魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

美しい鶴

2021年04月28日 | 日記・エッセイ・コラム

何が評価されたのか、選挙で全敗した一方で、菅政権の支持率が上がった。
キャスター上がりの蓮舫に「言葉が伝わらない」と言語指導されていたが、だんだん「むっつり助平」の真価が見えてきたのかもしれない。
「イヤヨイヤヨも好きのうち」と言うから、黙って押し続けているうちに、良くなってきたのだろうか。
前政権の、おべんちゃら三昧のナンパ師の後は、不言実行のゴト師の出番だ。
ナンパ師は見栄えの良い口達者のチャラ男だが、色事師は女を没我の境地にさせるのが仕事だから、小さな声で、何を言っているのか分からないようなことを話し続ける。
「手が早い」男はこの両面を兼ね備え、大切なことは「意味のあることを言わない」ことだ。
意味のあることを言われると、頭が働くが、無意味なことを話し続けられると、何となく相手にされている、関心を持たれているという、雰囲気だけが出来上がり、自分の世界に耽溺し、体で考えるようになっていく。
何であんな男がモテるんだろうと、第三者は思うが、カラッポの「あんな男」だからこそモテるのだ。
男女にかかわらず、人間は自己中だ。自分を気持ち良くさせてくれる人を受け入れる。ペットにはまるのも、自分に共感していると思い込めるからだ。

民主主義がポピュリズムに落ち込みやすいのは、大衆がそれを求めるからであり、「言語明瞭、意味不明」が好まれる。理性的意見を考える苦痛より、日常の快楽の方が共感しやすい。
「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」
Ω\ζ°)チーン

今の民主主義政治は、腕の良いナンパ師か下手なナンパ師かの違いで、生涯の伴侶とは言い難い。結局は大衆の責任であり、やがて、カエルを全部食べてしまう鶴のような美しい専制君主が現れるだろう。習近平は確信している。