魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

ことだま

2021年04月03日 | 日記・エッセイ・コラム

子供の頃、「どくとるマンボウ航海記」を読んで、達観したようなマンボウという魚が好きになった。
近頃また、「マンボウ」が大流行だ。聞いた瞬間、蔓延防止と翻訳できたが、やめて欲しい。愛しのマンボウを、嫌悪すべき呼び名に使われると悲しくなる。
「三密」も、理想をおぞましいものに変え、ただの過剰接近を、怪しげな「濃厚接触」と呼ぶ。
「変異株」は、買うと儲かるのか損をするのか。
お笑い「第7世代」など、無理に意味づけしようとする言葉が流布されているが、感染の「第4波」もさして変わらない。
一方で、小学生が座っていそうな、「子ども庁」は微笑ましい。

非国民、敵性言語、玉砕・・・世の中が動く時は、新しい言葉が量産される。新語もあれば、既存の言葉が特別な意味を持つこともある。
いまや、「忖度」が流行語になるような、平和な時代が懐かしい。