魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

風評被害

2021年04月11日 | 日記・エッセイ・コラム

ついに、原発処理水を海に流すそうだ。
必要が無くても、世界に対するパフォーマンスとして、地下に埋めて見せる方が良いと思っていたが、ずるずると無為の時間を過ごし、結局、そのまま捨てることにした。本当に真剣に考えたのだろうか。知恵も決断も無い政治家は日本国民の代表だ。オリンピックもそうだが、天地人の誰かが決めてくれるまで、ただ進む。とうとう黒船は来なかった。

処理水であれ汚染水であれ、政府や専門家が言う通り、気にするようなものではないと思う。知る知らないに関わらず、もともと人間は、諸々の有害無害の地球上で暮らしている。人間に合わせて環境が生まれたのではなく、環境に合わせて人間が生まれた。
酸素世界を生んだシアノバクテリアのように、人類もその営みでまた別世界を生み出すが、それは環境破壊ではなく、それ自体が地球の営みに過ぎない。新しい環境に適応する者のみが生き残る。

怒りによって大洪水を与える神は人間の神であり、地球や宇宙にとっては、どうでも良い神だ。人間を守ってくれる神だから、人間の身を滅ぼす行為に怒る。つまり、神が罰するときは手遅れだ。それは神が宇宙に変わる時だ。極地の氷は溶け始めている。果たして神は許してくれるのか。
そんな壮大な神話が展開する中で、いまさら、汚染水もないだろう。問題になっているのは「風評」であり、神の怒りはもっと大きな所にある。

地下に埋めないのなら、絶対に大丈夫な水であると、放出に賛成する国会議員は全員、飲んで見せるべきだ。さらに、国会で飲む水は、名水ではなく全て処理水にすべきだ。
また、賛成する国民が率先して飲めば、一気に減らすことが出来る。
処理水をペットで売れば、愛国者は進んで飲むだろう。処理水で造った酒も良さそうだ。
ラジウム温泉がずいぶん宣伝されたことがあるが、トリチュウム入りとして、逆に何らかの効果があると言い出す人も現れるかも知れない。
何にもしないで悩むから、よほど恐ろしい物に違いないと、噂が噂を呼ぶことになる。