第19日 2004年3月9日(火) 快晴後晴
=四万十川を渡る=
5時30分起床、6時朝食、久しぶりに納豆が付いており、その上
コーヒーサービスもあった。
6時49分に出発、今朝も快晴ですがすがしい。ちょうど背後から
太陽が上り、正面の田んぼの上に月が残っていた。
海沿いの道、左手前方に4つの岬が続いているが、その先端、
足摺岬は朝もやで霞んでいる。
浮鞭郵便局の先、国道56号が右カーブする地点に、「入野松原
のみち」と記された四国のみちの標識があり、行く手に長い砂浜が
まっすぐに続いている。
その砂浜に向かって進むと、高知競馬の厩舎があり、4頭の馬が
見えた。広い芝生地を横切り、斜張橋の松原大橋の先から、若い
黒松林の中にへんろ道が伸びていた。
松落ち葉の上は足に優しい。ここも土佐西南大規模公園。潮騒と
ヒバリの声、遠浅の砂浜だが、潮の流れが速いので海水浴は禁止
だという。また、5月~8月はウミガメの産卵地でもあるようだ。
2km余りで松原は終わる。住宅地を抜け、クスノキの防風林を
通過すると、体育館らしい大きな建物があった。一帯は、芝生と
植栽の多い公園になっている。公園の末端で厚手のシャツを脱ぐ。
蛎瀬川を渡り、緩い上り坂にかかる。どうやら右膝はほぼ回復
した。サポーターだけは付けているが痛みはない。
坂を下って田野浦の漁港とその集落を回る。ここにも大きなアシ
タバが育っていた。わが家では以前、2度アシタバを育てたのだが
消えてしまった。やはり高知とは暖かさが違うことを実感する。
集落の終わり頃、岡山のIさんから電話があった。
台地上の集落、出口を通過して中村市に入り、双海へ。「四国の
みち」の道標のそばにナノハナがきれいに咲いていた。
クスノキの上のウグイスが、元気な声で励ましてくれる。
四万十大橋経由と、渡し船経由との分岐点になっている2差路に
来た。12時の渡し舟に十分間に合いそうなので、直進の県道42号
をそのまま進むことにする。
すぐ先に、双海サーフビーチの標示、緩い上り坂の途中で休憩。
コジュケイとウグイスが賑やかに鳴く。
金ヶ浜と呼ぶ砂浜を見下ろす場所に出た。海中で10数人のサー
ファーが波乗りを楽しみ、砂浜では遠足に来たのだろうか、数10人
の子どもたちが遊んでいる。
この辺り、梅の花に似た若木の桜があちこちで咲いている。花の
名を知りたいが、聞く人はいない。
平野集落を抜けると海岸沿いで工事中。その工事らしい県の公園
造りの都市計画図が掲示されていた。間もなく下田の町に入る。
渡し舟乗り場は近いが、まだ時間がある。T字路を少し戻って下田
郵便局に行き、高知にも在職された職場の先輩で歩きの仲間、M
さんと、自宅あてに近況を書き、風景印を押して発送してもらう。
ATMで資金補充もして、近くの商店で出来たての魚入り弁当を
買い、渡船場に着く。船待ちの間に、近くのプレハブの事務所前で
港を見ながら昼食にした。
11時50分に渡船場に戻ったら、他に乗船客がいないのを見て、
船頭さんが10分早く船を出してくれた。
清流四万十川の広い河口を8分で横断し、対岸の初崎に着く。
四万十大橋は、3㎞ほど上流なので見えなかった。
川の右岸に常緑樹の巨木がある。高さはそれほどないが、幹の
太さと枝の広がりが大きい。
河床で川のりを採っていた奥さんに聞くと、タブの木で、もう1本
あったが枯れてしまったとのことだった。
初崎集落を抜け、大きな水門の先に出たら、へんろ道より近そう
な神社への道が見えた。しめしめと回って行くと、波多の国の一宮
と記された社。昔、この辺りは波多の国とよばれていたようだ。
神宝の鉄剣は、国内でも珍しい銀象嵌七星剣というものだという。
ところで道は神社で行き止まり。へんろ道との間にアシの茂る小川
があって渡れない。結局、正規のへんろ道に戻ることになった。
小川の反対側の堤防を進み、津蔵渕の集落に入る。集落の端
まで進んで国道321号に出ると、山間のゆるい坂道がしばらく
続く。回りの広葉樹は芽吹きが始まり、やわらかな彩りを見せて
いる。
上り坂の最後は新伊豆田トンネル。長さ1620mあり、これまで
のトンネルの最長だが、自転車とも交差できる幅広い歩道があり、
安心して歩ける。通過に19分かかった。
トンネルを抜けて市ノ瀬に下る。39番への打ち戻りコースへの
Y字路に、大きな水車が回る「ドライブイン水車」があった。
打ち戻りとは、この先、38番を参詣してからここまで戻り、39番
に向かう往復の道のりのこと。
一休みしていたら、自転車の遍路氏に声をかけられた。時々家に
帰るが、5年くらい自転車遍路を続けており、もう70何回か回って
いるという。
38番からのルートを聞いたら、打ち戻って三原への山越えがよい
という。大先輩の意見と岡山のI氏の言もあり、そうすることに考え
が固まった。
おだやかな市野瀬川沿いに下り、下ノ加江川と変わった先で旧道
に入る。田村神社前の民家はアセビが花盛り。
15時5分、安宿(あんしゅく)旅館に着いた。きのう予約したとき、
「やすやど旅館ですか?」と間違えてしまった宿だ。どうもいろいろ
な人が間違えるようだ。
入浴と洗濯後、近くの薬局にあかぎれの薬を買いに行ったが、
小さい店で適当な薬がなかった。膝が治ったと思ったら、あかぎれ
だ。でも歩くのには支障ない。
夕食は18時から。今日の宿泊客は、一昨日、岩本寺宿坊で一緒
の八戸の女性、バスで戻ったという一宮市の打ち戻り氏、そして
何と私と同じ所沢市内、それも隣町のOさんご夫妻の4人。Oさんは、
昨年38番まで打ち、明日は39番に向かうという。
宿の親父さんは、へんろ道に詳しく、いろいろアドバイスしてくれる。
明日は不要な荷物を宿に置いて、明後日打ち戻ることにした。
〈コースタイム〉民宿日の出6:49ー入野松原終り7:45ー体育館の
ある公園8:05~10ー中村市9:10ー双海分岐9:22ー下田のT字路
10:30ー下田郵便局10:33~11:00ー下田渡船場11:23~50(昼食)ー
初崎渡船場11:58~12:01ー波多の国一宮~12:34ー国道321号13:
00ー新伊豆田トンネル13:28~47ードライブイン水車13:55~14:08ー
安宿旅館15:05
(距離 34km、歩行地 大方町、中村市、土佐清水市、歩数
48,600)
【注】四万十川の下田~種崎渡船は昨年末で廃止されているので、
現在は、四万十大橋を渡る道筋をたどることになる。
=四万十川を渡る=
5時30分起床、6時朝食、久しぶりに納豆が付いており、その上
コーヒーサービスもあった。
6時49分に出発、今朝も快晴ですがすがしい。ちょうど背後から
太陽が上り、正面の田んぼの上に月が残っていた。
海沿いの道、左手前方に4つの岬が続いているが、その先端、
足摺岬は朝もやで霞んでいる。
浮鞭郵便局の先、国道56号が右カーブする地点に、「入野松原
のみち」と記された四国のみちの標識があり、行く手に長い砂浜が
まっすぐに続いている。
その砂浜に向かって進むと、高知競馬の厩舎があり、4頭の馬が
見えた。広い芝生地を横切り、斜張橋の松原大橋の先から、若い
黒松林の中にへんろ道が伸びていた。
松落ち葉の上は足に優しい。ここも土佐西南大規模公園。潮騒と
ヒバリの声、遠浅の砂浜だが、潮の流れが速いので海水浴は禁止
だという。また、5月~8月はウミガメの産卵地でもあるようだ。
2km余りで松原は終わる。住宅地を抜け、クスノキの防風林を
通過すると、体育館らしい大きな建物があった。一帯は、芝生と
植栽の多い公園になっている。公園の末端で厚手のシャツを脱ぐ。
蛎瀬川を渡り、緩い上り坂にかかる。どうやら右膝はほぼ回復
した。サポーターだけは付けているが痛みはない。
坂を下って田野浦の漁港とその集落を回る。ここにも大きなアシ
タバが育っていた。わが家では以前、2度アシタバを育てたのだが
消えてしまった。やはり高知とは暖かさが違うことを実感する。
集落の終わり頃、岡山のIさんから電話があった。
台地上の集落、出口を通過して中村市に入り、双海へ。「四国の
みち」の道標のそばにナノハナがきれいに咲いていた。
クスノキの上のウグイスが、元気な声で励ましてくれる。
四万十大橋経由と、渡し船経由との分岐点になっている2差路に
来た。12時の渡し舟に十分間に合いそうなので、直進の県道42号
をそのまま進むことにする。
すぐ先に、双海サーフビーチの標示、緩い上り坂の途中で休憩。
コジュケイとウグイスが賑やかに鳴く。
金ヶ浜と呼ぶ砂浜を見下ろす場所に出た。海中で10数人のサー
ファーが波乗りを楽しみ、砂浜では遠足に来たのだろうか、数10人
の子どもたちが遊んでいる。
この辺り、梅の花に似た若木の桜があちこちで咲いている。花の
名を知りたいが、聞く人はいない。
平野集落を抜けると海岸沿いで工事中。その工事らしい県の公園
造りの都市計画図が掲示されていた。間もなく下田の町に入る。
渡し舟乗り場は近いが、まだ時間がある。T字路を少し戻って下田
郵便局に行き、高知にも在職された職場の先輩で歩きの仲間、M
さんと、自宅あてに近況を書き、風景印を押して発送してもらう。
ATMで資金補充もして、近くの商店で出来たての魚入り弁当を
買い、渡船場に着く。船待ちの間に、近くのプレハブの事務所前で
港を見ながら昼食にした。
11時50分に渡船場に戻ったら、他に乗船客がいないのを見て、
船頭さんが10分早く船を出してくれた。
清流四万十川の広い河口を8分で横断し、対岸の初崎に着く。
四万十大橋は、3㎞ほど上流なので見えなかった。
川の右岸に常緑樹の巨木がある。高さはそれほどないが、幹の
太さと枝の広がりが大きい。
河床で川のりを採っていた奥さんに聞くと、タブの木で、もう1本
あったが枯れてしまったとのことだった。
初崎集落を抜け、大きな水門の先に出たら、へんろ道より近そう
な神社への道が見えた。しめしめと回って行くと、波多の国の一宮
と記された社。昔、この辺りは波多の国とよばれていたようだ。
神宝の鉄剣は、国内でも珍しい銀象嵌七星剣というものだという。
ところで道は神社で行き止まり。へんろ道との間にアシの茂る小川
があって渡れない。結局、正規のへんろ道に戻ることになった。
小川の反対側の堤防を進み、津蔵渕の集落に入る。集落の端
まで進んで国道321号に出ると、山間のゆるい坂道がしばらく
続く。回りの広葉樹は芽吹きが始まり、やわらかな彩りを見せて
いる。
上り坂の最後は新伊豆田トンネル。長さ1620mあり、これまで
のトンネルの最長だが、自転車とも交差できる幅広い歩道があり、
安心して歩ける。通過に19分かかった。
トンネルを抜けて市ノ瀬に下る。39番への打ち戻りコースへの
Y字路に、大きな水車が回る「ドライブイン水車」があった。
打ち戻りとは、この先、38番を参詣してからここまで戻り、39番
に向かう往復の道のりのこと。
一休みしていたら、自転車の遍路氏に声をかけられた。時々家に
帰るが、5年くらい自転車遍路を続けており、もう70何回か回って
いるという。
38番からのルートを聞いたら、打ち戻って三原への山越えがよい
という。大先輩の意見と岡山のI氏の言もあり、そうすることに考え
が固まった。
おだやかな市野瀬川沿いに下り、下ノ加江川と変わった先で旧道
に入る。田村神社前の民家はアセビが花盛り。
15時5分、安宿(あんしゅく)旅館に着いた。きのう予約したとき、
「やすやど旅館ですか?」と間違えてしまった宿だ。どうもいろいろ
な人が間違えるようだ。
入浴と洗濯後、近くの薬局にあかぎれの薬を買いに行ったが、
小さい店で適当な薬がなかった。膝が治ったと思ったら、あかぎれ
だ。でも歩くのには支障ない。
夕食は18時から。今日の宿泊客は、一昨日、岩本寺宿坊で一緒
の八戸の女性、バスで戻ったという一宮市の打ち戻り氏、そして
何と私と同じ所沢市内、それも隣町のOさんご夫妻の4人。Oさんは、
昨年38番まで打ち、明日は39番に向かうという。
宿の親父さんは、へんろ道に詳しく、いろいろアドバイスしてくれる。
明日は不要な荷物を宿に置いて、明後日打ち戻ることにした。
〈コースタイム〉民宿日の出6:49ー入野松原終り7:45ー体育館の
ある公園8:05~10ー中村市9:10ー双海分岐9:22ー下田のT字路
10:30ー下田郵便局10:33~11:00ー下田渡船場11:23~50(昼食)ー
初崎渡船場11:58~12:01ー波多の国一宮~12:34ー国道321号13:
00ー新伊豆田トンネル13:28~47ードライブイン水車13:55~14:08ー
安宿旅館15:05
(距離 34km、歩行地 大方町、中村市、土佐清水市、歩数
48,600)
【注】四万十川の下田~種崎渡船は昨年末で廃止されているので、
現在は、四万十大橋を渡る道筋をたどることになる。