魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

車が無くても

2009年05月18日 | 日記・エッセイ・コラム

自動車離れが深刻で、自動車産業が焦っている。
マイカーのない社会を理想とする者にとっては喜ばしいことだが、産業の現実を考えれば、ざまー見ろ、とも言っていられない。
現に、自分もまだマイカーに乗っている。

マイカーが無くても暮らせる。公共交通機関で間に合う社会を、あらゆる角度から考えて欲しい。
生きているうちには来ないだろうが。

マイカーを売りつける自動車産業でなくても、公共インフラとしての乗り物製造は無くならないはずだ。

移動手段としての乗り物を、個々が持つ必要はない。
目的地に、体一つが移動すれば、荷物も着いている。それは、いまも実現しているが、それをクリーンに効率よくできるはずだ。
また、マイカーの持つ、グループ移動の楽しみも、公共交通で可能なはずだ。

マイカーと言うより、マイコンテナのようなBOXで、「幹線」*に乗れば好みのコースで目的地に移動できる。運転の必要はない。いわば専用のコンパートメントだ。
交通違反も事故もなくなる。

国も企業も、そういう根本的な交通文明から構想して欲しい。

だが、
そうは言っても、これは、21世紀前半に実現するような話ではない。
当面の自動車産業は、何とか個人に買ってもらわなければならないし、買う側は、罪悪感のないクリーンな車に乗りたい。

電気自動車のような本当に「賢い」車が急がれるし、企業も賢くならなければ滅亡する。

自動車会社に言いたい。
自動車免許ぐらい、無料サービスをしなければ、乗り手はいなくなる。

※「幹線」=貨物列車や交通管制システム


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