魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

甦れ騎馬民族(1)

2009年04月21日 | 日記・エッセイ・コラム

日本の企業は、近年、新興国に負けっ放しだ。

時代が変われば、ニーズが変わる。
英国も米国も、かつての生産大国は時代に対応できなくなると、
安易な金融で生き残ろうとした。もとの姿のままでは、しばらくはうまくいくが、必ず死にいたる。
肉体を替えることができない老人は、蓄え資産で生きようとする。

日本は、戦後の新生から成長を続け、何度か大手術も経験しながら地位を築いてきたが、もう齢だ。過去の栄光に浸りながら、後何年生きられるだろう。
年寄りを尻目に、周りの若者が次々と新記録を打ち立てていく姿を、偉い偉いと、褒めているわけにはいかない。
経済には生活がかかっているからだ。

新興国が昔ながらの競技で新記録を出している間に、新しい競技を始めた方がいい。もう、生まれ変わる時だ。

上海モーターショーは、世界中の自動車産業が総出で食らいついているが、カンダタの蜘蛛の糸だ。やがて、まとまって落ちる。

ガソリン自動車は終わっている
と言うより、ガソリンスタンドなどの「インフラを伴う自動車文化」が終わっている。

これからは、自動車が単独で走るコンセプトだ。
携帯電話がむしろインフラのない地域で発展したように、自動車も、プラグイン電気自動車や太陽光充電など、単体で成り立つことが前提になる。
この概念は、地方の時代とも通じる
「個とネットワーク」の時代の発想だ。

何でも箱造りが好きな日本人にできるだろうか。
田畑農業の団体行動ではなく、遊牧民の「群がりと徒党」の、あうんの行動だ。
個々が情報でつながる文明は、戦国軍団にその姿が見られるが、日本人の中に騎馬民族の血が残っているとすれば、不可能ではない。

具体的に、零戦やウォークマンの発想は、騎馬民族のゲリラ戦の発想で、国鉄や戦艦大和、ハイブリッド車などは農業発想だ。

※うまくいったウォークマンにこだわるのは農業発想


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