2日余り続いた冷たい雨が上がり、さわやかな秋空となりまた。
四国遍路前編のレポート22日目、私の遍路旅は天気に恵まれ、
前半で1日中雨だったのはこの日だけでした。
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第22日 2004年3月12日(金) 雨 <33番延光寺>
=雨の県道をひたすら=
5時25分起床、6時朝食。雨なのでザックカバーをかぶせ、ポン
チョとスパッツを付け、6時45分に安宿旅館を後にする。
下ノ加江川に沿った国道321号を西北に戻り、2つ目の橋を渡
って県道21号に入る。
新しいバイパスのあたりで雨がやんだのでポンチョを脱ぐ。道は
下ノ加江川右岸高みの木立の間を進む。先発した愛知県の女性
と八戸の女性に追いつき、すこし話しながら進み、途中から先行
する。
きのうより気温が下がり歩きやすい。この辺りの地形図とへんろ
地図コピーは、きのう自宅に送り返してしまったので、現在地の
確認が出来ない。
木立が続いて遠望が聞かないので、ウグイスの声を聞きながら
雨で濡れた道をひたすら前に進む。2戸だけ家並みが現れ、梅や
ボケが花盛り。
空がかなり明るくなったが、水のない棚田でにぎやかなカエルの
競演が続く。
再び家が途絶えた。県道といっても狭いところは1車線しかない。
でも車はめったに通らないので安心。土佐清水市大河内の標識
近くに数戸の集落があった。市の北端になる。
聞こえるのはウグイスの鳴き声と自分の靴音、そしてかすかな
せせらぎのみ。
杉林に囲まれた河内神社のあたりからまた雨が落ちてきたが、
少しで止んだ。三原村に入り、ゆるやかな上り道が続く。
伐採した材木を運ぶワイヤーが、川の上を数百mに渡って伸び
ている。再び人家のない川筋。「たまご放し飼いしゅりの里」の看板
があった。
山すそを半円形のカーブで回って鶴場橋を渡る。側溝の落ち葉
を3人で除去作業中。大雨の時に道路冠水を防ぐための作業だと
いう。
楽に歩かせていただけるのも、このような作業のおかげと知り
感謝。また本降りになったので、廃屋の小屋でポンチョを付ける。
芳井橋を渡って芳井集落に入ると、へんろ小屋第7号があった。
太い孟宗(モウソウ)の割竹で屋根や壁代わりに囲い、上にはビニ
ールの波板を張ってある。
夕べ同宿した女性2人も着いて休憩する。早着した私は先に小屋
を出た。
谷間に霞がかかり、山水画のよう。下之加江川沿いにSカーブを
繰り返しながら進む。もう、田のあぜに土塗りして水を張り、田植え
の準備をした田んぼもある。
三原橋の先、たけうち商店の前に、4~5人抱えくらいもある太い
木に、「名木・タブの木」の標示があったが、由来などは記されて
いなかった。
伝説「嫗滝権現と猫の爪跡石」という説明板があり、そばにある
幅7m前後の大岩に、猫の爪跡のような窪みがある。
その先、左カーブする地点の天満宮には、下長谷城跡の標示が
あった。
来栖野トンネルからの道と合した先に、いきいきみはら会のへん
ろ休憩所があった。お茶のポットが置いてあったので1杯頂く。
何人か泊まれる宿泊施設もある。
三原村役場近くのファミリーストアで弁当を買い、そばの、村総合
保険センターの屋根下にベンチがあったので、許可を得て昼食を
させてもらった。
まもなく船ヶ峠交差点。峠の名がついているが平坦で、その先が
わずかな下り坂になっている。
特養老人ホームふれあい広場前を通過、雨は止まず、息も白く
手がかじかむので、ニギニギしながら歩く。ひたすら歩くのみだが、
これも修行と考え無心で進んだ。
宿毛市に入り、梅の木トンネルを出ると、左手に中筋川ダムの
堰堤(えんてい)が見えた。
この写真は堤防の上流なのだが、水ははるか下に少ししかない。
黒川トンネルを抜け、桜並木の続く川沿いを行く。
土佐くろしお鉄道平田駅の先のT字路で国道56号に入ったら、
急にダンプや乗用車の交通量が増えた。
1km余りで延光寺道に入り、14時20分、門前の宿、民宿へん
くつやに着いた。
ザックを預けて39番延光寺に参拝。よく手入れされ庭、大師堂
は小ぶり。寺の山号、赤亀山ゆかりの赤亀の像があった。
14時50分、へんくつやに戻った。親父さんは、いろいろなもの
を集めるのが趣味のよう。大石、漁具のガラス玉、いろりの釣り
カギなどが庭に並んでいる。古い発動機も数台あるという。
2つある岩風呂も1年がかりで親父さんが作ったとか。宿泊客
からもらったという各地の天皇陵の掛け軸、八十八か所の砂入り
座布団など、珍しいものもある。
ここでは、宿泊客は誰でも「お兄さん」とか「お姉さん」と呼んで
くれるようで、私はお兄さん、八戸の女性はお姉さんと呼ばれた。
歳はおじいちゃんだが気持ちはお兄さんのつもりなので、悪い
気はしない。
夕食は八戸の人と2人。親父さんから、宇都宮の遍路にもらっ
たという金の納札を頂く。夕食後、ご夫妻の遍路が着いた。
〈タイム〉安宿旅館6:45ー県道21号バイパス7:15~18ー三原村へ
8:28ーたまご放しがいの里看板8:57ー鶴場橋8:55ー芳井橋近く
の廃屋9:05~10ー三原橋10:22ー天満宮10:45ーいきいき三原会
11:12~20ー三原村役場11:25ー総合保険センター(昼食)11:37~
12:00ー宿毛市へ12:47ー梅の木トンネル北12:55ー国道T字路
13:52ー民宿へんくつや14:20ー39番延光寺14:25~43ー民宿へん
くつや14:50
(距離 32km、歩行地 土佐清水市、三原村、宿毛市、歩数
48,800)
四国遍路前編のレポート22日目、私の遍路旅は天気に恵まれ、
前半で1日中雨だったのはこの日だけでした。
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第22日 2004年3月12日(金) 雨 <33番延光寺>
=雨の県道をひたすら=
5時25分起床、6時朝食。雨なのでザックカバーをかぶせ、ポン
チョとスパッツを付け、6時45分に安宿旅館を後にする。
下ノ加江川に沿った国道321号を西北に戻り、2つ目の橋を渡
って県道21号に入る。
新しいバイパスのあたりで雨がやんだのでポンチョを脱ぐ。道は
下ノ加江川右岸高みの木立の間を進む。先発した愛知県の女性
と八戸の女性に追いつき、すこし話しながら進み、途中から先行
する。
きのうより気温が下がり歩きやすい。この辺りの地形図とへんろ
地図コピーは、きのう自宅に送り返してしまったので、現在地の
確認が出来ない。
木立が続いて遠望が聞かないので、ウグイスの声を聞きながら
雨で濡れた道をひたすら前に進む。2戸だけ家並みが現れ、梅や
ボケが花盛り。
空がかなり明るくなったが、水のない棚田でにぎやかなカエルの
競演が続く。
再び家が途絶えた。県道といっても狭いところは1車線しかない。
でも車はめったに通らないので安心。土佐清水市大河内の標識
近くに数戸の集落があった。市の北端になる。
聞こえるのはウグイスの鳴き声と自分の靴音、そしてかすかな
せせらぎのみ。
杉林に囲まれた河内神社のあたりからまた雨が落ちてきたが、
少しで止んだ。三原村に入り、ゆるやかな上り道が続く。
伐採した材木を運ぶワイヤーが、川の上を数百mに渡って伸び
ている。再び人家のない川筋。「たまご放し飼いしゅりの里」の看板
があった。
山すそを半円形のカーブで回って鶴場橋を渡る。側溝の落ち葉
を3人で除去作業中。大雨の時に道路冠水を防ぐための作業だと
いう。
楽に歩かせていただけるのも、このような作業のおかげと知り
感謝。また本降りになったので、廃屋の小屋でポンチョを付ける。
芳井橋を渡って芳井集落に入ると、へんろ小屋第7号があった。
太い孟宗(モウソウ)の割竹で屋根や壁代わりに囲い、上にはビニ
ールの波板を張ってある。
夕べ同宿した女性2人も着いて休憩する。早着した私は先に小屋
を出た。
谷間に霞がかかり、山水画のよう。下之加江川沿いにSカーブを
繰り返しながら進む。もう、田のあぜに土塗りして水を張り、田植え
の準備をした田んぼもある。
三原橋の先、たけうち商店の前に、4~5人抱えくらいもある太い
木に、「名木・タブの木」の標示があったが、由来などは記されて
いなかった。
伝説「嫗滝権現と猫の爪跡石」という説明板があり、そばにある
幅7m前後の大岩に、猫の爪跡のような窪みがある。
その先、左カーブする地点の天満宮には、下長谷城跡の標示が
あった。
来栖野トンネルからの道と合した先に、いきいきみはら会のへん
ろ休憩所があった。お茶のポットが置いてあったので1杯頂く。
何人か泊まれる宿泊施設もある。
三原村役場近くのファミリーストアで弁当を買い、そばの、村総合
保険センターの屋根下にベンチがあったので、許可を得て昼食を
させてもらった。
まもなく船ヶ峠交差点。峠の名がついているが平坦で、その先が
わずかな下り坂になっている。
特養老人ホームふれあい広場前を通過、雨は止まず、息も白く
手がかじかむので、ニギニギしながら歩く。ひたすら歩くのみだが、
これも修行と考え無心で進んだ。
宿毛市に入り、梅の木トンネルを出ると、左手に中筋川ダムの
堰堤(えんてい)が見えた。
この写真は堤防の上流なのだが、水ははるか下に少ししかない。
黒川トンネルを抜け、桜並木の続く川沿いを行く。
土佐くろしお鉄道平田駅の先のT字路で国道56号に入ったら、
急にダンプや乗用車の交通量が増えた。
1km余りで延光寺道に入り、14時20分、門前の宿、民宿へん
くつやに着いた。
ザックを預けて39番延光寺に参拝。よく手入れされ庭、大師堂
は小ぶり。寺の山号、赤亀山ゆかりの赤亀の像があった。
14時50分、へんくつやに戻った。親父さんは、いろいろなもの
を集めるのが趣味のよう。大石、漁具のガラス玉、いろりの釣り
カギなどが庭に並んでいる。古い発動機も数台あるという。
2つある岩風呂も1年がかりで親父さんが作ったとか。宿泊客
からもらったという各地の天皇陵の掛け軸、八十八か所の砂入り
座布団など、珍しいものもある。
ここでは、宿泊客は誰でも「お兄さん」とか「お姉さん」と呼んで
くれるようで、私はお兄さん、八戸の女性はお姉さんと呼ばれた。
歳はおじいちゃんだが気持ちはお兄さんのつもりなので、悪い
気はしない。
夕食は八戸の人と2人。親父さんから、宇都宮の遍路にもらっ
たという金の納札を頂く。夕食後、ご夫妻の遍路が着いた。
〈タイム〉安宿旅館6:45ー県道21号バイパス7:15~18ー三原村へ
8:28ーたまご放しがいの里看板8:57ー鶴場橋8:55ー芳井橋近く
の廃屋9:05~10ー三原橋10:22ー天満宮10:45ーいきいき三原会
11:12~20ー三原村役場11:25ー総合保険センター(昼食)11:37~
12:00ー宿毛市へ12:47ー梅の木トンネル北12:55ー国道T字路
13:52ー民宿へんくつや14:20ー39番延光寺14:25~43ー民宿へん
くつや14:50
(距離 32km、歩行地 土佐清水市、三原村、宿毛市、歩数
48,800)