魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

義勇軍だ

2021年04月08日 | 日記・エッセイ・コラム

ミャンマーはひどいことだ。国連の無能を証明している。
国連の生まれた経緯からしても、人類統合の高邁な理想ではなく、国益と戦勝の手段に過ぎず、今日に至るまで、改められていない。
それでも東西冷戦の間、何はともあれ、第三次大戦を防いできたのは、国連があったからなのかも知れないが、ソ連崩壊の段階で一度精算し、新しい枠組みを創り出すべきだった。結局、アメリカが冷戦勝利に浮かれている間に、国際機関は中国に食い潰されてしまった。まさに、冷戦の漁夫の利を得たのが中国であり、中国共産党のお家芸は、一貫して棚ぼた狙いだ。

その中国共産党が直接間接に引き起こした大虐殺史は、チベットやウイグル、天安門どころではない。ポルポトや朝鮮戦争など、明々白々な歴史の陰で、今起こっているミャンマー軍の虐殺も、中国が擁護した1988年の軍の成功体験からであり、今もまた、中国は露骨に軍を擁護している。中国共産党が引き起こした状況で、一体どれだけの人が死んだのか。単純に考えてもナチスを越えている。中国共産党は今も戦国マインドのままだ。

250年の産業革命パラダイムが生み出した大量消費と大戦争。そこで生まれた国連の役目が終わると、いつの間にか創設メンバーの地位に居座った古代ゾンビ、中国共産党が、その仕組みを利用して、世界の支配者になろうとしている。
産業革命パラダイムが終わる今、国連はそこに潜り込んだ中国共産党もろとも、冬の「コモ巻き」のように処分する時が来た。
大転換の時に、旧時代の遺物である国連は一度たたむべきだが、既存の巨体はそう簡単には無くせない。

この指止まれ
国連を舞台にした新冷戦で、米中の選択に悩むより、今や、どちらにもつかない、新しい国際秩序を提案するときだ。
TPPで見せたように、こんな日本でも、やればやれる。新国連と言うより、世界連邦の枠組みを提示し、そこに賛同者を募るべきだ。
国として夢のような話は出来ないというのなら、NGOの出番だ。
銃を構えて向かい合っている者に、「銃を捨てなさい」と言う核兵器禁止条約は非現実的な祈りだが、銃の無い茶室に「来ないか」と誘う事は、よほど現実的働きかけだろう。

世界連邦は夢のような話で、国家間パーティの国連とは全く次元の異なる話だ。
したがって、どのように構築するか、自由に語ることが出来る。
各国家の現実を全く考慮せず、理想のゴールを描き、そこにパズルのピースのように、各国が参加できるポイントで、少しずつ参加してもらう。
現在の国際機関は、国連の後ろ盾が前提だから、偏った価値観や利権が横行する、おかしな物になっている。

世界連邦を始めから実効性のない組織と割り切り、野党のシャドー内閣のように、「有って無い」世界機関として施政方針を出し、あらゆる事態に声明を出していく。また、希望者には架空の市民権を付与する。そして、国家同士が行き詰まったときに、徐々に動き出す。

立て! 現代の義勇軍!
ネット時代を活かし、バーチャルな世界連邦で試行錯誤しながら完成度を高め、徐々にリアル化していけば、案外、早く実現するかも知れない。
何よりも、今や、バーチャルがリアルに対し実力行使できる環境がある。
どの国家も軍から始まった。バーチャル世界連邦も、バーチャル独立義勇軍から始まる。
手始めに、ミャンマー軍の情報中枢を破壊してはどうか。もちろんその黒幕が最終目標だが。