魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

知術貿易

2013年01月10日 | 日記・エッセイ・コラム

日本再生には、この先250年を見通し、未来から逆算して、今何をすべきなのを考えなければ、何をしても雪の上に家を建てるようなもので、すべてが徒労に終わるだろう。

250年経てば、近代国家など無くなっている。そんな時代の日本を考えるのに、国家間の覇権争いなど、何の意味も無い。
グローバル時代の日本は、地域としての存在となるが、その時、世界のヴィジョンを導く勢力として立っているかが問題だ。

世界の一地域としての日本とは、どういう「地方」なのか。
世界の一員となる資格は、独り立ちできていることだ。大前提は自給自足であり、100%の地産地消だ。
多少の気候変動や天災では他の世話にならず、かつ、他地域を救済できる余力を持つ。

日本は縄文も含めれば、1万数千年、どこにも世話にならず、収奪をせず自立してきた。(逆に、現日本人が乗っ取ったとも言える)

例外的な進出はあるが、「倭寇」は地域の海賊であり、秀吉の「朝鮮出兵」は土地恩賞の戦国システムの末期的な暴走であり、「大陸侵略」は近代帝国主義に巻き込まれた日本の必然的な帰結であった。

これらの海外進出は日本史の例外であり、日本が自活していくためには、何の必要も無かった。日本は天災は多いが海に守られ外敵は無く、自給自足して行くには、天国のような島だった。

産業革命パラダイムの限界が見え、人類の方向転換がせまられる今、日本は恵まれた環境にある。
工業生産を捨て、農水業をベースにするには、日本は絶好の地であり、先進国として得た技術力と資金力で稼ぐこともできる。

日本の宿命のように思ってきた工業立国は、もう止めるべきだ。
「加工貿易」の強迫観念は、捨てなければならない。
これからは、「知術貿易」だ。

知術貿易
「加工貿易脳」だから、農業改革と言えば、すぐ、農産品輸出の話になるが、農業は何よりも自給自足を第一に考え、農水産品は余った物を売る程度でいい。
極論すれば、日本人全員が家庭菜園で食べる発想であり、家庭菜園は高く付くが、自分でつくったものは安心で美味しい。

「知術貿易」とは、文化、サービス、学術、基礎科学技術を、双方向的に売買することで、この方面の、人材育成と交流ができる環境を重点的に整え、国際拠点をめざす。

今、TPPでもめているのは、国家主義の「過去」と、地球時代の「未来」との視野の違いだ。
地球時代の未来を想定する場合。TPPも、国家を乗り越えるステップに過ぎない。

大転換の今は、国家が権益を争う時代から、人や企業が直接関わり合う時代の入り口であり、TPPは国家時代を終わらせるための仮免許だ。国家の枠を取り払うためのステップであれば、これも、極端な話で誤解を招くが、アメリカの一州に加えて貰ってもいいくらいだ。
少なくとも、中国の日本自治区よりはマシだろう。