2日間とも好天に恵まれた栃木県日光市(旧足尾町)のウオー
キングから21時頃、帰宅しました。レポートは明日以降として、
今日は四国遍路道ある記を続けます。
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第25日 2004年3月15日(月) 晴
<41番龍光寺~42番佛木寺
=松尾峠を越えて宇和島へ=
5時45分起床、6時30分朝食、7時にTさんと三好旅館を出る。
狭い町並みに古い家並みの並ぶ通りには、獅子文六ゆかりの
文六餅の店がある。
近くに、臨江寺という変わった山門の寺があった。どうやら番外
15番札所のようなので寄り、参拝を終え納経帳をお願いする。
しかし、ほかの番外霊場と違い、受付には納経帳に記帳するテー
ブルなど無く、奥で記入して受付で押印してくれた。山門に戻って
看板をよく見たら、何と「四国ぼけ封じ33番札所第15番」とある。
「ぼけ」を「番外」と読み違えていたのだ。ぼけが進むか、参拝した
ので治るか、どっちだろう?
国道56号に出ると、休み明けの朝のラッシュ時で車が多い。上谷
で旧道の迂回路へ。国道を直進すると、長さ1710m、歩いて27分
かかり、排気ガスの多い松尾トンネルがある。
迂回路は、1.7km多いが車は少ないとのことで、回ることにした
のだ。
結構急坂が続き、どんどん高度が上がる。真珠貝養殖工場を過ぎ、
旧道松尾トンネルに入る。歩道はないが、長さは300m足らず、ライ
トを付けて通過する。行き違った車は3台だけだった。
トンネルを出ると宇和島市で、下り道となる。大きな採石場を過ぎ、
国道56号に出る手前の柿木で休憩した。
国道に戻って少しで西側の旧道に入る。へんろ道ではないが、
1kmあまり車の少ない山すその集落を進む。下保田の薬師谷川
を渡ると宇和島市街が近づき、商店も車も増えてきた。
並松で、奥様から「お賽銭に」と百円をお預かりしたので、次に
回った41番に納めた。
市街地に入ったところで、地形図を見て国道より東の道に入り、
少しだけショートカット。伊予ゆかりの伊達博物館の先で国道に
戻った。
四月に開催する闘牛のポスターがあり、宇和島が闘牛の町だっ
たことを思い出す。マンホールのふたにも闘牛が描かれていた。
山上に天守閣が見える宇和島城の下を南から東に回る。城への
上り口になっている上立門のそばに、「児島惟謙先生像」というの
が立っていた。
宇和島藩士で坂本龍馬と交流があり、のち大審院長(現在の
最高裁長官)になった人だという。
宇和島郵便局の手前で、歩道橋を渡って広い通りに入り、きさ
いけロードと呼ぶアーケードの通りを横断する。
その先、宇和島駅の東南にある番外霊場、龍光院に参拝する。
寺は長い階段を上がった丘陵上にあり、宇和島城や市街地の
展望がよい。大きな本堂、境内にかわいいお地蔵さんが並び、
ミニ88か所が設けられていた。
宇和島駅東側の踏切を越えたら、そうざい店があった。中をのぞ
いたら弁当も置いてある。外崎さんと栗おこわを買った。
国道56号に出てすぐ、光満川沿いの遊歩道を県道との分岐点
近くまで進み、県道57号に入った。道は上りとなる。
安常の、コインランドリーと自動販売機の並ぶ無人販売所に、いす
と机があったので、場所を借りて昼食にする。Tさんから、おかずと
フルーツ菓子を頂いた。
県道は、光満川を挟んでJR内子線沿いに谷間を進む。新屋敷を
経て柳の芽吹く馬根を過ぎる。
気温が上がってきたが、湿気が少なく風がさわやか。窓峠を越え
ると、行く手に曽根の田園が広がる。
14時前、41番龍光寺に着いた。本堂の納札箱に錦の納札が
あるのをTさんが見つけた。太子堂にも同じ札があり、私に分けて
下さった。昨夜、茶柱が立ったのはこれだったのかと、ありがたく
頂く。
錦の納札は100以上回った人が納めたもの。価値あるものと
して珍重され、額に入れて飾る人もいるという。
納経所を出て墓地を抜け、へんろ道の林を西に下り、田園地帯
を西に進む。成家で、「50年前、胃ガンを摘出して元気になった
のはお大師様のおかげ」と、一緒に歩きながら話してくれたおばあ
さんからミカンのお接待を頂いた。
その先で手押し車の遍路を抜き、静かな集落の42番佛木寺に
着いた。本堂と大師堂は並んでいる。鐘楼は珍しくかやぶきだ。
更に南西に500mほど進み、沼のほとりを上がって歯長峠へ
向かう。峠へ1.6km地点から山道になった。急坂が続き、顔も
背も一気に汗が吹き出る。
200mほどの鎖場もあったので、息が弾まぬくらいのペースで
上り、送電線の鉄塔のある歯長峠に着いた。標高490m、送迎庵
見送り大師跡でもあり、小さな庵があった。
峠の先は、スギやヒノキ、そして広葉樹の落ち葉の多い林を下っ
て車道に出た。肱川沿いの県道29号を西に進む。夕日が山の
向こうに落ちた17時42分、レストラン民宿みやこに着いた。
部屋は、食堂を挟んで1階と地階にある変わった構造。私は
車庫の奥の地階の部屋。そばに風呂と洗濯機があったので利用
する。
夕食は18時45分から食堂で。結構盛りだくさんの料理。隣席
は車で遍路している2組の夫妻。先に食事を始めており、意気
投合して大声で話しが弾んでいた。
〈コースタイム〉三好旅館7:00ー臨江寺7:22~上谷(旧国道へ)
7:50ー旧国道松尾トンネル東口8:25ー柿木8:58~9:06ー薬師谷
川先の三差路10:45~51ー宇和島城西下の門10:40ー番外・龍光
院10:57~11:23ー安常(昼食)12:05~26ー新屋敷13:17ー41番
龍光寺13:58~14:22ー42番佛木寺15:03~32ー歯長峠16:24~
30ー車道へ17:00ー民宿みやこ17:42
(距離 35km、歩行地 津島町、宇和島市、三間町、吉田町、
西予市(旧宇和町)、歩数 60,100)
キングから21時頃、帰宅しました。レポートは明日以降として、
今日は四国遍路道ある記を続けます。
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第25日 2004年3月15日(月) 晴
<41番龍光寺~42番佛木寺
=松尾峠を越えて宇和島へ=
5時45分起床、6時30分朝食、7時にTさんと三好旅館を出る。
狭い町並みに古い家並みの並ぶ通りには、獅子文六ゆかりの
文六餅の店がある。
近くに、臨江寺という変わった山門の寺があった。どうやら番外
15番札所のようなので寄り、参拝を終え納経帳をお願いする。
しかし、ほかの番外霊場と違い、受付には納経帳に記帳するテー
ブルなど無く、奥で記入して受付で押印してくれた。山門に戻って
看板をよく見たら、何と「四国ぼけ封じ33番札所第15番」とある。
「ぼけ」を「番外」と読み違えていたのだ。ぼけが進むか、参拝した
ので治るか、どっちだろう?
国道56号に出ると、休み明けの朝のラッシュ時で車が多い。上谷
で旧道の迂回路へ。国道を直進すると、長さ1710m、歩いて27分
かかり、排気ガスの多い松尾トンネルがある。
迂回路は、1.7km多いが車は少ないとのことで、回ることにした
のだ。
結構急坂が続き、どんどん高度が上がる。真珠貝養殖工場を過ぎ、
旧道松尾トンネルに入る。歩道はないが、長さは300m足らず、ライ
トを付けて通過する。行き違った車は3台だけだった。
トンネルを出ると宇和島市で、下り道となる。大きな採石場を過ぎ、
国道56号に出る手前の柿木で休憩した。
国道に戻って少しで西側の旧道に入る。へんろ道ではないが、
1kmあまり車の少ない山すその集落を進む。下保田の薬師谷川
を渡ると宇和島市街が近づき、商店も車も増えてきた。
並松で、奥様から「お賽銭に」と百円をお預かりしたので、次に
回った41番に納めた。
市街地に入ったところで、地形図を見て国道より東の道に入り、
少しだけショートカット。伊予ゆかりの伊達博物館の先で国道に
戻った。
四月に開催する闘牛のポスターがあり、宇和島が闘牛の町だっ
たことを思い出す。マンホールのふたにも闘牛が描かれていた。
山上に天守閣が見える宇和島城の下を南から東に回る。城への
上り口になっている上立門のそばに、「児島惟謙先生像」というの
が立っていた。
宇和島藩士で坂本龍馬と交流があり、のち大審院長(現在の
最高裁長官)になった人だという。
宇和島郵便局の手前で、歩道橋を渡って広い通りに入り、きさ
いけロードと呼ぶアーケードの通りを横断する。
その先、宇和島駅の東南にある番外霊場、龍光院に参拝する。
寺は長い階段を上がった丘陵上にあり、宇和島城や市街地の
展望がよい。大きな本堂、境内にかわいいお地蔵さんが並び、
ミニ88か所が設けられていた。
宇和島駅東側の踏切を越えたら、そうざい店があった。中をのぞ
いたら弁当も置いてある。外崎さんと栗おこわを買った。
国道56号に出てすぐ、光満川沿いの遊歩道を県道との分岐点
近くまで進み、県道57号に入った。道は上りとなる。
安常の、コインランドリーと自動販売機の並ぶ無人販売所に、いす
と机があったので、場所を借りて昼食にする。Tさんから、おかずと
フルーツ菓子を頂いた。
県道は、光満川を挟んでJR内子線沿いに谷間を進む。新屋敷を
経て柳の芽吹く馬根を過ぎる。
気温が上がってきたが、湿気が少なく風がさわやか。窓峠を越え
ると、行く手に曽根の田園が広がる。
14時前、41番龍光寺に着いた。本堂の納札箱に錦の納札が
あるのをTさんが見つけた。太子堂にも同じ札があり、私に分けて
下さった。昨夜、茶柱が立ったのはこれだったのかと、ありがたく
頂く。
錦の納札は100以上回った人が納めたもの。価値あるものと
して珍重され、額に入れて飾る人もいるという。
納経所を出て墓地を抜け、へんろ道の林を西に下り、田園地帯
を西に進む。成家で、「50年前、胃ガンを摘出して元気になった
のはお大師様のおかげ」と、一緒に歩きながら話してくれたおばあ
さんからミカンのお接待を頂いた。
その先で手押し車の遍路を抜き、静かな集落の42番佛木寺に
着いた。本堂と大師堂は並んでいる。鐘楼は珍しくかやぶきだ。
更に南西に500mほど進み、沼のほとりを上がって歯長峠へ
向かう。峠へ1.6km地点から山道になった。急坂が続き、顔も
背も一気に汗が吹き出る。
200mほどの鎖場もあったので、息が弾まぬくらいのペースで
上り、送電線の鉄塔のある歯長峠に着いた。標高490m、送迎庵
見送り大師跡でもあり、小さな庵があった。
峠の先は、スギやヒノキ、そして広葉樹の落ち葉の多い林を下っ
て車道に出た。肱川沿いの県道29号を西に進む。夕日が山の
向こうに落ちた17時42分、レストラン民宿みやこに着いた。
部屋は、食堂を挟んで1階と地階にある変わった構造。私は
車庫の奥の地階の部屋。そばに風呂と洗濯機があったので利用
する。
夕食は18時45分から食堂で。結構盛りだくさんの料理。隣席
は車で遍路している2組の夫妻。先に食事を始めており、意気
投合して大声で話しが弾んでいた。
〈コースタイム〉三好旅館7:00ー臨江寺7:22~上谷(旧国道へ)
7:50ー旧国道松尾トンネル東口8:25ー柿木8:58~9:06ー薬師谷
川先の三差路10:45~51ー宇和島城西下の門10:40ー番外・龍光
院10:57~11:23ー安常(昼食)12:05~26ー新屋敷13:17ー41番
龍光寺13:58~14:22ー42番佛木寺15:03~32ー歯長峠16:24~
30ー車道へ17:00ー民宿みやこ17:42
(距離 35km、歩行地 津島町、宇和島市、三間町、吉田町、
西予市(旧宇和町)、歩数 60,100)