魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

B型A型(2)

2013年02月12日 | 占いばなし

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東アジア全体がB型傾向が強いということは、モンゴリアンはB型的ということになる。

コーカソイドの大移動は、せいぜい、インドまでだが、
モンゴリアンは、アメリカ大陸、太平洋、北極まで広がり、歴史時代に入ってからも、ヨーロッパまで何度も進出した。ほぼ地球全域だ。
B型の、外へ外へと飛び出していく、好奇心と行動力を物語っている。

A型の欧米や中東では、内面的で緻密さを好み、音楽さえも理論化され、観念的な神を信じ、それを生きる指針にする世界をつくった。
ところが、即物的なB型の東アジアには、一神教のような観念的「神」は広がらなかった。

東洋哲学の中村元さんは、インドにはモンゴル系とコーカソイド系がいるが、長年の研究過程の中で、釈尊にはモンゴル系の印象が強いと吐露されていた。

その理由として、優しさをあげられていたが、恐らくそれだけではないだろう。
他にも多くの理由が考えられる。ことに、釈尊の「私は宗教の教祖ではない」という言葉は、神のような観念的な世界よりも、人間主義による、現世での救いを意図していたことを感じさせる。

しかし、釈尊の死後、コーカソイドの地域、インドから中東を経るうちに、釈尊自体が、観念的な神に変化していった。これは釈尊の責任ではない。
その後、その観念的に変質した仏教が持ち込まれた中国では、結局、深くは根付かなかった。

釈尊の現実的な人間救済が、観念論に変わり、それがまた、東アジアで即物的な御利益に変化した。
中国では、関羽さえ商売の神様になったように、仏教も願望成就のツールとして浸透したようだ。朝鮮半島などに至っては、護国仏教として、武力の一種のように考えられている。

もちろん、日本にもその種の仏教が入って来たが、面白いことに、日本ではまた、日本なりの発展をした。

B型地域の中国や朝鮮半島では、生き方の方法論を好むので、現実に役立たない観念論の仏教はあまり人気しなかったが、AB型の日本では、観念論でも処世術でもない、いわば、「システムとしての仏教」が成立した。

「システムとしての仏教」とは、神を信じるのでもなく、道具として用いるのでもなく、社会全体が「信仰と実用」で、仏教を憲法のように、うまく秩序の原則とする社会をつくつた。

日本の仏教は、大きな意味の作法となり、逆にすべての日常が、作法(道)という宗教に変わった。それに順うことが平和な社会をつくり、個人の幸せをつくると信じられている。

日本の仏教、日本の文化は、「システムに順う使命感」という、これもやはり、AB型的な姿になっている。
そして、A型の西洋において、基軸を観念的な「神」としたのに対し、AB型の日本は、基軸として、即物的に理解しやすい天皇を置いた。この辺りが、やはり、B型傾向の現れと言えるのだろう。