魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

南野日子

2014年01月20日 | 日記・エッセイ・コラム

20日の読売onlineニュースで

「西日で前が」…横断中の女児死亡、母軽傷

の見出しを見かけ、一瞬、「」に気づかず、「西日」ってなんだろう?
「祭日」の変換ミスだろうか、「西日」という地名での事故だろうか、西日本で起こった事故だろうか、とすればどこだろう?
などと、錯乱した。

記事を読み始めて、ハタと気づいた。「にしび」のことだ。
解ってしまえば、何でそんな錯覚をしたのか解らないぐらい、「西日」は「にしび」としか読めない。

思い込みとはそんなもので、「にしび」は「西日」しか思いつかない人には、逆に、「西陽」は出てこないのかも知れない。
これまで、「にしび」に「西陽」しかイメージしてこなかったものだから、「西日」は西日本の略ぐらいしか思いつかなかったのだ。

辞書を引き直すと、「にしび」の正式表記は「西日」で、「西陽」とも書くぐらいの扱いだ。

しかし、我田引水のつもりはないが、「にしび」には「西陽」の方が、より妥当だと思う。

「日」という文字は、元々、太陽をイメージしている。それに対し、「陽」は陽ざし「光り」を意味するものだ。陽ざしの大根源という意味が太陽だ。

「日」は太陽そのもので、太陽を数えるのが日々のカレンダー「日よみ=かよみ=暦」と言われる。「毎日」と言うが「毎陽」とは言わない。
逆に、「陽気」とは言うが、「日気」とは言わない。
小説「斜陽」を「斜日」と言ったとしたら、かなり意味不明になる。
南野陽子と南野日子は相当イメージが異なる。

「日」は太陽、「陽」は太陽から差す光りだ。

逮捕された会社員は
「西日で前が見えなかった」と言っているそうだが、
西に太陽があっても、雲でかすんでいる場合もある。
しかし、
「西陽で前が見えなかった」と言えば、確実に眩しかったことが解る。

ニュース記事に、そこまで考えるヒマは無いだろうが、辞書を作る人には、「にしび」の第一候補は「西陽」にしてもらえないものだろうか。


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