街から来た国道との三差路を右折して、国道
321号を北に向かう。ゆるやかな坂道を上がってトンネルを抜けた
ところで八戸の女性に追いつき、以後、宿まで同道する。

 往路に出る手前、以布利郵便局近くで雨が上がり、暑くなったので
ポンチョを脱いだ。

 下港山のへんろ道を抜け、往路同様、大岐海岸の砂浜に下りる。
引き潮で波打ち際は湿気があり、きのうより歩きやすかった。

 北端の橋を渡り、ナノハナの咲く砂浜で昼食。八戸の女性から、
お接待でもらったというトマトと和菓子のおすそ分けをもらう。

 蟻崎や久百々も往路のへんろ道へ。途中、2日目のさくら旅館で
一緒だった名古屋の男性が向こうから来て、久しぶりの再会。途中
3日間帰宅したと言うが、それにしてはあのころの足取りに比べる
と、速いペースになったものだ。

 久百々を過ぎた辺りで、今度は八戸の人が、初めのころ一緒だっ
たという男性と1人、更にその先で2人と相次いで行き違う。


 また雨になったが、八戸の女性と2人とが、しばし話し込む。

 かなり濡れてきたが、宿も近いのでもう少しと思い雨具を付けず
に進み、14時42分、安宿旅館に戻った。

 すぐに宿の親父さんから新聞紙をもらい、濡れたものを干し、靴
にも入れて乾かす。

 宿に預けていった荷物はもう不要と考え、近くにある閉局間際の
郵便局に行き、ゆうパックで送り返した。しかし、あわてて持って
いったので、必要なものも3点ほどあった。入浴後洗濯をする。

 今日の宿泊は、一緒に戻った我々2人と、愛知の女性1人だった。

〈コースタイム〉民宿青岬7:40ー払川の県道8:10ー大浜トンネル分岐
8:24ー県道27号折返し9:10ー中ノ浜大橋(戻り)9:26ー厚生町の
車道へ10:02~08ー旭町三差路(国道へ)10:50ー以布利郵便局11:26
ー大岐海岸砂浜へ11:56ー砂浜北端(昼食)12:22~45ー安宿旅館
14:42

(距離 23km、歩行地 土佐清水市、歩数 39,200) 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近江商人発祥の町・近江八幡を歩く(続)

2006-10-24 11:34:01 | ウオーキング
 06年10月16日(月) (続き)

 八幡堀の明治橋を渡って広い敷地のシキボウ八幡工場の北側を
回り、図書館の横から八幡山山ろくの八幡公園へ。

 桜の多い公園の一角に八幡城主だった豊臣秀次像が立つ。

 現在放映中の、NHK-TV大河ドラマ「功名が辻」にも登場した
豊臣秀次は、永禄13年(1568)生まれで秀吉の甥。八幡城を築い
て城下町近江八幡を商都として発展の基礎を築き、一度は関白と
なったが、28歳の文禄4年(1595)に秀吉の後継者をめぐり自害
させられた。


 秀次像の横から遊歩道に入り、八幡山(271.9m)に向かって
上がる。ロープウェイの下を横切り、左に回り込んで林間をジグザグ
に上がって、ロープウェイの山上駅のところに出た。

 背後の山頂一帯が、天正13年(1585)関白秀次が築いた八幡
城の中心。ここに日蓮宗ただ一つという門跡寺院、村雲御所瑞龍寺
がある。

 秀吉の姉で秀次の生母、日秀尼公により、秀次の菩提をともらう
ため、文禄5年(1596)京都村雲に創建され、昭和36年(1961)
に、この地に主要建物が移されたという。

 境内に多いモミジが紅葉し始めていた。本堂前からは眼下に、
近江八幡の町並みが見下ろせる。


 瑞龍寺を出て、ロープウェイ乗り場のそばにある展望館に入る。

 1階は土産物店や喫茶、2階では近江八幡の歴史や八幡瓦の
展示などがあり、展望台に出ると、近江八幡の市街地や、田園
地帯の向こうに繖(きぬがさ)山や安土(あづち)城跡方面の展望
(下の写真)が広がる。

 展望館の上から、瑞龍寺の回りを一周する遊歩道がある。西
側の西の丸跡からは、琵琶湖やその向こうの比良山系が望まれ
るが、この日はちょっと霞んでいた。

 さらに北の丸跡に回ると、東側の田園地帯や繖山、西の湖方面
が見晴らせる。

 上がった道を戻って八幡山公園の東端に下り、ロープウェイ山
ろく駅の南にある日牟禮(ひむれ)八幡宮境内に入る。

 千有余年の歴史を持つ近江八幡の総社で、近江商人の信仰を
集めている。江戸初期に海外貿易で活躍した西村太郎右衛門が
寄進した「安南渡海船頭」額など、重要文化財が多いという。

 透かし彫りの灯籠などが多数吊された入母屋造りの拝殿は、
鎌倉初期の文治3年(1188)の建立。その後数回の改築を経て
現在に至っている。神社周辺は、観光バスで来た団体客で賑わっ
ていた。

 八幡堀の白雲橋を渡った突き当たりに、国の登録有形文化財
で、白雲館と呼ぶ西洋式の建物がある。

 明治10年(1877)に八幡東学校として建築されたもので、以後、
役場、郡役所、信用金庫などに使用されたという。

 館内は観光案内所になっていて、土産品や出版物などを販売
し、近江八幡関連の写真や年表などの展示もある。

 館のある大杉町通りから、南の京町通りに入り東に進むと、メン
ソレータムで知られる近江兄弟社学園がある。道を間違え少し
回り道して、手前の龍恩寺通にある旧ヴォーリーズ住宅前に行く。

 案内図にはヴォーリズ記念館と記されており、予約すれば中を
観覧できる。午前中に、ヴォーリズ洋風住宅を回ったが、こちら
は昭和6年(1931)の建築で、ヴォーリズ後半生の自邸。県指定
有形文化財である。近くの食堂で遅くなった昼食をする。

 2つ南の通りを西に向かうと、「アートギャラリー野間」という京風
数寄屋造りの町屋がある。先代が国立博物館の学芸部長を務め
た野間静六家で、昭和5年(1930)年の建築。

 この辺りにも、細く割った竹や木で造られた垣根のような、犬夜来
(いぬやらい)の並ぶ、古い民家や商家が幾つか見られた。


 小幡上筋交差点に出て往路を戻り、15時56分に近江八幡駅に
着いた。15時1分発新快速電車で米原まで行き、東海道新幹線
ひかり号で6日ぶりの帰途につく。

(天気 快晴、距離 10km、歩行地 滋賀県近江八幡市)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする