魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

現実問題

2011年02月02日 | 日記・エッセイ・コラム

就職できない大学生が社会問題化している。
社会体制移行期の悲劇だ。

最大の問題は、加工貿易国日本が、新しい時代に乗り遅れていることだ。トフラーが、第三の波で予言していた通りになっている。
加工貿易の巨大システムを抱え、成功体験の夢に浸っている間に、世界は変わってしまった。

にもかかわらず、日本は、いまだに巨大システムにしがみつこうとしている。
一括採用を改めない企業、すがりつく学生。
高度成長期の空手形を、取り立てようとする高齢者。
もはや、システム全体を、ゼロから築かなければならない時に、日本人は、昔の約束だけを信じて時を過ごしている。

日本人は敗戦を忘れたのだろうか。
150年前の、廃藩置県や四民平等を忘れたのは仕方ないとしても、まだ、敗戦のどさくさを体験した人達が生きているのに、「ゼロからの再出発」を考えようとしない。

財閥解体や農地解放、新円、1ドル360円・・・といった
驚天動地の出来事を、日本人は天災のようにアッケラカンと受け入れた。
ある人にとっては不条理で、ある人にとってはタナボタのような出来事だったが、外圧を前にすると、即座に対応した。

今の状況は、実は敗戦の状況と何も変わらない。
みな、敗戦とは違うと言うだろうが、敗戦の時だって、日本中が焦土になったわけではなかった。都会と軍は失われたが、技術と日本人は生き残った。

信じていた軍が完全に無くなったことで、日本は再出発できた。
今、日本人が信じているものは、企業と福祉(保護)だろう。
この前提を「ゼロ」にして、出発しなければならない時が来ている。
そうしなければ日本は救われない。

消費税は賛成だが、とっくに破綻している福祉や産業保護のためのツギハギなら逆効果だ。もう大手術しか残っていない。

こうした事態を招いたのは、米傀儡の名誉職でお茶を濁してきた政治屋達だ。
今こそ、日本の未来への戦略と戦術を掲げ、命をかけて信を問う政治家が求められている。
農業、税、年金医療、教育制度など、改革ではなく革命の時だ。
しかし、政治家には「覚悟」が無い。
自公に戻ったところで、何も変わらない。

戦前の軍に替わって、戦後の日本を支えてきたのは、経済界だ。
今の日本が変われるとすれば、経済界自身の変質によってだろう。
企業は、自滅するか、逃亡するか、それとも真に日本を背負うのか。

青田刈りで、日本の学生の質が落ちたからと、海外の即戦力を雇うぐらいなら、採用条件に留学経験や海外の学位を条件にしてはどうだろう。
就活の奴隷と成り果てた学生も、目を覚ますだろう。