魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

注射問題

2021年04月29日 | 日記・エッセイ・コラム

ワクチン接種が始まった。打った方が良いのか、打たなければいけないのか、悩む高齢者がいる反面、まだかまだかと待ちかねている高齢者もいる。

注射の専門要員が足りないので、歯科医に加わってもらう話が出ると、アナフィラキシー対応はどうするのかと、またしても専門医の否定的談話があった。
世間の反応も「絶対、嫌やわ!」と言う人が多い。
これでは、英国のようなボランティア養成など、夢のまた夢だ。

先ず、「ダメ!」から入る日本の文化。全てがこうだ。海に閉ざされた「純」島国文化だからやむを得ないのかも知れないが、何で、ダメ元で「やってみよう!」と行かないのか。
「先ずやる」ことが前提にあれば、それにはどうするのかと、次の知恵が出る。
アナフィラキシーが問題なら、大接種会場で医師と合同でやれば良い。さらに問題があれば、その時はその時で、さらに、知恵を出せば良い。それにより、新たなノウハウも生まれる。
日本独特のほとんどの問題は、このネガティブ思考に起因している。
成るものも、成らなくなる。

注射器の保守性
ところで、何回用かと世界的に問題になっている注射器だが、それ以前に、何で注射器はあの形から進化しないんだろう。
記憶違いかも知れないが、確か半世紀ほど前に、圧力で瞬間的に注入する注射器が発明されたニュースを見たような気がするのだが、夢だったのだろうか???
夢だったとしても、可能な話だ。

仮に、どうしても針が必要だとしても、注射の映像を毎日見ていると、どうにもおぼつかない。針と身体との関係が不安定で、上手な人は二本指で固定しながらやっているが、見るからにモタモタやっている人もいる。

何で、ピストル型の注射器は無いんだろう。
平らな板状の先端を肌に押し付け、そこから、針が出てくる方式なら、ほとんどテクニックは要らない。少なくとも、ピストル型のアダプターに、注射器をセットすることは簡単だ。
こういうことを言うだけで、否定の嵐になるかも知れないが、何事もコロンブスの卵だ。希に、ガッテンする人がいれば、特許で大もうけするかも知れない。